営業会議は一体何のために開くのか――この問いをビジネスの現場で投げかけると、最もよく返ってくるのが「情報共有のため」という答である。では、いったいその情報共有は何のために行うのか。こう突っ込むと、「うーん、やはり情報をみんなで共有するためでは…」。

 笑い話ではなく現実の話。

 情報共有は「目的」を達成するためのひとつの手段に過ぎないのに、それ自体が一人歩きしがちだ。その「目的」とは、会議という手段によって、たとえば営業マンそれぞれを動きやすくし、結果的に売上などの「成果」に結びつけることである。こんな当たり前のことが、通常行われている営業会議ではごっそり抜け落ち、単なる「報告会」になってしまっている例がなんと多いことか。

何のために人を集めるのか

 ここでひとつ、営業会議の悪い具体例を示しておこう。

 X社の約20人の営業部員がコの字型に並べられた机についている。手元には分厚い資料。

 午後2時に会議スタート。

 まず、それぞれの部署のトップから前月の営業実績についての報告。ほとんどの人は手元の資料を睨んで微動だにしない。報告が一通り終わると、今度は役職の高い人たち二、三人が意見を言う。ほかのメンバーは誰も喋らない。それでもある若手社員A君が思いきって挙手をして発言した。すると「それは以前やってダメだったんだよ。無理だよ。もうちょっと調べてから発言しろよ!まったく」という役員からの叱責。A君は完全に意気阻喪して、以降まったく発言しなかった。

 会議は、途中、方々に脱線しながらもダラダラと続く。

 と突然、同じく若手のB君が進行役に発言を求められるが、A君の惨状を見ているだけに余計なことは言うまいとばかりに「おっしゃる通りだと思います」としか言えない。

 ようやく会議が終局に近づき「では一度も発言していない人、ひとりずつ何かどうぞ」と進行役。端から発言を促される。「特にありません」「今話し合われた内容で良いと思います」などの当たり障りのない発言がズラリ。建設的な意見はまったく出ない。

 ようやくお開きになったのは開始から三時間を経過した午後五時だった。もちろん、くたくたになった若手営業部員たちの頭のなかには何も残っていない

 どうだろう。心当たりはないだろうか。つまり、いったい何のためにみんなを集めてやるのかが、分かりにくい営業会議。にもかかわらず、現在でも数多くの企業で行われている営業会議…。

 この会議なら、少なくともA君たち若手営業部員にとっては、メール伝達で十分だった。彼らが会議の場に居る必要はない。

 では、いったいこの会議の何が間違っているのか。細かく見ていこう。

 まず、配られた資料をもとに会議を進捗させることは避けた方がいい。みんなが下を向き、資料に没頭することで、参加意識が削がれてしまうからだ。プロジェクターなどを使い、全員が顔を上げて進める会議の方が焦点がブレない。

 それから営業実績の報告の場面。営業会議といえばX社のように、前週や前月の報告から始まるのが定番である。が、報告は本当に会議で行うべきものなのだろうか。部署が10あったとすると、報告だけでかなりの時間を費やしてしまう。

 だとすれば、この報告の部分を社内データベースの閲覧やメールによって事前に済ませておくべきではないだろうか。過去は未来に向けた学びを見出す材料だ。顧客に最も近い最前線にいる営業マンたちが、せっかく万障繰り合わせて集まっている営業会議で、過去の報告にほとんどの時間を費やすのはもったいない。より多くの時間を費やすべきは「未来」である。

フリーズワードに注意!

 では時間を費やすべき未来とは何か。たとえば、次の一週間、あるいは次の1ヵ月に、各営業マンの活動予定のなかの懸念事項や阻害要因を列挙していくのだ。そしてそれをみんなで議論する。たとえば、今後ターゲットにする新規顧客をどう選別し、アプローチしていくかというような未来志向型のテーマである。できればホワイトボードに書き出しながら進行した方がよい。

 その際に重要なことは、自由な発言を促すこと。X社の事例では、A君が思いきって発言したにもかかわらず、役員の叱責的発言によって再び貝のごとく口を閉ざしてしまった。よく考えれば当然である。普通の人なら「もうちょっと考えてから発言しろ!」などと言われれば、次に発言する気にならない。

 ちなみに、この役員の言葉のような相手の発言や発想を殺すような言動を我々は「フリーズワード」と呼ぶ。フリーズワードによって場を凍らせると、その後の活発な議論はとても望めない。つまり会議が機能不全に陥ってしまうのである。にもかかわらず、営業会議といえば、フリーズワードが濫発するのが普通。だとすれば「フリーズワード禁止」の認識を共有化し、各人が「あ、いまの俺の発言はフリーズワードだった」と自分の発言を客観視し、知らず知らず出てしまうフリーズワードを押さえる努力をするべきである。

 さて、話を戻そう。未来の懸念事項や阻害要因を営業マンがはき出す際、つっこみや批判はとりあえず待つべきである。途中で叱責やフリーズワードが出ると、重要な課題を出し切らないまま進行が中断してしまうことになる。すべてを出し切った後、それら懸念要因を減らすためにはどうすればよいかを出席者全員で議論するのである。ここで注意して欲しいのは、「反論のための反論」は禁止すべきだということ。発言する際には必ず対案を示す。そういうルールを作っておけば、一気に建設的な話し合いに持っていける。

 が、X社のケースでは、そう簡単にはいきそうもない。出席者が20名と多すぎるのだ。営業会議は、企画会議や開発会議、役員会議など他の会議に比べて、一般的に人数が多くなりがち。20名もの人間が集まれば、精神的にも物理的にも発言しにくくなる。いきおい、特定の数名だけが発言する会議になってしまいがちなのである。

 そんな弊害を打破するのに有効なのが「チーム分け」。

 20名をたとえば4名ずつ5チームに分け、それぞれ議論するのである。会議では一般に参加者が五人以上になると「聞くだけ」の傍観者が順次増えていくと言われている。短時間でもいいから5人未満で十分に意見を出し合い、その後、それらをまとめて全員で議論すれば「聞くだけ」「参加するだけ」の人はほぼいなくなるという理屈。

 さらに「時間」も重要である。X社の会議所要時間は3時間。もちろん会議の種類にもよるが、通常の営業会議は1時間程度に抑えるべきだろう。長時間の会議は参加者の集中力が続かないし、なにより費用対効果の観点からデメリットは大きい。つまり、会議にもコストがかかっているということ。このことを実感するには、実際に会議にかかったコストを計算してみればいい。

 まず、人件費。実施回数×参加人数×会議(拘束)時間×メンバー個々の賃金率(時間当たり)で算出する。ここに、プロジェクター、スクリーンなどの費用、資料づくりに伴う印刷・製本コストなどを加えてみると、莫大なコストが会議に費やされていることが分かるだろう。

「決め方のプロセス」を決める

 営業会議というイメージでいうと、まず浮かぶのが数字である。もっといえば、「数字を報告し上司から叱責を受ける部下」のイメージ。もちろん叱責して奮起を促すという方法論もある。が、前述した「フリーズワード」のように、叱責すればするほど、叱責された側からは防衛反応を引き出すだけ。「本当の事柄」は出てこない。

 だとすれば、逆に、赤裸々な問題点を叱責覚悟で明らかにしたメンバーには、代わりに称賛や感謝の言葉をかけるべきではないか。称賛は心理学的に言うと人の認知欲求を高める。人は自分が認知されたと感じると、より頑張ろうと自らをモチベートするのだそうだ。よしんば、叱責せざるを得ない場面があったとしても、ほかの部分での称賛を受けた後なら、本人も受け入れやすい。

 それから、もうひとつ認識していただきたいのは、「決め方」の重要性である。結論が出ずにうやむやのうちに終わってしまう会議ほど無駄なものはない。最終的に誰がどう決めるのか。決め方のプロセス自体を明確にしておけば、あやふやな終わり方は避けることができる。

 ただ、個人的には「多数決」は意外に危険だと思う。集団には同調圧力があり、「みんなが(上司が)賛成だから、賛成しておこう」などという心理が働く。こうなると組織として間違った判断になる。「あの時、俺は違うと思ったんだけどなあ」などと主張してももう遅い。

 状況にもよるが、最終的にはその場のリーダーが決定するスタイルが無難ではないだろうか。責任の所在がはっきりし、逆に参加者の発言が活発になるというメリットもある。

 いずれにしても、ここまで縷々述べてきたように、営業会議を有用なものにするには「会議そのものをしっかりとデザインすること」である。事前準備を緻密に行い、会議中には活発な意見を促すようなルールを徹底し、会議後には営業マンの行動の変化、ひいては成果に結びついているかを測定すること。要するに目的は成果(売上)なのである。

(インタビュー・構成/本誌・高根文隆)

掲載:『戦略経営者』2006年10月号