かつては炭坑で栄えた北海道赤平市。人口わずか1万4000人ほどのこの街に宇宙開発を手掛ける中小企業がある。独自の小型ロケットや人工衛星などを研究開発するカムイスペースワークスだ。同社の植松努社長(41)に、宇宙ビジネスに掛けた「夢」を聞く。

プロフィール
うえまつ・つとむ●1966(昭和41)年北海道芦別市生まれ。89年北見工大応用機械工学科卒業後、菱友計算株式会社航空宇宙統括部に入社。94年5月同社を退社し、植松電機入社。99年に植松電機を株式会社に改組し専務取締役に就任。2006年12月、株式会社カムイスペースワークス(略称:CSW)を設立し、代表取締役に就任する。

10年以内の軌道到達目指す

植松 努 カムイスペースワークス代表取締役

植松 努 氏

――御社母体の植松電機(代表者・植松清)は建機用アタッチメントの電磁石製造・販売で約9割のシェアを獲得し、業績面も順調と聞いています。そしてこれを土台に2003年から宇宙開発に着手、2006年には宇宙関連事業を専業とするカムイスペースワークスを設立されました。まずは事業内容から教えていただけますか。

植松 「ハイブリッドロケットの開発」「小型人工衛星の開発」「微少重力実験」「アメリカ民間宇宙開発企業(ロケットプレーン社)との共同事業」の4つが柱になっています。
 ハイブリッドロケットの開発は、北海道大学大学院工学研究科の永田晴紀教授が発明した「CAMUIロケット」の研究開発です。CAMUIロケットは全長2メートル、重さ15キログラムで、燃料にポリエチレンの塊と液体酸素を使用します。
 ロケットエンジン開発は通常、危険が伴うので簡単には取り組めないんです。ロケットが爆発して中の燃料が外に吹き出すと、それが周りの空気に引火し一面が火の海になってしまうからです。ところがCAMUIロケットの燃料はポリエチレンですから、機体が壊れても2次燃焼が起きない。非常に安全なエンジンで、だからこそわれわれでも開発できるわけです。実はこれは技術的に大変画期的なことなんです。
 こうしてロケットを手に入れたということは、頑張れば自分たちで宇宙に物を運搬することが可能になるということです。そこで2つ目の柱である小型人工衛星の開発を行うようになりました。
 さらに人工衛星をつくるには宇宙空間できちっと稼働する部品開発が必要になりますから、そのために3つ目の柱の微少重力の実験施設も建設しました。これは私の個人名義の生命保険を担保に銀行から1億円を借り入れてつくりました。本来なら国家がこういった施設をつくるべきだと思うんですけど……(笑)。

――2006年9月には人工衛星の打ち上げに成功していますね。中小企業が開発している人工衛星といえば東大阪の「まいど1号」(08年夏打ち上げ予定)が有名ですが、それよりも早く宇宙に行きました。

植松 JAXA(宇宙航空研究開発機構)のISAS(宇宙科学研究本部)の「M-V(ミュー・ファイブ)ロケット」に乗せてもらい打ち上げることができました。ISASは糸川博士のペンシルロケットから続く、完全固体燃料の日本オリジナルロケットを開発してきた組織です。現在は後継となる固体燃料ロケットの研究が始まっていますが、私たちはこのM-Vの最後の1機に乗せていただきました。
 また、打ち上げは鹿児島の内之浦宇宙空間観測所で行われたのですが、そのとき同じく9月で引退した国産旅客機のYS11に乗って現地に移動したんです。偶然、日本人が戦後必死に開発してきた2つの国産技術の引退に立ち会った。大げさかも知れませんが、何かわれわれが偉大な先輩たちから日本のモノづくりを託されたような感慨を受けましたね。

――CAMUIロケットで人工衛星を打ち上げるのはいつくらいになりそうなんでしょう。

植松 今後10年以内には(高度110キロメートルの)軌道投入を実現したいと考えています。04年末に開発を始めてから8回の打ち上げ実験を行い、現在は上空3500メートル、水平方向に7000メートルほど飛んでいます。これを1、2年のうちに成層圏の高度60キロまで飛ばすのが当面の目標です。
 技術的には5年で可能だと思うのですが、最大の問題は日本に宇宙に関する法律がないことです。宇宙を利用する仕組みがないため、政府以外に宇宙にかかわれないようになっている。宇宙法がないのは、先進国では日本くらいです。これをなんとかしないといけない。

――ただ実際、一般的な認識として中小企業が宇宙開発を行うというのは突飛なイメージがあると思います。またなんで「宇宙」だったのですか。

植松 一番の理由は私が子供の頃からロケットや飛行機が大好きだったから(笑)。ろくに学校の勉強もしないで、ロケットや飛行機の本ばかりを読みあさっていました。当然ながら成績は最低で、中学の進路相談で「飛行機やロケットの仕事がしたい」といったら、先生から「そんなこと、お前の成績でできるわけがないだろう」とさんざん言われました。その後も周りからは「ちゃんと受験勉強しろ」と言われ続けましたね。それでも好きなロケットの勉強を独学で続けて、大学でも流体力学を専攻しました。あきらめずにやり続ければ夢は叶うんですよ。

世界に3つしかない施設を無料で

――宇宙開発はビジネスとして利益を出すのが難しいといわれています。失礼ですがオーナー経営者の道楽と捉えられることもあるのでは?

植松 確かに儲けるという面ではまったく成功していません。そもそも宇宙開発で金儲けをしようなんて考えていないのです。
 その代わりお金よりも貴重な人脈とスキルをたくさん得ることができています。うちでは“してあげる作戦”と呼んでいるんですが、してあげるとこの2つがどんどん蓄積されてくる。例えば微少重力実験施設は大学や研究者に無料で提供しています。しかも実験中に機械が壊れても、隣でロケットと人工衛星の開発をしていて設備が整っていますから、すぐにわれわれが直してあげられる。まさに至れり尽くせりなので、NASAやアメリカの企業、大学からもたくさんの依頼がきています。
 微少重力実験は高い所から測定装置を入れたカプセルを落とし、落下中数秒間の無重力状態の時のデータを採るという方法で行います。うちの施設ではだいたい年間で300から400回の試験が行われています。1回に2、30回落下させますから、1ヵ月に1、2回のペースで国内外からトップクラスの研究者が当社に来るわけです。そんな中小企業はなかなかないと思います。
 また、そうしたつながりから、研究機材の開発などの依頼をうけるケースもあります。

――微少重力実験施設は現在、世界に3ヵ所しかないらしいですね。

植松 ドイツと岐阜と当社だけです。で、岐阜の施設では4秒間の試験で1回90万円、ドイツの施設では5秒間で120万円の使用料がかかります。
 お話ししたように1日の試験で2、30回くらい落としますから、それだけで数千万円のコスト。対してうちは無料。私個人の借金で建てた塔だから、自分で好きに値付けできるんです。

――主にどんな実験が行われるのですか。

植松 燃焼実験が多いですね。燃焼の原理はいまだによく分かっていないらしく、地上で物を燃やすと必ず対流が起きてしまうので無重力状態での実験が必要なんだそうです。

――前例が少ないわけですから施設の建設は大変だったのではないですか。

植松 何せ教えてくれる人が誰もいないし、1冊の本すらないんです。
 特に悩んだのがどうやってブレーキをかけるか。高さ50メートルから落下させた重さ500キログラムのカプセルを、地上に到達する寸前でストップさせるんです。ほかの施設では砂の中に刺すといった方法を採っているのですが、これは当社では無理。そこでシリンダーの中にぎりぎりの寸法のカプセルを落とし、圧縮空気でブレーキをかけるという方法を考えつきました。シリンダーも調圧弁も、全部自分たちで一からつくったんです。ただ、自分たちでつくった結果、ノウハウも100%自分たちのものになりましたけどね。

宇宙開発の目的は人材育成

――今後も宇宙開発で儲けようとは思わない?

植松 思わないですね。むしろ儲からないほうが競合が参入しなくて都合がいいと思っているくらいです。
 それよりも宇宙開発を通じて人材が育っていくほうが大事。これが当社の宇宙開発の最大の目的です。宇宙は南極と一緒でビジネスの種にしてはいけないというのが私の基本的な考えです。

――つまり宇宙開発事業は人材への投資というわけですね。

植松 人材というのは当社の社員だけでなく、一緒に研究を行う研究者や学生、さらには子供たちまでを含みます。10年もすればいまの子供たちは社会に出て、われわれ企業のお客様や従業員になる。それで今からできるだけ多くの子供たちとかかわるように務めています。
 具体的には、全国の小・中学校をまわり「ロケット教室」を開催しています。年間で3000~4000発のモデルロケット(実際のロケット工学、航空力学に基づき設計製作された模型ロケット)を子供たちと一緒に飛ばしてます。この活動は今後も増やしていきます。呼ばれれば全国どこへでも行きますよ。

――モデルロケットとはどのようなものなんですか。

植松 固体燃料に電気点火して、0.3秒で時速200キロ、高度100メートル位飛び、最後はパラシュートを開いて墜ちてくる、という結構、本格的なものです。
 ロケット教室は学校の授業の一環として行いますので、ただロケットを組み立てて打ち上げるだけでなく、ロケットの歴史や仕組みの説明をしてまずはロケットについて理解してもらうようにします。加えて当社のロケット実験の映像も見てもらい、われわれのロケットにかけた夢についてお話します。

――楽しそうですね。

植松 でも最初の頃はなかなか学校の先生に理解してもらえませんでした。一番多いのは「危ない」という意見。でもほとんどの先進国でモデルロケットは学校の授業に組み込まれているんです。実際、硬球をバットで打つよりもよほど安全なんですけどね。ひどいときは「学校に個人の趣味を持ち込むな」とか、「営利目的だろう」とか言われたこともありました。ただ、嫌な思いをするからといってやらなかったら、子供たちを捨てることになる。
 ロケット教室に参加した子供たちの感想文を読むと、「ロケットを飛ばせて楽しかった」というのは後半の3分の1程度しか書かれていなくて、残りは「自分がいかにたくさんの夢をあきらめていたか気づいた」「聞き分けのいい子になろうとしていつも自分を殺していた」といった内容が切々と書かれています。それで最後は「そうじゃなくていいんだと気づいた」と力強い言葉で締めてくれる子がたくさんいるんです。私自身、子供の頃、「ロケットや飛行機は無駄だ」とさんざん大人たちから言われていたので、子供たちの気持ちが理解できるんですよ。
 いまの子供たちは、夢がないから夢中になれない。好きなことがない、やりたいことがないと話す子供が本当に多い。そんな子供たちに夢を持ち続けることの大切さを伝えていきたいんです。

――モノづくりというのは一種オタクの世界に近いと感じます。とことん執着しないと優れた製品は作れませんから…。大人に言われたことに従うだけで熱中できることがない子供たちばかりになったら、日本の強みと言われているモノづくりの力が失われてしまうかも知れませんね。

植松 世界の学生が参加する小型人工衛星の設計コンテストがあるのですが、日本人学生は可能な限り小さな缶にみっちりと部品を詰め込むそうです。対してアメリカ人は部品が入りきらなかったら缶をでかくする(笑)。日本人のモノづくりへのこだわりはDNAレベルで刷り込まれていると感じます。それが急速に失われつつあって、いま工業系の大学でも「危ないから」といって機械加工実習がなくなっているんです。実際にモノを作った経験がないまま設計するんですから恐ろしいことですよ。

理想とは北極星のようなもの

――ロケット教室の開催では共同事業を行っているロケットプレーン社のチャック・ラワー社長にも協力してもらったとか。

植松 北海道で理科の授業に採り入れられたときに国内のモデルロケットがなくなってしまい、彼に「子供たちのために2000機ほしい」といったら、「急ぐだろうし、航空運賃がもったいないから」といって段ボール24箱を手荷物に自分で持ってきてくれました。チャックとはビジネスパートナーというだけでなく、友人としてもつきあっています。

――ロケットプレーン社とはどのような提携事業を?

植松 ロケットプレーン社は、スペースシャトルのような再使用型ロケットによる宇宙旅行と宇宙空間での実験環境の提供などを目指しています。安全なロケットエンジンといった、そのために必要な技術がすべて当社にあったことで提携しました。チャックとは日本で行われた懇親会でたまたま知り合ったんです。
 本当に人との出会いは不思議だと思います。そもそも宇宙開発をやろうと決断したのは、青年会議所の主催である児童養護施設を慰問したことがきっかけでした。そこで児童虐待を受けた子供たちを目の当たりしてショックを受けた。子供の可能性を奪う大人の存在に憤りを感じました。でも、いくら頑張って自分の会社(植松電機)をよくしても、この子たちを助けられない。ただもしかしたら、自分が宇宙開発という夢を目指し、それを子供たちに伝えられたら彼らも夢をあきらめないかも知れないと思ったんです。そうしたら(CAMUIロケット発明者の)永田先生と偶然出会った。これは運命だと感じましたね。

――そうした経緯から人材育成を第一目的にしているのですか……。

植松 宇宙開発のほかにも夢があって、それは(1)住むためのコストを10分の1にする(2)食べるためのコストを半分にする(3)勉強するコストをゼロにする――の3つです。これが実現できたら日本人の自由に使える時間が増え、結果クリエイティブな人材が育つ社会になると考えています。実際、(1)は地元の建設会社の協力で低コスト住宅の開発に着手していますし、(3)は近隣の工業団地を買い取って大学をつくる計画を進めています。
 私の話はみんな理想論かも知れませんが、理想とは北極星のようなもので、決して手は届かないけど自分が進むべき方向を教えてくれる。94年に会社経営に携わるようになって最初の3年間はもの凄く大変で、なぜ自分は経営をしているのかずいぶん悩みました。そんなときでも理想があったから軸足がぶれずにここまでこれたんだと思っています。

(インタビュー・構成/本誌・千葉博文)

掲載:『戦略経営者』2008年4月号