1944年の会社設立以来、1度も赤字に陥ったことのない会社が大阪にある。ばね業界では知る人ぞ知る「東海バネ工業」だ。いったいどんな仕組みで黒字路線を走り続けているのかを直撃した。

プロフィール
わたなべ・よしき●1945年7月、大阪府生まれ。近畿大学経済学部卒。5年ほど実家の鉄工所で働いた後、73年10月東海バネ工業に入社し、83年10月社長就任。2008年度に収益力の高さが評価され、一橋大学大学院から「ポーター賞」を贈られる。

言い値で買ってもらえる会社にならなければならない

東海バネ工業代表取締役社長 渡辺良機氏

渡辺良機 氏

──電波塔として世界一の高さを誇る「東京スカイツリー」(634メートル)が開業して丸1年が経ちましたが、その最上部に東海バネ工業さんのばねが使われているそうですね。

渡辺 はい。地上約620メートルのところに、地震や強風から塔を守るための「制振装置」が2基設置されているのですが、そのなかに当社のばねがそれぞれ4個ずつ組み込まれています。1個のばねの大きさは外径約60センチ、高さ120センチ、重さ約800キログラムです。このような「でかくて特殊なばねを作る」のを、当社は昔から得意にしていたことで注文がきたのですが、職人たちにとっても誇らしい仕事をさせてもらいましたね。

──そもそも渡辺社長が入社されたのは、先代(故南谷三男氏)に次期社長含みで誘われたのがきっかけだったとか……。

渡辺 1973年、私が28歳のときのことでした。先代は岐阜県羽島市出身、8人兄弟の3男で、小学校を出るやいなや風呂敷包み1つを持って、大阪に丁稚奉公に出てきました。人にできないような努力をして、1934年に東海バネ工業を創業しました。
 当初、後継者として3人の娘婿を考えていたらしいのですが、いずれも事情があって断られてしまった結果、お鉢が私に回ってきたのでした(笑)。私の兄が次女の婿だったことによります。私の実家は鉄工所を営んでいて、兄が後継ぎで、次男の私は大学卒業後、5年ほど兄の片腕として働いていたときに誘いを受けました。そのときの口説き文句は、第1に会社設立(1944年10月)以来一度も赤字を出していないこと、第2に取引先に立派な大手企業が多いことでした。要はつぶれる心配はないからということだったのですが、いざ入社してみると、話が少し違うなと思いました。

──どういう点が。

渡辺 確かに赤字にはなっていませんでしたが、いつもふうふういっていました。手作りのばね屋だからどうしてもコストがかかってしまい、もうけがほとんど出ないような企業体質だったからです。
 先代が会社を立ち上げたとき、すでに世の中にはばねメーカーが数多くあり、彼らのシェアを荒らすようなことをしたらひねりつぶされてしまいます。そんななかで後発の当社が生き残る道として、先代が考えたのは、先発メーカーが嫌がるような“ニッチ”にターゲットを当てたことでした。つまり単品で、手間がかかり、高精度が要求される特殊ばねをメーン製品にしたということです。
 その発想・戦略は正しいといえますが、ビジネスは決して甘くありません。「値段が高い」とお客さまに叱られることがままあり、そのたびに値引きに応じていました。値引きをすれば利益が薄くなるのに、断れずにいました。
 そもそも他社が嫌がるような仕事とは、機械でばねを作るのが難しい領域であるということ。機械による大量生産ができないもの、職人の高度な技を使わなければできないようなものは単価(コスト)が高くなって当然です。しかし、お客さまはわがままで「もっと安くしろ」と必ず言います。“単品ばねなら東海”という看板を掲げたのはよいが、それで果たしてこれから先もやっていけるのか。何とも難しいビジネスモデルの会社のかじ取りを任されたと、ずいぶん悩みましたね。

──それでどうされたのですか。

渡辺 ある日、先代がパンフレットを持ってきてくれて、「今度(75年ごろ)ばね業界で、ヨーロッパへ視察に行くが、おまえも行って勉強してこい」と。で、行きましてね、最初に訪問したのがドイツのばね会社だったのですが、そこで“衝撃”を受けました。
 その会社も手作りのばねメーカーだったので、当社と同じような悩みを抱えているはずだと思い、「お客さまから値引きを要求されたとき、どのように対応されていますか」と、その会社の社長に質問しました。すると、社長は「価格が折り合わなければ注文を受けないだけ。手作りのばね屋が値引きして売っていたのではやっていけない」と。それを聞いて目から鱗が落ちましたね。これまで当社は注文が欲しいばっかりに値引きに応じていたが、それではダメなんだと。これからは「言い値で買っていただけるような会社にならなければいけない」ということに気づかされたのです。

注文にレスポンスよく対応できるシステムを構築

──言い値で買ってもらえるようにするために、どんなことをされたのですか。

渡辺 金属ばねメーカーは国内に約3,000社あります。その国内需要の約85%は自動車、家電、情報通信などの量産品向けからなりますが、当社がターゲットにしているのは、そこではなく、残りの約15%の特殊用途向け(原子力発電所の安全弁ばね、船舶機関部用ばねなど)です。例えば自動車メーカーの場合、期首に生産販売計画を立て、それに基づき各下請けメーカーに部品を発注しますが、当社が対象にしているお客さまはそれとは真逆の「必要なばねを必要なときに必要な量だけ、大至急納品して欲しい」という形で発注します。その1回当たりの平均注文個数は約5個。だから当社のビジネスモデルは、「下町のスナック」のようなものだといえます。つまり夕方になって店を開けてみなければ、今日お客さまが何人来られるかわからないということ。坊主の日もあるかもしれません。毎日が正念場で枕を高くして寝られないビジネスモデルです。
 そういう形で商売をさせてもらっているなかで、言い値で買ってもらえるようにするためにどうしたらよいかを考えたとき、まずはコンピューターを導入してみようと思いました。

──それは70年代後半のことですか?

渡辺 今から40年近く前のことです。そこで、ある経営コンサルタントに指導をお願いしたところ「ヒントをつかめるかもしれない」ということで、大阪府下の酒小売店に連れて行かれました。そこのご主人が「今、このあたりで年間1億円を売る酒屋はよう売る店だと言われるが、うちはその3倍も売っているぞ」と。その秘訣は何か。画面を見せてもらうと、今日お伺いすべきお客さまのリストが縦に、それぞれのお客さまに今日売るべき商品が横に書き込まれていて、「それを店員に分担させ、軽四トラックに商品を積んで回ってこいというのが私の仕事です」と。今なら別に驚くような話ではないが、それを40年近く前にコンピューターで行っていたところに、この店のすごさがあると思いました。そこで、それをヒントにして最初にシステム化したのが「製造履歴管理システム」です。
 当時、東海バネの取引先数は約500社。それを約20名の営業員が分担していて、例えばA君が担当するお客さまから突然、「以前注文したあのばねを大至急作ってほしい」という注文がくると、A君はキャビネットを開け、該当するばねの図面を引っ張り出し、それを生産現場へ伝達するとともに、納期がいつごろになるかを後で回答していました。注文の問い合わせがきてから、納品日をお知らせするまでにタイムラグがありました。で、ここの部分をシステム化してレスポンスよく応えられるようにすれば、お客さまは「まけてほしい」とは言わず、言い値で買ってくれるだろうと。というのも当社に発注するお客さまは、設備の故障や製品の試作などで急にばねが必要になるケースが多いからです。スピーディーな対応は、値引き以上の効果があると考えたわけです。

──その製造履歴管理システムとは、どういうものなのでしょう。簡単に説明してください。

渡辺 例えば九州のある会社(B社)から「3年前に作ってもらったばねを3個」という注文の電話をいただくと、窓口の営業担当者がこれまでB社から受注したばねの履歴を画面上で確認して対応します。注文されたばね材料の在庫確認と工場の稼働状況などを勘案して、お客さまの要望に沿った形で納品日を提示しています。

──10年前にホームページ(HP)を抜本的にリニューアルしてネット注文にも本格的に乗り出しましたが、それは新規客の獲得が狙いだったのですか。

渡辺 当然、そうです。当社は、かれこれ60年も70年も特殊用途向けばねを探し歩いていましたから「単品市場」は掘り尽くしたと思っていました。ところが、2003年1月にHPをリニューアルしてネット受注に乗り出してみるとアクセス数が一気に増え、1年間で約100社の新規客を獲得しました。いかに単品でお困りの方が多いかがわかりました。例えば、個人の方から「ビンテージもののジッポライターのばねを作ってもらえませんか」という依頼を受けたこともあります。ちなみに前期(12年12月期)の注文件数は約900口・3万件で、それを現在は約10名の営業担当者でこなしています。要するに受発注業務のシステム化をはかったことで、取引先数約500社を900口・3万件に増やす一方、窓口業務の営業担当者を20名→10名に減らしたということです。
 当社が対象にしているお客さまは1回当たりの注文個数が少ないうえに、その頻度も低く、不定期です。数カ月に1度というケースもあれば、数年に1度というケースもありますが、単品で困っている方はたくさんおり、その人たちからの注文をかき集めれば相当なボリュームになります。その手段として、最もコストパフォーマンスが高いのがネットなわけです。

「社内技能検定制度」でばね職人を育成

──システム化に乗り出す一方で、1981年から「皿ばね」を手がけ始めましたが、狙いは。

渡辺 ばねにはコイルばね、板ばね、竹の子ばね、皿ばねなどがありますが、従来、当社が主に扱っていたのは発電所向けなどのコイルばねでした。しかし、経営の柱が1本より2本のほうが持続的に成長できると考え、新規参入を果たしたのが工作機械向け主軸用皿ばねでした。理由は当時、国内で主軸用皿ばねを作れる企業はなく、工作機械メーカーはみなドイツから輸入していたからです。
 そこで開発に着手して、81年にドイツ製に負けない皿ばねをようやく完成させたのですが、すんなり受け入れられたわけではありません。最初は「日本製」というだけで門前払いでしたが、試しに採用してくれたメーカーから評判が広がっていき、これまでに20万台以上の工作機械に搭載されています。今や皿ばねの年間売り上げはコイルばねをしのぎ、全体の約50%を占めるまでになっています。

──お客さまに言い値で買ってもらえるようにするためには、職人の育成も大きなポイントだったのでは……。

渡辺 それがベースですね。私の口癖は「ばねづくりは人づくり」なんですが、それは仕事を通じて自分(社員)の能力が伸びていく仕組みが会社にあること、あるいは自分たちが作るばねに誇りと喜びがあることです。

──その一環として3年前に豊岡神美台工場内に「啓匠館」を建設されたのですか。

渡辺 そうです。現在、当社の社員数は約90名で、このうち生産部門(伊丹工場と豊岡神美台工場)が約45名、残りが営業部門、総務部門からなります。
 コイルばねは、(1)お客さまの要望に基づき材料を切断(2)カットされた材料棒を加熱(3)巻き取り(4)端面切断(5)ミリ単位でのピッチ調整(6)再びばねを熱処理(7)端面仕上げ(8)ショットピーニング(9)完成検査という工程を経て作られます。現場で働く職人は、この一連の技術を段階を踏んでマスターしていくわけですが、それは独自の「社内技能検定制度」(3段階)に基づき行われており、これと賃金を連動させる仕組みにしています。
 レベル1は一応簡単なばねなら1人でできるくらいの水準、レベル2は中級程度、レベル3は多種多様な注文に応じられる匠の技を身につけていることです。それは機械を使わず、図面をみながら正確に手作業でばねを巻くことができるようになることを指します。わずか数個の注文のたびに機械の段取り替えなどを行えば、手間がかかりすぎますが、手作業なら迅速に対応することができます。創業以来、単品ばねなら東海という看板を掲げられているのは、腕のいい職人がいるからです。現在、レベル3の職人は10名もおらず、彼らは主に啓匠館でばねを製造しています。若い職人に「自分もいつかは啓匠館で働いてみたい」という憧れの舞台にしているわけです。
 いずれにしろ、当社が設立以来黒字経営を続けられているのは、特殊ばねにフォーカスして、職人による手作業でばねづくりしていることによります。2008年度に、こうした経営が評価されて、一橋大学大学院から「ポーター賞」を贈られたとき、今までの苦労が報われたような気がしましたね。

(インタビュー・構成/本誌・岩﨑敏夫)

掲載:『戦略経営者』2013年6月号