日本記憶能力育成協会の代表理事兼会長を務める池田義博氏は、記憶力日本選手権で3連覇を達成した「記憶術」の専門家だ。よく切った1組のトランプの並び順をわずか1分で記憶する超人的な記憶力の持ち主だが、実はそれは訓練のたまものにほかならないという。記憶能力の意義や、ビジネスパーソンにも役立つ記憶力向上のコツなどについて聞いた。

プロフィール
いけだ・よしひろ●1967年、茨城県生まれ。大学卒業後、大手通信機器メーカーにエンジニアとして入社。その後父親が亡くなり、会社を退職して家業の学習塾を継ぐ。塾の教材アイデアを探していた時に出会った記憶術に魅力を感じ独学で学びはじめる。10カ月間の訓練を経て初出場した2013年2月の記憶力日本選手権で見事優勝、その後3連覇を果たす。海外の記憶大会にも挑戦し2013年12月にロンドンで開催された記憶力世界選手権では日本人初の「記憶力のグランドマスター」の称号を獲得。

──記憶能力を向上する取り組みをはじめたきっかけについて教えてください。

池田義博氏

池田義博 氏

池田 私はもともと機械系エンジニアでしたが、1999年に父親ががんで亡くなり、家業の塾を継ぎました。その後塾のカリキュラムで何か新しいものを取り入れようと探していたところたまたま記憶術の存在を知ったのです。最初は何かうさんくさいなと思っていましたが、調べてみると脳の仕組みを使って効率良く覚えられるテクニックがあることが分かりだんだんと面白くなり、そうこうするうちに塾の運営そっちのけで記憶能力を向上させる練習に没頭するようになったのです。そして奈良県大和郡山市で毎年開催されている「記憶力日本選手権」に2013年の2月に出場したのが、記憶力の競技に参加した初めての経験となりました。

──大会で試される記憶力とはどんなものなのでしょう。

池田 物事をよく覚えられるという一般的な意味で言う記憶力とは異なります。テクニックを使って記憶力を上げていく方法が確立されているので、スポーツのようにトレーニングを積んで能力を向上させるのと同じような感覚ですね。私の場合は10カ月前から各種目の内容を分析し、それぞれに合わせた練習を繰り返すことで成績を上げる努力をしました。

──具体的にどんな種目が行われるのですか。

池田 問題用紙に書かれた人の名前と顔写真を15分以内に63名覚え、顔写真だけが印刷された解答用紙に氏名を記入する種目、ランダムに並んでいる150ケタの数字を5分以内にできるだけ多く覚える種目、無作為に並んでいる単語を順番通りに並べる種目、バラバラに切った1組のトランプの並び順を5分以内に記憶しそれを再現する種目、「2052年にミッキーマウスが米国大統領になる」などといった架空の年表を記憶する種目の5種目を、1日がかりで行います。おかげさまで150ケタの数字を記憶する種目で満点を獲得するなど初出場で初優勝することができました。その後2015年まで3年連続で優勝を達成しています。

──初出場で初優勝、その後3連覇とはすごいですね。記憶力の大会は日本以外でも開かれているのでしょうか。

池田 実は記憶力の競技は海外の方が盛んです。特にマインドマップを発明した英国人のトニー・ブザンが立ち上げた記憶力協会の大会は世界的に有名で、世界各国の支部で度々オープン大会が開かれています。私の場合、日本の大会参加者から「メーンは国際大会だ」と聞き、記念受験のつもりで2013年の8月のオーストラリアンオープンに参加しました。種目は日本の倍の10種目、進行は全て英語で行われるなど難しい面もありましたが、練習の成果もあり優勝することができました。

──海外でも初出場で優勝!世界チャンピオンですね。

池田 いやそれがもっと大きな大会があるんですよ。毎年12月に開かれる世界選手権が世界最大の記憶力の大会です。オーストラリアンオープンで優勝し、次はこの世界選手権にトライするしかないと思いましたが、世界中から優秀な出場者が集まる世界選手権で優勝するのは至難のわざです。そこで私は、大会である一定の条件をクリアすれば与えられる「グランドマスター」の称号を日本人で初めて獲得することを目標にしました。

──その条件とは?

池田 バラバラのトランプ1組の順番を2分以内に記憶するというのが1つ目の条件。2つ目の条件は制限時間1時間でトランプ10組以上の順番を記憶するということ。3つ目は制限時間1時間以内でランダムに並んでいる数字を1000ケタ以上記憶すること。約200人が参加したその大会の個人としての結果は28位だったのですが、競技種目に組み込まれているこの3つの条件を満たすことができ、目指していたグランドマスターの称号は獲得することができました。またこの大会でいろんな国の参加者が子どもたちを連れてきているのを見て、日本の子どもたちにもこういう環境でいい人生経験をさせたいなと思いました。講座などを通して記憶力向上について普及活動をするようになったきっかけです。

文字情報をイメージ化する

──そもそも記憶するメカニズムはどのような仕組みですか。

池田 耳の内側に、タツノオトシゴのような形をした記憶をつかさどる司令塔の役割を担っている「海馬」という部位があります。この海馬が、大事な情報だから長く残しておこうと判断すると記憶に残ります。ということはその海馬が情報を重要だと判断するために細工をしてやればよいわけです。その細工が何かというと感情です。人間の脳は感情がひも付いた記憶は強く残るようになっています。命の危険に直面したときに感じる恐怖や不安の記憶はいつまでも覚えていて、次に同じような危険に合わないようにしますよね。感情にからんだ記憶を優先して記憶するような仕組みになっているのです。

──ただビジネスなどではあまり感情が介在しないですよね。

池田 確かに文字情報などでは感情はわきにくいでしょう。従って「富士山は3776メートルの高さだ」「1年は365日ある」といった意味だけの記憶をもともと人間は苦手としています。しかしここが記憶術のポイントになるのですが、感情をからめるキーとしてイメージ化とエピソード記憶を使うことによって記憶能力を向上させることができます。イメージ化は情報を映像や絵に変換することをいい、エピソード記憶はいわゆる強い感情をともなった思い出のことを指します。つまり覚えたい情報を絵に変えて、なるべく自分にとってショッキングであったり面白かったりするイメージを思い浮かべることによって、脳に感情を刻みつけて強い記憶を残すというやり方です。もちろんまずは「覚えたい」という本人のやる気の存在が大きな前提となりますが。

──人の名前と顔が一致しなくて困ることがあるのですが、覚えるコツはありますか。

池田 人の名前を覚えるのが苦手というひとは多いと思います。映像としての顔の情報と名前という文字情報を別々に覚え、それをリンクさせるという複雑な作業が必要だからです。そんな方はまず、「芸能人の誰かに似ている」「まゆげが濃い」「鼻が大きい」などなんでもいいので心の中で顔の印象を言語化してみてください。その後に例えば山本さんであれば、その山本という文字情報を語呂合わせなどで自由にイメージ化します。例えば「この人は読書好きで、自宅には山のように本が積んである」という光景を映像として思い浮かべるわけです。自分のなかでストーリーをつくり、連想させ、イメージをふくらませ、感情を動かすのです。そうすると不思議と人の名前がすぐに覚えられるようになります。

──暗記するのに空想力が必要なのですね。

池田 私が大会でうまくいった例ですが、バシングスン・ウェイトという名前を覚えるのに、「この人はボクサーで、大会が近づいているのに減量がうまくいっていない。それをトレーナーに怒られて殴られ、体重計の上でしょんぼりしている」という物語をつくりました。「バシンとやられウェイト計の上でグスンとしている」という具合ですね。記憶を残すために、こんな風にありえないシチュエーションを想像していると、単なる記憶力のトレーニングだけでなく、アイデアを生み出す力や想像力・創造力も鍛えられているような気がしてくるのが面白いところです。
 いずれにせよ、取引の営業スタッフや店員など一度しか合ったことのない人から「□□さん」と正確に名前で声をかけられたらそれだけでちょっと信頼できるような気がしてくるものです。社長から直々に名前で呼びかけられるのをうれしく思わない社員はいないでしょう。人の顔と名前を覚えるのはとても大切なことだと思います。

──数字を記録するのも役に立ちそうです。

池田 先日ある銀行の支店長にお話しする機会があり、ちょっとびっくりさせてやろうと思い、財務諸表や従業員数など会社四季報に掲載されているその銀行の数字をすべて披露してびっくりさせたことがあります。そこまではいかなくても、金融関係の営業パーソンは、担当する企業の直近3期くらいの財務諸表の変化が頭に入っているだけで、機動力や戦略のスピードが格段に速くなると思います。財務諸表に限らず数字は信頼を得る一番のツールですからね。「以前お会いしたのは○年△月□日でしたよね」とよどみなく言えるようになれば、間違いなく営業の武器になるでしょう。記憶術がビジネス分野で貢献できる範囲は広いと思います。

思い出す力が創造性を生む

──そこまで正確にたくさんの数字を記憶するのはやはり素人では無理ですよね。

池田 そうですね。わたしは数字を覚える時に、競技用に特化した方法としてPAO(パーソン・アクション・オブジェクト)法を用いています。これはゼロから99の100個の数字ひとつひとつに、それぞれ人とモノと行動についての情報をあらかじめ決めておき、数字の羅列を自動的にその情報に変換するようなシステムを作る方法です。例えば294501という数字があるとします。最初の2桁は29ですが、僕の場合は福山雅治さん。次の45はジャグリングをしているアクション。最後の01が示すモノは白い手袋にしています。つまり294501という数字は「福山雅治さんが白い手袋をしてジャグリングしている」絵に変換して覚えるのです。記憶の中に保管しているこの絵を思い出せば、それにひも付いた6桁の数字もすぐに出てくるというわけです。この方法を使えば、私の場合2000桁前後までの数字を記憶することができます。

──スマホなど身近なIT機器の普及によって、人間が記憶しなくてもよい社会になりつつあると思いますが、人の頭で覚えるという意義はどこにありますか。

池田 よく聞かれるのですが、私自身すべての事柄を記憶しているわけではありません。便利なツールは当然使いますよ。ただあまりに機械に依存しすぎるのはどうかと思いますね。記憶力は覚える力と思い出す力がセットになっており、年齢とともに落ちるのは思い出す力。これはある程度トレーニングしなければなりません。そもそも新しいアイデアが生まれるのは、脳内にバラバラに存在する情報があるとき何かのタイミングで化学反応を起こしたとき。いろんな情報がたくさん頭の中に入っていたほうが、確率的にその可能性が高まることは明らかです。ガジェットや電子機器に記憶のすべてを任せてしまっていると、その可能性を自ら放棄してしまうことになり危険だと思います。

──設立された日本記憶能力育成協会の活動内容と今後の目標について教えてください。

池田 現在は私が持っているベーシックな記憶の技術を覚えてもらう講座を開催しています。今後は営業員や金融機関従事者向けの専門講座、あるいは生徒の能力アップにつながるような塾向けのプログラムの提供も検討しています。それと個人的には60歳以上になったら世界選手権のシニアの部に挑戦して世界一の座を狙ってみたいですね。

(インタビュー・構成/本誌・植松啓介)

掲載:『戦略経営者』2016年6月号