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進むゲノム研究により3年・5年後の医療への応用の展望とは

近年、30億文字のゲノム解読をきっかけに、ゲノム研究が目覚ましい進展を遂げている。病気のなりやすさや、薬の効果・副作用に関する文字なども明らかになりつつあり、遺伝情報の医療への応用の期待も高まっている。しかし、ゲノム情報の蓄積が不十分であることなど、まだまだ基礎的な研究が必要な領域でもある。今後、研究がさらに進むことで、3年後、5年後の医療はどう変わるのか。理化学研究所統合生命医科学研究センターの久保充明副センター長に話をうかがった。

久保充明
独立行政法人理化学研究所
統合生命医科学研究センター
副センター長
聞き手/
本誌編集委員
丹羽 篤(医業経営コンサルタント)

Kubo Michiaki
九州大学医学部卒業。疫学研究で有名な久山町研究に従事。東京大学医科学研究所客員研究員、2006年より理研遺伝子多型研究センターグループディレクターなどを経て現職。オーダーメイド医療実現化プロジェクトリーダー。個人個人の遺伝的背景を考慮し、遺伝情報の違いに基づいた最適な医療を行うオーダーメイド医療の実現を目指している。2014年、第44回日本人類遺伝学会・学会賞受賞。

進歩するゲノム研究だが
基礎的研究がまだまだ必要

──ゲノム研究は新しい領域ということもあり、一般の人々にとっては馴染みが薄く、なかなか理解が難しいところがあります。
久保 まず、「ゲノム」とは人間の細胞の核にある“生命の設計図”ともいえるもので、遺伝情報全体のことを指す言葉です。ゲノムは、「A」「G」「C」「T」の4種類からなる30億文字の羅列で構成されているのですが、そのなかでタンパク質のつくり方を記録している場所を「遺伝子」と呼びます。遺伝子は、ゲノムの2%に過ぎず、残りの98%はタンパク質の生成をコントロールする役割を果たします。「DNA」(デオキシリボ核酸)は、ゲノムの物質の名称と考えるとわかりやすいと思います。
30億文字からなるゲノムは、父親と母親から1セットずつ受け継がれます。つまり、自分のゲノムと子どものゲノムは、半分は同じということです。そして、遺伝子によりタンパク質が生成され、皮膚や内臓などがつくられます。
また、30億文字の配列は、個々によって異なり、このことが個人差を生みます。たとえば、お酒が飲めない人は、アルコールを分解する酵素の働きを記録する遺伝子の文字が「A」なのですが、飲める人は「G」です。その違いでお酒が飲めるか飲めないかが変わるのです。ただ、実際は、両親から半分ずつ受け継いでいるので、2人から飲める遺伝子を継いだ人、2人から飲めない遺伝子を継いだ人、半々の人という3タイプに分かれます(図1参照)。
──30億文字の並びは個々によってすべて異なるということですか。
久保 全体の約3%、約1億文字に違いがあります。つまり、29億文字はすべての人間が同じで、それが人間が人間である所以でもあります。一方、1億文字の違いにより、背の高い人がいたり、太りやすい人がいたりということになります。
また、現時点では、約1億文字のうち、約1万文字が病気に関係する部分であることがわかっています。ただ、残り9,999万文字は解明できていません。そういう意味では、まだまだ基礎的な研究が必要な領域といえます。
そもそも、本格的なゲノム研究は1950年代に始まり、30億文字が初めて明らかになったのが2003年です。それまでは、予測はついていましたが、どのように文字が並んでいるのかはわかりませんでした。この配列が明らかになったことで劇的に研究が進展することになります。「30億文字のなかで違いがある場所はどこか」「どういう違いがあるのか」などが少しずつ明らかになってきました。文字の違いと病気との関連性についての研究も進みました。
他方、2000年代後半からは、文字が違う場所だけでなく、30億文字すべてを調べる研究が始まります。2003年時点では、1人分の30億文字を解読するために、約1億ドルの費用と約13年の期間がかかっていました。しかし、次世代シークエンサーという技術で、今では約1,000ドルの費用と3~4日の期間で解読が可能となりました。
特にこの10年間で、ゲノム研究は目覚ましい進歩を遂げています。それにともない、医療への応用の期待、そしてその実現可能性も日々高まっています。

薬の効果・副作用の情報で
オーダーメイド医療も可能に

──今後は、その遺伝情報を実際の医療にいかに応用していくかということになりますね。
久保 病気に関連する1万文字のうちの約9割は「病気のなりやすさ」に関係する場所で、残りの1割は「薬の効果と副作用」に関するところです。それをいかに医療に応用していくか。可能性としては大きく2つあります。
1つは、「薬の効果と副作用」の遺伝情報を実際の治療に応用していくこと。一般に、病気にかかると薬によるスタンダードな治療が進められるわけですが、一部の患者は遺伝的要因から重大な副作用が表れたり、思うような効果が出なかったりします。そうしたなか、薬の効果や副作用に関する遺伝情報を事前に調べ、それに合わせて治療法を変えていくわけです。それにより、真のオーダーメイド医療が実現できます。
──薬の効果と副作用についても、お酒の例のように、3タイプに分かれるのでしょうか。
久保 薬は、お酒のように単純なものではなく、多くの文字が関係しているので、そのパターンが複雑になるのです。それが、医療現場で遺伝子検査がほとんどやられていない理由でもあり、厚生労働省にしても、医薬品医療機器総合機構(PMDA)にしても、なかなかその認可をためらっている要因でもあります。
──現在の医療機関では、薬に関する遺伝情報を調べるということはされていないのですか。
久保 薬に関する遺伝子検査について、今、日本で保険適用になっているのは、「イリノテカン」という抗がん剤だけです。この薬は、ある遺伝子タイプを持っていると、濃度が10倍に上がり、副作用が強く表れることがわかっているので、使用する前に遺伝子検査でそのリスクを確認することになります。
現在は1種類ですが、私たちが臨床研究を進めているものに、「カルバマゼピン」というてんかん薬があります。この薬を使う患者の3~5%に蕁麻疹が出るのですが、それが特定の遺伝子と関係していることがわかりました。リスクを持つ患者には薬を使わないことで、発症率を約半分に抑えられることが実証できた。論文をまとめ、PMDAに遺伝子検査の保険適用の申請を始める段階です。
現時点では、薬の使い分けに関する遺伝情報の応用はまだまだですが、それぞれ臨床研究として少しずつ前に進んでいる状況です。

病気になりやすさ」の情報で
適切な予防医療に期待

──他方、2つ目の可能性について教えてください。
久保 2つ目は、「病気になりやすさ」の遺伝情報をより適切な予防医療につなげることです。これは「ゲノム予防」といわれる考え方で、もう少し現実的な話です。現在、一般の健康診断では、「血圧が高い」「HbA1cが高い」ということがあれば、生活習慣の改善指導が行われます。そこに遺伝情報が加わることで、たとえば、肺がんのリスクを持っていれば、「食事よりも煙草を止めましょう」など、指導内容がより明確なものとなり、自分も具体的に何に気をつければよいのかがわかります。
──遺伝情報によって、より効果が高い予防に取り組むことができるようになるわけですね。
久保 そのとおりです。たとえば、「糖尿病になりやすい」という原因遺伝子は70ぐらい特定されていて、そのなかではインスリンの「分泌が悪いタイプ」と「取り込みが悪いタイプ」があることがわかっています。情報の蓄積が足りないため、それを明確に分類できるまでには至っていませんが、今後、情報が集まり、研究が進むことによって、そのタイプが明確にわかるようになるでしょう。すると医療現場で、インスリンの分泌が悪い患者には食事制限、取り込みが悪い患者には運動といった、より効果的な指導ができるようになることも期待されます。
──すでに遺伝情報が応用されている医療分野としてはどのようなものがあるのでしょうか。
久保 最も進んでいるのはダウン症の出生前診断です。メリットは羊水検査が不要で、母親の血液を採取するだけで精度の高い診断ができることです。ただ保険適用はされていません。
あとは、がん治療です。がんはゲノムの異常で起こる病気であることがわかっていて、その異常に対する薬が次々と開発されています。その多くが保険適用となっています。今、話題になっている肺がんの分子標的薬もその1つで、劇的な効果を上げているケースもあります。
ただ、分子標的薬には問題もあり、1つは、これまでの抗癌剤と生存率が変わらない場合があるということ。たとえば、慢性骨髄白血病は分子標的薬によって生存率が格段に上がりましたが、すべてがそうした結果には結びついていません。2つ目は薬の値段です。たとえば、慢性骨髄白血病の飲み薬は1か月約30万円です。新しく開発された薬になればなるほど値段は上がります。保険適用されているので患者の自己負担は一定ですが、国の医療財政を圧迫する一因となっています。

民間企業の遺伝子ビジネスは
まだまだ“おみくじ”レベル

──昨今、遺伝子検査ビジネスが広がりを見せ、民間企業の参入も活発化していますが。
久保 この件についてはいくつか問題があると考えています。
民間企業の遺伝子検査ビジネスは、2~3万円の費用と唾液の採取だけで病気の遺伝的リスクが調べられるということで、一般の方々にとっては確かに簡単です。
ただし、遺伝情報はそんなに単純なものではなく、実際には遺伝的リスクが高くても病気にならない人がいたり、逆にリスクが低くても病気になる人がいたりします。遺伝情報だけで病気になるかならないかを判断することはできないのです。おそらく一般の方々は、その結果だけを見て判断することになり非常に危険です。
また、リスクが高いという結果が出た時、具体的に何をすればよいのかがわかっていません。毎年の健康診断を半年ごとに受ければ病気の発症や重症化を防ぐことができるのか。リスクが低い場合、健康診断を5年に1回にしてもよいのか。現時点では、何をどうすればよいのか、確定したものはないのです。
私の考えでは、民間企業が行っている遺伝子ビジネスは、今のところ“おみくじ”のようなものだと捉えています。
その一方で、多くの「遺伝病」が明らかになっているのですが、実際の患者数が少ないこともあり、それらの遺伝子検査について、ほとんど保険適用にはなっていません。現時点で36種類だけです。
広く知られている遺伝病としては「遺伝性乳がん」がありますが、それですら保険適用にはなっていません。もっと気軽に検査ができるようになれば、リスクがある人は若い時から乳がん検診を受けるなどの対応をとることができるのですが、現時点ではなかなか実用化されていないのが現状です。

情報のさらなる蓄積で
次のステージに進むゲノム研究

──遺伝情報はセンシティブなもので、なかなか取扱いが難しい側面がありますね。
久保 そのとおりです。特に遺伝病に関しては影響が大きい。自分だけでなく、兄弟や子ども、若い人は婚姻にも影響します。就職にも不利に働くこともありますし、保険に加入できないというケースが出てくるかもしれません。
実は、すべての人間が、遺伝病の原因となる異常を5~10は持っていることはあまり知られていません。遺伝性乳がんは、1つ持っているだけで発症しますが、ほとんどの遺伝病は2つ揃ったときに発症します。つまり、父親から遺伝病のリスクを受け取っても、母親がそのリスクを持っていなければ遺伝病は発症しないわけです。しかも両親がたまたま同じリスクを持っている確率はとても低い。
つまり、たまたま2つ揃わなかったので発症しなかっただけで、遺伝的異常は誰でも持っているということです。遺伝病は特別なものではないのです。そうした考え方が浸透してほしいと思います。そうなれば、人々の偏見もなくなり、遺伝子検査に対する考え方、薬の副作用や一般の病気に対する考え方などもよい方向に変わっていくような気がします。
──まだまだゲノム研究は道半ばというところでしょうか。今後、研究が進むことによって、現在、正しいとされている考えが180度変わることもありそうですね。
久保 そうですね。たとえば、遺伝性乳がんについても、技術が進んで、新しい異常がどんどん見つかり始めています。すると、どこの異常がよりリスクが高くて、どこは低いのかということがより詳細にわかってくるわけです。
また、これまでは何百人レベルの遺伝情報から解析して研究してきましたが、今後、多くの遺伝情報が集まり、数千人、数万人の単位で調べると、これまでとは別の結果が導き出されるかもしれません。「確実に間違いない」というものもあり、それは揺るがないと思いますが、それ以上にグレーゾーンの部分はたくさんあります。いずれにしても、ゲノム研究は今後、どんどん進化していく分野であることは間違いありません。
──ゲノム研究は、この10年間で加速度的に進展しましたが、次のステージに上がるためにはどのようなことが求められますか。
久保 全ゲノムの30億文字の解析コストを下げることです。先ほど1,000ドルといいましたが、日本では約15万円。すると1万人のゲノムを読むだけで、15億円の費用がかかる。そこからスーパーコンピュータで文字の違いを調べたりすれば、そのコストは莫大です。そのことがゲノム情報が蓄積されていない一因となっています。これが改善され、10万人、20万人の日本人の情報がたまると大きく変わるでしょう。
もう1点、ゲノムの文字の違いや病気への影響だけでなく、5年後、10年後にどれぐらいの割合で病気が発症するのか、病気になる人とならない人の差は何なのかなどを明らかにする臨床研究が進まないといけません。おそらく今後3年、5年の間に、そういう臨床研究が次々に立ち上がってくると思います。それにより、一気にゲノム研究は次のステージに動き始める可能性があります。(平成28年6月22日/構成・佐々木隆一)

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