1996年10月号Vol.1

【戸籍こぼれ話】妻問い婚から嫁取り婚へ

地方公共団体事業部第二業務部長 石井利光

古里求めて 花いちもんめ
(古里恋しい……)
古里求めて 花いちもんめ
もんめ もんめ 花いちもんめ
○○さん 求めて 花いちもんめ
(○○さん恋しい……)
勝って 嬉しい 花いちもんめ
負けて 悔しい 花いちもんめ

 この唄の意味するところは鬼ごっこの一種だろうと思いますが、この唄ができたのがいつの時代かは知る由もありません。しかし、神代の時代、奈良・室町の時代であったらと考えると、単に“わらべ唄”として片付けられなくなってしまうのです。

 村ムラ即集落という時代は、その構成員が旅に出るときは村人総出で村外れまで見送りをし、旅の安全を祈りました。そして村外れには祠を建てて、石に彫刻を施してそれに色を塗って祭ったりしたものです。その中で人を彫ったものを、一般的には道祖神と呼んでいます。

 道祖神は「旅の安全、悪霊の祓い、五穀豊穣に加えて子孫繁栄に御利益がある」といわれています。年に何回かのお祭りには、近隣の村人が集まって夜を通して踊り明かしたのではないかと想像されます。

 この唄が、この時代のものであればどうでしょうか? 恐らく子供のものではなく大人の唄だったのでしょう。子供の唄であれば“古里を求め ○○さんが欲しい”(古里が恋しい○○さんが恋しい)などと物騒な言葉は出ないのではと思いますが、いかがでしょうか? この時代の唄であれば「なるほど」と頷けます。この他、1人の女を巡る男同士の掛合いに、好き合った男女の恋の告白に、歌が唄われた(これを「歌垣、歌合」という)といわれています。

 縄文より前の時代の家族関係、生活様式、政治体制などは、恐らく一族が集団を形成し共同生活をしていたのでしょう。政治体制といえる程のものはなく、占術を“神のお告げ”として一族を統率したものと考えられます。ところで、この時代の種の保存、そのための行動様式が、どうなっていたのかが問題になります。これに対する答えのひとつが前に述べた“お祭り”で、その際に冒頭に掲げたような歌を唄い、踊りながら相手を探し、相手が決まると夜の闇に消え、その後は男が女の元に通い詰めたのではないでしょうか。これを「妻問い婚」というのだと思います。妻問い婚はこのようにして成立しますが、この関係の解消は“男が行かなくなった時”です。そして、生まれた子供は“出産した女ひとりの子”の観念はなく“女の属する集団の子”として育てられたのです。

 女の集団を女系系統性と学問的には呼びます(これに対し男主体の方を男系系統性と名付けています)。また、婚姻の相手方は自分の属する集団以外であるのが原則で、これを族外婚といいます。

 婚姻障害、いわゆる現行民法では伯(叔)父母と甥姪は三親等の親族なので婚姻はできないのですが、この時代は三親等か否かを知る方法がなく、妻問いも1人の女性、あるいはひとつの集団とは限りませんので、異母兄弟姉妹の関係は判断できないことになります。このため同母の兄弟姉妹の婚姻は禁止されますが、その他は制限することはできないのが実情でした。

 縄文後期から弥生時代に入ると農耕、特に稲作が普及し、生活様式も従来の木の実の採取・狩猟によるものではなく土地に定着した生活が一般となり、行動範囲も狭く農耕重点の生活様式になりました。こうなると農業を維持するための労働力の確保が重要な課題となります。それでも弥生初期の時代には、農地の開墾や水田のための水路の開鑿など重労働を伴う作業があり、この完遂は共同作業によっていたため生活様式に大きな変化はありませんでした。

 しかし、一応の完成を見ると耕作地への愛着や収穫物に対する私(家族)の物とする意識が生まれ、この意識の発展に伴って氏族集団の役割にも変化が生じ、集団は外からの侵入・侵害を防止する共同体、家は私的生活の場所となりました。

 そうなると労働力の確保等に力仕事のできる男が必要になります。この必要から妻問いの男性を自分の家に囲い込んでしまったのではないでしょうか。つまり、婿入り婚と呼ばれる婚姻形式の原点がこれであろうと思います。男が家族に夫婦で定住するようになると、力関係が生まれてきます。弱者は強者につくのが世の常..男の力が強くなりますと、今度は男を女の家に入れる“婿入りの習慣”が、女を男の家に迎える“嫁取り”へと転換しました。

 妻問いから婿入り、婿入りから嫁取りへと転換してきたといっても、“この時点から婿入り、ここからが嫁取り”と格別に分けられるものではなく、これらが混合し乱れながら時代が過ぎていったのではないでしょうか。妻問いをして暫くすると、妻側で現場を押さえそのまま男がその家に住み着くのが婿入り、婿入りして何年かしてから妻を男の家に連れていくのが嫁取りと、ひと組の夫婦が辿る道筋を考えるのもまた面白く、なるほどと納得していただけるのではないでしょうか。

 一部の地方ではごく最近まで“帰り婿・三年婿・年期婿”と称して嫁となるべき家に入って働く習慣が、また別の地方には妻問い的なものがあった、といわれています。さらに地方によっては掠奪婚の風習があったともいわれていますが、学問的には「日本においては、掠奪婚の風習は存在しなかった」とする意見が多いようです。

参考文献:「別冊太陽・婚礼」(昭和50年3月)
     「家族問題と家族法・結婚」
     「日本歴史・別巻2」
     「体系日本史叢書4・法制史」
     「青林双書・日本法制史」

平成9年4月から消費税率が5%に

 平成9年4月1日から消費税の税率が5%(うち1%分は地方消費税)に引き上げられ、4月以後に国内で行われる課税資産の譲渡等や同日以後に保税地域から引き取られる外国貨物について適用されることになりました。平成6年11月に成立した税制改革関連法において、すでに実施されている所得税・個人住人税の恒久減税と一体のものとして、平成9年4月から消費税率を5%とすることが定められています(平成6年法律第109号)。

 しかし、この消費税の税率については、社会保障等に要する費用の財源を確保する観点や行財政の改革の推進の状況、あるいは租税特別措置法等や消費税の課税の適正化や財政状況等を総合的に勘案して検討し、必要があると認めた時は、平成8年9月30日までに所要の措置を講じる旨の「検討条項」が設けられています。

 政府は、平成8年6月25日、上記の規定に基づく検討を行った結果、わが国の中・長期的発展のためには経済構造改革の重要な柱である平成6年秋の税制改革を確実に実施していくことが必要と考えられ、すでに法定されている5%を変更せずに平成9年4月1日から施行することを確認するとの閣議決定をしました。

経過措置により複数税率に

 5%税率の適用は、その経過措置として“公共料金や平成8年9月30日までに締結された請負契約などに基づく資産の譲渡等については、平成9年4月1日以後に行うものでも3%税率の適用がある”ものがあります。このため、経過措置の適用がある課税期間については、実質的に3%と5%との複数税率が適用されることになり、平成9年4月以後の課税期間については、その納付すべき消費税額の計算を期末に一括して集計するような帳簿上の処理はきわめて困難ということになります。

地方消費税の創設

 新たに地方消費税が創設され、平成9年4月に施行されます。地方消費税の課税標準は、課税資産の譲渡等にかかわる消費税額(譲渡割)および保税地域から引き取られる外国貨物にかかわる消費税額(貨物割)であり、税率はいずれもその25%とされています。したがって、消費税の税率4%と地方消費税の税率1%(4%×0.25)とを合わせた税率は5%ということになりますから、一般には消費税率が5%に引き上げられるといわれているところです。

 地方消費税の申告と納税等については、当分の間は消費税の申告と同様に税務署長や税関長に行うこととされています。

(TKC税務研究所・榑林 功)

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