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「健康を決める力」を向上させるため医師・患者にできることは何か

インターネットを中心に、医療や健康に関する不正確な情報が拡散され続けている。こうした状況では、正しい情報をもとに意思決定することがより一層重要となる。そのためのヘルスリテラシー=「健康を決める力」を向上させるために、医療機関や患者自身は何ができるのか。ヘルスリテラシーを研究する中山和弘教授に話をうかがった。

織田正道 氏 中山 和弘
聖路加国際大学大学院
看護学研究科看護情報学分野 教授


Nakayama Kazuhiro

東京大学医学部保健学科卒業後、同大大学院医学系研究科保健学専攻博士課程修了。日本学術振興会特別研究員、愛知県立看護大助教授などを経て、2004年に現職に就任。「日本ヘルスリテラシー学会」運営委員を務める。

聞き手/TKC全国会医業・会計システム研究会 広報委員会委員 若山由希子

日本のヘルスリテラシーは低い
意思決定力を高めることが重要

──中山先生は、「ヘルスリテラシー」に関する研究がご専門とうかがっています。そもそも、先生はヘルスリテラシーをどのように定義していますか。

中山 私はヘルスリテラシーについて、「健康に関する情報を入手し、理解し、評価し、意思決定する力」と説明していて、「健康を決める力」とも呼んでいます(図表1参照)。
 なお、ここでいう「意思決定」とは、2つ以上の選択肢のなかから1つを選ぶことをいいます。
 近年の研究では、ヘルスリテラシーが低い人は健康状態がよくなく、健康格差の要因となっていることが明らかになってきました。
 私たちが、ヨーロッパで普及しているヘルスリテラシーの尺度をもとに日本で調査したところ、日本のヘルスリテラシーが世界的に低いことが分かりました(図表2参照)。
 なかでも、「情報入手」「理解」「評価」「意思決定」のプロセスのうち、「評価」と「意思決定」が低かったのです。これは、健康法や治療法についての情報を得られても、自分にとってどれがよいのかを判断するのが難しい、という状況にあることを示しています。

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──日本のヘルスリテラシーが低い原因は何でしょうか。

中山 いくつか挙げられると思います。まず、「信頼できる情報の不足」があるでしょう。評価をするには、まず情報の信頼性を判断できることが重要になります。
 しかし、主な情報源となるインターネットとマスメディアについて考えてみると、日本語のウェブサイトの情報は質が高いとはいえない状態です。
 マスメディアについても同様です。たとえばテレビ番組で健康に関係する内容を取り上げる場合、たとえ監修の医師がいたとしても、大半は1人で行っていますし、その医師はあくまで医学的に正しいかどうかを判断するだけです。「見ている人がどう受け止めるか」ということに関してはプロとはいえません。
 日本では、医療関係の情報が一般の市民にはどう受け止められるか、誤解がないようにするにはどう伝えるべきか、といったことについての研究がまだ進んでいないのです。
 また、意思決定に関する教育の不足も原因の1つでしょう。選択肢に何があって、長所と短所はどういったことで、どれが自分にとって大事かを比べて、優先順位を付けて選ぶ――という意思決定の方法を、学校で教わることはほとんどありません。しかし、海外では授業のなかで意思決定について教育しています。

──「リテラシー」と聞くと、情報の入手と理解のイメージを持つ方が多いと思われます。意思決定の段階まで能力を高めることが重要になるのでしょうか。

中山 最終的には「自分にとってよりよい結果になるような行動は何か」を考え、意思決定するために情報があるはずです。特に、医療や健康はそれ自体に価値があります。健康の定義にもよるのですが、多くの人にとって「健康であること=よいこと」でしょう。
 「健康でなくてもよい」と考えることも意思決定の1つではありますが、実際には健康や医療に関する正しい情報を得られていないために、そのような意思決定をしている人もいるでしょう。
 少し話が大きくなりますが、社会全体で考えてみても、健康でなくてよいと考える人が感染症にかかった結果、感染症を拡散してしまえば集団の健康問題になりますし、もしそうした人が重い病気にかかれば高額な医療費がかかり、社会保障の継続性の問題にもなり得ます。

ヘルスリテラシー向上にはかかりつけ医の役割も大きい

──「健康を決める力」は、個人としても社会としても必要になるのですね。

中山 しかし、先ほども申しました通り、日本では教育カリキュラムのなかに意思決定に関する内容がほとんど入っていません。自分で判断する機会が少ないまま、突然意思決定を迫られることもあり得ます。
 たとえば、がんであることが判明し、医師から「次に来るまでに手術するかどうか決めてください」と言われたとします。そうしたとき、すぐに治療法を選択できるかというと、治療法や健康に関して情報を集めていたとしても、日常的に自分事として考えていなければ選べないのではないかと思います。
 特に近年は「人生会議」や「アドバンス・ケア・プランニング」が注目されていますが、人生の最期に治療をやめるかどうかを自分が選択することもあり得ます。
意思決定のためには、あくまで当事者その人の価値観が重要になります。医療者側に価値観があるわけではありません。
 意思決定の力を伸ばすには、自分で好きなものを決められるようにすること、決めたいときに情報を得られるようにすること、そして、そうした教育環境が整っていることが重要です。
 本当は小さいころから、自分は何が好きで何が嫌いかということを自然に学んでいるはずです。つまり、価値観というのは自分らしさであるともいえます。教育の現場では「個の尊重」といわれていますが、単に知識を教えて理解させるだけではなく、実際に意思決定をさせて、価値観をはぐくむ必要があると思います。実際、海外では教育のなかで意思決定への参加度を計測している国もあるそうです。

──ヘルスリテラシーを向上させるには、教育の役割が重要になることが理解できました。そのほかに、ヘルスリテラシーを高めるための要素はあるのでしょうか。

中山 プライマリケアの役割も大きいと思います。ヘルスリテラシーが高いとされるオランダや台湾では、総合診療を担当する家庭医が多くいます。
 日本ではかかりつけ医ともいいますが、患者さんの家族や、あるいは患者さんの住んでいる地域について知ることを通じて、かなり包括的に患者さんのことを診られるようになり、社会的処方や文化的処方ということも出てきています。人によってはいろいろな選択肢がある、さまざまな価値観があるということがプライマリケアの前提になっていると思うのです。

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──プライマリケアの段階では、ヘルスリテラシー向上のため、医師が患者に対してできる具体的な取り組みはあるのでしょうか。

中山 「シェアード・ディシジョン・メイキング(SDM)」という方法があります。これは「協働(共同)意思決定」とも訳されるのですが、情報を共有した上で患者さんの価値観をもとに決定する、という考え方です。
 そもそも「患者さんにがんの告知をしない」など、患者さんに対して治療の選択肢を示さない、という時期が長く続いてきましたが、そうした風潮は世界的に変わってきています。
 近年では日本でもこの方法を取り入れる医師も増えていて、たとえば乳がんの診療ガイドラインなどに記載されるようになりました。乳がんにはさまざまな治療法がある一方、治療法による生存率の差はそう大きくないとされています。しかし、見た目やQOLの関係で、価値観の相違による問題があります。そのなかで、医師が治療法を選択するというのは難しい。そこでSDMの取り組みが必要になります。

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患者の理解を確認することで信頼関係をつくる

──患者さんの価値観を尊重して治療法を決定することが重要なのですね。

中山 ただ、そもそも患者さんが情報を理解できていなければSDMは成り立ちません。
 アメリカでの調査によると、医師の説明についてほとんどの患者さんが理解していなかったうえ、医師が「わかりましたか」と聞くと、患者さんは理解できていないのに「イエス」と答えていたそうです。特に患者さんの学歴が高いほど、そういう傾向があるとのことでした。
 患者さんが本当に理解しているかどうかを判断する方法としては、「ティーチバック」という方法があります。これは「医師が行った説明を患者さんに自身の言葉で繰り返してもらう」というやり方です。似た方法に「ショウ・ミー・テクニック」、つまり「やってみてください」というものがあり、自己注射について説明するときなどに活用できます。
 そもそもコミュニケーションという言葉は、「共有する」という意味が語源です。ですから、まさに言った側と聞いた側が同じ内容を想定できなければ、コミュニケーションが成立したとはいえません。「この薬を1日3回飲んでください」という説明すら、わかったつもりでいても、実際にはわかっていない人もおられるのです。
 ティーチバックはヘルスリテラシーの向上につながりますし、そもそも、コミュニケーションが成り立つということは、信頼関係が生まれることだと思っています。

──SDMに取り組むことで、医療者側にはどういったメリットが生まれますか。

中山 私が前立腺がんの患者さんを対象に調査したところ、SDMを行った患者さんは、医師の説明に満足する人が多くなり、またそれが治療への満足度の高さと相関関係になっているという結果になりました(図表3参照)。

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 また、同じ患者さんをずっと診ているかかりつけ医であれば、こうしたやり方を通じて、患者さんのヘルスリテラシーが向上していくことを実感できると思います。
 患者さん自身が説明できるようになれば情報を応用できるようにもなります。たとえば医師が患者さんに「病状が変わって薬を変えましょうか」と提案すると、患者さんが「それはこういうことですよね」と理解してくれるようになります。
 なお、SDMのほかにも、海外では病気の治療法について、「ディシジョン・エイド」と呼ばれる一覧表を示し、意思決定を支援する動きが始まっています。
 私たちも普段の生活で、たとえばスマートフォンは公式サイトなどで比べたい機種を選んで、一覧表を見てスペックなどを比較しますよね。それと同じように、治療法の長所と短所を一覧にして用意されることで、そのなかで自分にとってはどれが一番大事か、ということを考えやすくなります。


「自分が意思決定できる」という幸せがある

──1人ひとりが、ヘルスリテラシーを向上させるために意識できることはあるのでしょうか。

中山 私たちは「か・ち・も・な・い」での情報の評価と、「お・ち・た・か」での意思決定を提案しています(図表4参照)。
 「か・ち・も・な・い」は、「書いた人(発信している人)は誰か」「違う情報と比べたか」「元ネタ(根拠)は何か」「何のための情報か」「いつの情報か」のそれぞれ頭文字を取ったものです。
 これは情報の信頼性を評価するために国際的に使われている基準をもとにしたもので、これに従って健康情報についてチェックしていくと、情報の正確性について判断できます。
 また、「お・ち・た・か」は意思決定におけるプロセスである「オプション(選択肢)」「長所」「短所」「価値観」の頭文字から作ったものです。選べる選択肢がすべてそろっているかを確認し、その長所と短所を知り、比較して何が重要かはっきりさせることが必要になります。

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──最後に、ヘルスリテラシーが向上した社会をつくるにはどういったことが必要か、お聞かせいただけますか。

中山 ヘルスリテラシーを上げること自体は最終目標ではありません。ヘルスリテラシーの向上を通じて、多くの人がその人自身に合った、納得できる意思決定ができるようになることが理想となりますが、それが難しいと感じる人もまだ多いので、支援が必要になるということです。

 なかには「自分で決めたくない」という人もいるかもしれません。それはそれで構わないのですが、そう思うようになった背景には、「自分で決めても、ろくなことがなかった」とか、「決め方がわからない」「決められる権限がない」といった事情があるかもしれません。

参考①:BCP策定率(業種別)とBCPの見直し頻度の関連性

 海外でSDMが進められている背景には、「自分が決められることが幸せ」という考え方があると思います。日本ではそうした考え方は海外ほど普及していません。私はヘルスリテラシーの研究をするようになってから、そういった考え方も重要ではないかと思うようになりました。
 SDMを機能させて、ヘルスリテラシー=健康を決める力を向上させ、ひいてはより多くの人が意思決定を実現できるようになるためには、医師をはじめ医療従事者の皆さんに、「自分で決定できることが、人間にとって幸せである」という考え方を認識していただくことも重要になるかと思います。

(2024年5月21日/構成・本誌編集部 川村岳也)