齋藤俊明社長

齋藤俊明社長

「妻とともに親類の見舞いを終え、盛岡市内のデパートで昼食をとった直後でした。非常に強い揺れでした。とっさに逃げようとしましたが、デパート職員に『立たないで。危険なのでしばらく伏せていてください』と強く制されたのを覚えています。地面にはいつくばると、恐怖にとらわれた妻がびっくりするくらいの力で私にしがみついていました。ちょっと前までショッピングでにぎわっていた店内は、倒れた棚や散乱する商品で足の踏み場もないほどでした」と当時の状況を語るのは、銘菓「かもめの玉子」で知られるさいとう製菓(岩手県大船渡市)の齊藤俊明社長(69)だ。

「すぐに本社へ戻らねば」

 自動車に飛び乗ったものの、停電で信号機が機能せず大渋滞が発生。もとより内陸部の盛岡市と沿岸部の大船渡市、距離はかなりある。遅々として進まぬ車の流れの中、現場の状況がまったくつかめないことも齊藤社長の不安をあおった。誰一人として連絡がとれる社員がいないのだ。

 運転中の車内で流れるラジオが唯一の情報源だったが、続報はみな事態の深刻度合いを増すものばかり。海からはまだかなり遠い電柱に漂流物が引っかかってぶら下がっている異常な光景を目の当たりにし、齊藤社長は「とんでもないことになった」と頭を抱えるしかなかった。

「大船渡に着いたころは午後6時半をすぎていてもう辺りは暗闇に包まれていました。そこで家族が避難しているやもしれぬと思い病院に行ったところ芋洗い状態の混雑。立すいの余地もなくとても人を探せるような状況ではありませんでした」

 結局齊藤社長は自宅が山の麓にある同社幹部の家へ向かう。そこでようやく社員の安否と会社施設のおおまかな被害状況が伝えられたのである。

「営業職などの4人以外は全員連絡がとれた、とのことでした。その後4人とも無事連絡がとれています。ただ、23人の社員が家屋流出、本社事務所と直営店5店舗、和菓子工場1棟が津波によって跡形も無く流されてしまうなど大きな被害を受けました」

徹底していた地震の危機管理

 実は齊藤社長、1960年に三陸地方を襲ったチリ地震津波の発生時にも故郷を離れた盛岡にいた。警察官を目指し警察学校に通っていたのである。父親の先代・俊雄氏が営んでいたさいとう製菓は被災後ほどなくして事業を再開したものの、復興行政を支援する行政連絡員の業務に手一杯となった。会社を立て直す一番大事なときに人手が足りず、「家族を助けなければならない」と決心した長男・俊明氏が家業を継いだというわけだ。

 これだけの被害にあいながら従業員全員が無事だったのは、チリ地震をきっかけに会社の跡継ぎとなった齊藤社長が、地震に対し強い危機感を持っていたことも関係しているだろう。「地震・津波・避難」と大きく避難経路を記した張り紙を各事業所に掲示し「地震が起きたらすぐ逃げろ」ということを周知徹底していた。齊藤社長はいう。

「3月9日に地震で避難警報が鳴り、店舗と事務所を閉鎖してみな帰宅させました。11日の大震災当日もほとんどの従業員は着の身着のままといった様子でなにも持たずにすぐに逃げてくれました。このような事態ではまず人命第一を考えなければなりません。命さえあればまたいくらでも復活することはできますからね」

 大事に守った命は必ず力強い復興への歩みを踏み出してくれるはず――。齊藤社長の願いが通じたかのような不思議な出来事も起こった。50年以上前から同社に保存されている歴史ある宣伝看板が、がれきの中から偶然発見されたのだ。流されてしまった本社のショーケースに飾られていたものだが、実はチリ地震津波の際もいったん行方不明になりながら生還を果たしている。齊藤社長はこの2度の津波を生き延びた看板を「奇跡の看板」と呼び大切に社長室に保存している。

在庫商品を無償で提供

 同社の主力商品「かもめの玉子」は、先代が開発したカモメの卵の形をしたカステラまんじゅうを、齊藤社長が現代風のアレンジを加え復活させたお菓子だ。黄身の部分にあたるあんには北海道十勝産の「大手亡」(インゲン豆の一種)、小麦粉には岩手県北で栽培している風味豊かな地粉「キタカミ小麦」を使用し良質な国産原料にこだわっている。ホワイトチョコレートで包んでいる卵そっくりの見た目が何ともかわいらしく、しっとりかつほくほくとした食感と上品な甘みが絶妙な味わいだ。3月は繁忙期にあたり増産体制を整えていた矢先の津波だった。

「本社と和菓子工場を津波で失いましたが、幸運にもこの『かもめの玉子』を生産する中井工場は高台にあり大きな損傷はありませんでした。しかし製造設備が無事でも原料供給や物流機能がまひしている状況では生産再開のめどがたちません」

 幸い主力商品の生産工場に重大な被害はなかった。しかし自分の会社ばかり心配している場合ではない。何より避難所には、食べるものも十分になく疲れ切った住民が不安な時間を過ごしているのだ。居ても立ってもいられず、齊藤社長は13日から避難所でのボランティア活動をはじめた。

「営業車の燃料タンクから軽油を抜き取り1台のトラックに集めました。そして『かもめの玉子』を荷台に積み込み各地の避難所で無償提供する活動を3回ほど行ったのです。おいしさは安らぎにつながります。避難所で苦しい生活を送っている方々に我が社の商品を食べて元気になっていただきたいと思ったからです。配った菓子はトータルで約2000万円になりました」

 生きていられてよかったね、頑張ってまたおいしいものを食べよう、という呼びかけに皆ただただ「ありがとう」と応えたという。

私たちは生かされている

 3月23日、震災後はじめて全従業員を会社に集め、齊藤社長は訓示を垂れた。家族を失った社員へのお見舞いに続き、齊藤社長はこう語りかけた。「工場は残った。多くのお客様や取引先の方から、励ましの手紙やお見舞い金が毎日届いている。これに応えるためにも、1日でも早い生産再開を目指さなければならない」と。その言葉通り、4月上旬に工場の試運転・再稼働というスケジュールも決定する。

 しかし、生産再開に向け最大の難関が立ちはだかった。原料の調達である。エサが不足しブロイラーが餓死するなど菓子製造に不可欠な鶏卵の供給能力が著しく不足していたのだ。しかし、驚くべき事に納入業者が優先して同社への供給を確保することを約束してくれたのである。

「『買ってやってやる』という態度を決してとることなく、日頃から納入業者を大切にする姿勢をとってきたことがそうした結果につながったと思います。もし過去に高圧的な態度をとっていればこううまくはいかなかったのではないでしょうか」

 納入業者を大切にする、というのはいったいどういうことか。齊藤社長はさらに続ける。

「原料供給会社も利益を上げなければ生きていけないということを思えば、一方的に値下げを要求するような態度はとれないはずです。価格交渉をするなとは言いませんが、値下げ交渉をするにしても誠意を持って自分の会社の状況を説明する姿勢が必要なのではないでしょうか。値段の話だけではなく、コストダウンや原料変更の提案をするなどほかにいくらでもやり方はあるはずです」

 私たちは生かされている――。通常は立場の弱い納入業者の助けによって生産再開にこぎつけた齊藤社長は、あらためてそう強く感じた。

 そしてついに4月29日、待望の仮店舗がオープンした。「かもめの玉子」を待ち望んでいた顧客の好意もあり、売り上げは被災前の約2倍と好調な滑り出しだ。インターネット通販も前年同月比約4倍の水準で販売を伸ばしているという。

(取材協力・菅原弘志税理士事務所/本誌・植松啓介)

会社概要
名称 さいとう製菓株式会社
所在地 (仮)岩手県大船渡市大船渡町字富沢41-12
TEL 0192-26-2222
売上高 約33億円
社員数 160名
URL http://www.saitoseika.co.jp/

掲載:『戦略経営者』2011年7月号