日本の高度経済成長を牽引した東京・大田の町工場群。まさに“縁の下の力持ち”だが、現在の企業数は最盛期の半分以下。この極めて厳しい状況を乗り越えることはできるのか。中小製造業の生き残りのヒントを、大田区に探してみた。

新しい拠点・工場アパート

生き残る町工場 製造業のメッカ・大田区のいま

――日本のものづくりを支えてきたのは、中小製造業、とりわけ大田区のような技術力を有する地域だといわれてきた。それがここ数年、苦戦を強いられている。経済再生のためにも、こうした企業の競争力は強化されなければいけない。

松原 確かに、2008年秋のリーマンショック以降の不況、その後の大地震と原発事故による影響は町工場をも直撃した。加えて、少子高齢化や国・地方の財政難という構造的な問題もある。大田区は震災直後に、緊急経営強化資金を無利子で融資した。昨年までは、工業団体の会合に出ても「良くなってきた」という話は皆無だった。それが今年になって、震災復興需要やタイの洪水からの復旧で、ようやく仕事量も回復しつつあるようだ。
 この間、いろいろな産業振興策を打ってきた。そのひとつが、中小企業向けの工場アパートを設置して、操業スペースを提供することだ。これまでに、本羽田二丁目第2工場アパート(テクノウイング)、大森南四丁目工場アパート(テクノフロント森ケ崎)など3カ所を整備した。
 アパートには計100社ほどが入居しているが、区では高度な技術を有する企業の立地を進めている。優秀な町工場は、間違いなくビジネスにつながる“種”がある。お互いの得意分野で情報交換しながら、仕事での助け合い、仲間同士の横請けもできるようにしたい。
 これら3つは区が用意したものだが、6月には、民間資本を活用した東糀谷六丁目工場アパートもオープンする。ここでは、4階に工業PRのための展示コーナーを設ける。大田区の特徴は金属機械加工が特に多いことだ。つまり切削、研磨、めっきといった基盤技術で、この分野ではオンリーワンあるいはニッチトップの会社も少なくない。ただ、営業やマーケティングが得意でないこともあって、展示会や商談会などを開きサポートしている。
 展示コーナーは、合わせて、技能の継承を進めるスペースとしても位置づけた。私は5年前、区長に就任した際に「大田の工匠100人」を表彰したいと考え、これまでに95人を認定した。なかにはたった1人で新幹線のシャフトを作っている人もいる。受賞者には名誉であるとともに、区にとっても誇りであり、宝だ。工場経営者の高齢化が進み、後継者難のなか、意義のある政策だと自負している。

グローカリゼーションの発想

――大手はもちろんのこと、中小製造業ももはや、国内市場だけを考えて経営戦略を練っていればいい時代ではなくなったと思う。大田区でも海外に製造拠点を設けるところも出てきている。そうした企業や経営者への支援はどうしているのか?

松原 指摘のとおりで、日本の大手企業は海外での営業利益が国内の営業利益を上回る時代に入った。その意味で、グローバルとローカルを融合した“グローカリゼーション”という言葉があるが、まさに言い得て妙だ。これから区内で仕事をするにしても、海外を視野に入れて活動していかなければ、生き残りは困難ではないだろうか。
 とはいえ海外展開のハードルは、町工場にはまだかなり高い。なかでも言葉の壁は厚い。そこで、区でも海外取引の支援策として、ホームページや展示会への出展などを通じて区内企業や企業グループの情報発信機能を高める支援をしてきた。また、公益財団法人大田区産業振興協会などを通じて、海外市場の開拓も図っている。
 実は今年4月、シンガポールとマレーシアを区のスタッフや東京都職員数名と一緒に視察してきた。この両国は、外国企業を積極的に誘致している。そこで、実際の誘致や企業支援がどのように行われているのかこの目で確かめに行ったのだ。
 現地では、政府関係機関の幹部や担当者に、外国資本が参入しやすい税制やビジネス人材の豊富さといった成功要因を直接聞くことができた。と同時に、大田区のものづくり技術を紹介しながら意見を交わせたことも有意義で、今後の区の産業政策に生かしていけそうな多くの情報を持ち帰れた。
 特にシンガポールは、公用語が英語と中国語というグローバル化では絶対的な強みを持っている。それからすると、語学力は日本の弱点といっていい。とりわけ次代を担う若い世代には英語を身につけてほしいと痛感した。これは一人ひとりの自覚に負うしかないが、アジアを含めて世界で勝負するには必要なことになるだろう。
 幸い、政府が新成長戦略の一環としている国際戦略総合特区として、東京都が申請していた「アジアヘッドクォーター特区」が昨年12月に指定された。ここには羽田空港跡地の一部が含まれており、大田区はそこに産業交流施設を設置することを検討している。事業手法や竣工時期はこれから詰めていくことになるが、私個人は“平成の長崎出島”と呼んで、世界の産業文化の交流する場としたい。

震災復旧の現場に生きた技

――ところで、大田区では「ビルの屋上から設計図を紙飛行機にして飛ばせば、3日後には製品や部品になってもどってくる」という伝説がある。こうした工業集積が現在も生きていることは特筆されていい。

松原 それに関しては、震災復興支援でのエピソードがある。大田区からも、これまでに約6000人の区民・職員が東松島で支援活動をしている。そうした最中、私どもは汚泥を処理するための「大田の輪」(土のうスタンド)を作って現地に贈った。これは、ボランティアの声をきっかけに、町工場の経営者たちが知恵を出し合い、たった2日間で完成させたもので、支柱とリングからできたプリン型の道具だ。土のう袋をしっかりと固定でき、それまで2人でしていた作業が1人で済むので、汚泥処理作業の効率的な実施に貢献できる。
 こうした製品も、ものづくりへの関心を高めてくれると期待している。よく若者の製造業離れがいわれるが、私は彼らに関心がないわけではないと考えている。むしら、ものづくりの楽しさを知るきっかけがないのだ。今年、区内矢口・下丸子で「オープンファクトリー」というイベントがあった。町工場20数社と大学が協力して行ったのだが、私たちの心配をよそに、なんと1200人もの参加者が集まった。
 おそらく、工場を巡った人たちは、その多様性に驚いたことだろう。これらを維持し、高度化を図ることができれば、ものづくりの現場は必ず魅力あふれるものとなる。それこそが“地域力”の源泉にほかならない。そして、それを国内外を問わずに広げていければ、大田区はもっと活力を増すはずだ。

(ジャーナリスト・岡村繁雄)

プロフィール
まつばら・ただよし 1943年、東京都大田区生まれ。66年、早稲田大学法学部卒。83年に大田区議会議員選挙で初当選。97年、東京都議会議員選挙に当選。3期務め、2007年から大田区長。09年、明治大学大学院ガバナンス研究科を修了。

掲載:『戦略経営者』2012年6月号