創業の経緯

創業者 故 飯塚毅

株式会社TKC創業者
故 飯塚 毅

株式会社TKCは、1966年10月22日、栃木県宇都宮市を本店所在地として設立されました。
創業者である飯塚毅博士は、設立に際して会社定款に記載する事業の「目的」を次の二つとしました。

  1. 会計事務所の職域防衛と運命打開のため受託する計算センターの経営
  2. 地方公共団体の行政効率向上のため受託する計算センターの経営

その後の会社の業容拡大に伴い、いくつかの事業目的が追加されましたが、今日においても定款第2条(事業の目的)の筆頭に位置付けられているのはこの二つであり、まさにTKCの経営の原点がここにあります。

飯塚博士は1946年に会計事務所を開業しましたが、1962年の米国訪問(第8回世界会計人会議)でコンピューター革命を目の当たりにしたのを契機として、会計事務所専用の計算センターの設立を決意したのでした。ところがその計画はすぐに実行することはできませんでした。いわゆる「飯塚事件」が勃発したからです。この飯塚事件では、税務当局の圧力により、飯塚会計事務所の職員4名が起訴されて裁判となりました。1970年11月11日には全員無罪の判決が下りるのですが、この裁判の終結を待たずに、1966年10月、飯塚博士は計算センターの設立を決意するのです。
設立に際して、会社の定款に経営理念をまず書き込みました。それが「会計事務所の職域防衛と運命打開」でした。ここには当時渦中にあった飯塚事件の匂いさえもありません。実に堂々、気宇壮大にして強い使命感をもった経営ビジョンを掲げたのでした。

一方、地方公共団体事業への取り組みは、TKC揺籃期の1966年に栃木県黒磯町(現那須塩原市)からいただいた一本の電話が契機となっています。新聞に掲載された〈株式会社栃木県計算センター設立〉の記事を見た黒磯町から「市町村の業務受託もやらないか」とのご提案をいただいたのです。
当時、栃木県下の市町村における電算化は、ほとんど進んでいない状態でした。これをきっかけに、定款の第2条第2項に「地方公共団体の行政効率向上」を掲げ、地方公共団体市場へ進出することとなったのです。

(TKC創業35周年記念誌『ふるさと日本35』より抜粋)

以来、当社は一貫して会計事務所と地方公共団体の二つの分野に専門特化した情報サービスを展開し、わが国の情報産業界において独自の地位を築いてまいりました。
会計事務所と地方公共団体の二つの分野は、法律的な専門知識と深い経験の上に成り立つ分野です。したがって、当社が提供するシステムは、常に法令に完全準拠した専門的なシステムでなければなりません。

また、法改正への迅速な対応が求められ、社会的な責任が問われるシステムでもあります。換言すれば当社の社会的な役割は、税法・商法・民法・行政法などの法律に深く関わりながら、高度な社会的責任を持つ税理士、公認会計士および地方公務員の業務遂行を情報通信技術(ICT)を媒介として支援し、広く日本経済と地域社会の発展に寄与していくことです。

TKCは、そのような社会的な役割を担うため、これからも専門性を一層深め、サービスの拡充と品質の向上を目指し、イノベーションを重ねてまいります。

株式会社TKC創業者 故 飯塚毅 の記録は飯塚毅博士アーカイブをご覧ください。

飯塚毅博士アーカイブ