私が開業を決めたのは、「税理士になりたかった」というより、「会計で会社が変わる瞬間を自分自身で体験した」ことがきっかけです。
家業である中里工業株式会社では、総務・経理から製造、品質管理、営業まで、町工場で必要な仕事をひと通り経験しました。入社当初、会社は多額の借入を抱え、利益も出にくく、毎日の資金繰りに追われていました。
その状況を変えたのが、簿記と会計の知識です。損益分岐点を把握し、原価を計算し、製品ごとの採算を見直す。価格設定や販売先、設備投資、人員配置を数字をもとに確認する。小さな改善の積み重ねでしたが、会計で会社の状態を見える化することで、経営判断が少しずつ変わっていきました。その結果、会社は黒字体質へと変わり、借入の返済も進みました。
会計は過去の数字を整理するだけではなく、会社の未来を変える力を持っている。その気づきが、私の原点です。
その後、代表取締役社長に就任し、本格的な経営に向き合いました。資金繰り、従業員への責任、金融機関との付き合い、台風19号での大被害と操業停止、事業承継、M&A―中小企業の経営は本当に多くの課題を抱えています。
特に印象的だったのは、台風19号で工場と事務所が甚大な被害を受けたとき。一時は操業不可能な状態でしたが、日頃から財務体質を整えていたことと、従業員との信頼関係があったからこそ、休業中も給与を支払いながら会社を立て直すことができました。
こうした経験を通じて、強く確信しました。税理士や監査担当者は、社長の代わりに決める存在ではないということです。数字は社長を誘導するためのものではありません。数字は、社長が自分の考えを整理し、自分の意思で判断するための材料です。
社長の話をしっかり聞き、何に悩み、どこを目指しているのかを理解する。そのうえで会計を使って現状を見える化し、選択肢を分かりやすくする。業績が良い時は一緒に喜び、厳しい時は一緒に原因を探していく。ただ、寄り添うことと経営判断に踏み込むことは別です。最終的に決めるのは社長自身。その決断を自分のものとして受け止めるからこそ、成功も失敗も次の成長につながります。
開業後、この考えを事務所の形にしてきました。毎月の巡回監査を基本に、自計化支援、業績検討会、継続的な業績管理支援、書面添付などを通じて、社長が自社の数字に向き合い、次の一手を考えられる支援を行っています。
自計化を原則としながらも、社員教育や経理体制づくりの過程では、一部記帳代行も受け入れています。目的は、会社の中に数字を理解できる人材を育て、将来的に自社で数字を活用できる体制をつくることだからです。
税務調査対応では国税OB税理士と連携し、相続案件では相続専門税理士と共同申告を行うなど、必要に応じて専門家と協力しながらお客様を守る体制づくりにも取り組んでいます。事業承継やM&Aについても、顧問先の選択肢が広がるよう支援しています。
開業から現在まで、関与先数、売上、スタッフ数も着実に増えてきました。ただ、規模を大きくすること自体が目的ではありません。社長が自分の数字に向き合い、自分の意思で会社を前に進められるよう支えること。その積み重ねが、事務所の成長にもつながっているのだと思います。
これから開業を考えている先生方に申し上げたいのは、完璧な経歴や万全な準備だけが大切ではないということです。自分がどんな経験をしてきたのか、誰のどんな悩みに向き合いたいのか。その答えが、事務所の個性になり、選ばれる理由になります。
私自身、決して一直線の人生ではありませんでした。その遠回りがあったからこそ、今は経営者に本気で寄り添う税理士でありたいと心から思えています。