世界的なティントイ(ブリキのおもちゃ)・コレクターとして知られる北原氏は、「ブリキのおもちゃ博物館」などを展開する企業経営者でもある。37歳のとき徒手空拳で独立し、現在、同様の博物館を全国7ヵ所で運営するまでに事業を発展させてきた。会社・個人の両方で多くの夢を実現させてきた同氏に、北原流「成功の秘訣」を聞いた。

プロフィール
きたはら・てるひさ●1948(昭和23)年東京生まれ。世界的ティントイ・コレクター。コレクションは10万点超に及ぶ。86年5月、「ブリキのおもちゃ博物館」の運営会社・株式会社トーイズを設立し、代表取締役に就任する。テレビ東京系列「開運! なんでも鑑定団」レギュラー出演のほか、ラジオ、講演などで活躍中。『夢はかなうきっとかなう』(一季出版)、『珠玉の日本語・辞世の句』(PHP研究所)など著書多数。
トーイズ代表取締役社長 北原照久氏

北原照久 氏

――北原さんというと「開運! なんでも鑑定団」の鑑定士、ブリキのおもちゃコレクターというイメージが強いのですが、実は本来の姿は実業家なんですよね。

北原 いや僕はあくまでもコレクターですよ。それに実業家というよりも商売人ですね。コレクターというのは物欲が凄く強い人種。欲しいモノは手に入れたくて我慢できなくなる。それで入手するにも、保存するにもお金がかかるから一所懸命商売してお金を稼いでいるわけです。
 つまり商売はコレクションのための手段。ただこれが結構うまいと自分では思っています(笑)。それは一番イキイキできることでお金を稼げているから。好きなことで稼ぐのは結構難しいんです。

――1986年に37歳で株式会社トーイズを設立し、横浜の“港の見える丘”山手に「ブリキのおもちゃ博物館」を開館しました。

北原 「好きなことをビジネスにする」という夢を、実現させるための方法が「博物館」でした。

国や不景気のせいにしないプラス発想で博物館を7館に…

北原 最初、銀行はまったく相手にしてくれませんでしたね。「ブリキのおもちゃ」「博物館」という単語から荒唐無稽な事業と思われたようです。仕方なく保険会社から1500万円借りてスタートしたんです。これを元手に古い一軒家を借りて直して2階を住まいにし、従業員は僕と家内と男の子ひとり。そのときの彼の給料は住み込み3食付きで10万円でした。
 僕は生まれも育ちも東京で、実家はスポーツ店と喫茶店を経営していました。父が他界した後は、兄と2人でスポーツ店を切り盛りしていたんですけど、コレクターとして生きていきたいと一念発起し独立したんです。そのとき財産の承継も全部放棄。まさに背水の陣です。開業時に借りたお金はすぐに底をつくし店の賃貸契約は5年の期限付きだったので、お金では苦労しました。人脈もノウハウもお金もない“三ない状態”での出発だったんです。

――それがいまでは博物館を全国7ヵ所で展開しています。

北原 一作年の11月からフロリダ・ディズニーワールドでイベントを開催中(3年間)ですし、今年も千葉県に1軒、「KITAHARA TOYS TOWN」を開館しました。
 事業を拡大してこれたのは、たくさんの良い出会いがあったから。どんな優れた経営者でもひとりで事業はできません。お客様や社員、取引先、ほかにも恩師、先輩、仲間など多くの出会いに恵まれないととても成功できない。その点、僕は運がよかったと思いますね。

――成功した経営者で「自分は運がよかった」と語る方は結構多いように感じます。

北原 ただ、運とかツキというのは待っていてはダメで、自分から呼び込まなければならないんです。これは企業経営に限らず、人生すべてに通じることだと思います。

――ご自身の体験から「ツキの十箇条」(表)をまとめていますね。

北原流「ツキの十箇条」

北原 どれも当たり前のことだけど、これがなかなかできない。だから常にこの十箇条を強く意識しておく必要があります。
 特にプラス発想はすべての基本ですね。いまは大変な時代だなって僕も感じています。でも事業をやっていく上で良いときと悪いときがあるのはしょうがないこと。プラス発想で、良いときは感謝し、悪いとき、“難”が“有る”ときはそれをひっくり返して“有り難う”と言う。ピンチ有り難うって…(笑)。
 例えば先日テレビ取材で名古屋のあるメッキ屋さんを訪ねたんですが、そこの社長が「うちは水と空気以外なんでもメッキできる」というんです。布にメッキして電導体にすれば新しい製品になるといったことを凄く熱心に話す。メッキ産業は中国との競争などで非常に厳しいといわれるけど、下を向かずに前向きに取り組んでいました。僕が発注者なら国や不景気のせいにしている業者より、こうした元気な会社と取引したいと思うでしょうね。実際、その会社は業績が好調だといっていました。
 元気な会社には元気なお客様や取引先が、不景気な顔で愚痴っているところには不景気なお客様や取引先しか来ないと思います。こういうと、よく「北原は精神論だけだ」と言われるんですけど、でもそれで事業がうまくいっているんだからいいでしょって(笑)。うちはプラス発想を徹底してるから多くのお客様に来ていただいている。個人でもこれまで夢に描いたことの多くを実現できています。

中学退学の劣等生を変えた高校恩師からの誉め言葉

――プラス発想が大事だと気づいたきっかけは何だったのでしょう。

北原 他人と過去は変えられないけど、自分と未来は変えられるんですね。そしてプラス発想すればプラスに、マイナス発想だとマイナスに人生に対して作用する。
 実体験でいうと、実は僕は一度中学を退学になっているんです。義務教育での退学ですから、このときはへこみました。とにかく勉強が大嫌いで小学校から落ちこぼれ。成績のいい兄姉と比較されてばかりで、すねていたんだと思います。いつも世の中を斜めに見ていて心も荒んでいた。それで高校に上がるまで悪い仲間たちと毎日喧嘩ばかりしていました。
 とはいっても根っから喧嘩が好きだったわけではないんです。勝っても負けても痛い思いをするわけですから、できればしたくない。ところが心がマイナスな者同士で引き合うんでしょうね。道を歩いていてヤバそうなのがいるから横道に入っても、そこでまた悪い奴と出会ってしまう(笑)。
 そんな僕を救ってくれたのが、私立本郷高校に入学して出会った沢辺利夫先生という恩師でした。学期早々にテストがあって僕はそれでたまたま60点もとれたんです。そうしたら沢辺先生が「やればできるじゃないか」と誉めてくれたんですよ。僕は根が単純だから次も誉めてもらおうと思って勉強した。何せ小学校から落ちこぼれで基礎学力がまったくないので、とにかく教科書の丸暗記。それで次のテストもそこそこ点が採れた。こうして勉強を続けた結果、高校3年生のときには学年トップになり、卒業式では総代として謝辞を読むまでになれたんです。

――ずいぶん極端な変化ですね。

北原 沢辺先生はラグビー部の顧問で暴れん坊を抑えつけるだけの腕力、気力もあったし、なんといっても熱血漢。そんな先生の熱さに触発されたのかわかりませんが、気持ひとつでこれだけのことができたというのは自信になりました。「十箇条」の2「勉強好きになる」、9の「人は誉める」もこの経験が原点になっています。

――結構人を誉めるのって難しいですよね。どうしても悪いところに目がいってしまいます。

北原 悪いところが見えても目をつぶって誉める(笑)。僕はもちろん叱ることもありますけど、意識的に誉めるほうを多くしています。山本五十六は「やってみせ 言って聞かせて させてみて 誉めてやらねば人は動かず」といっているし、良寛和尚も「五つ教えて三つ誉め 二つ叱って 良き人育つ」といっているじゃないですか。誉めるも叱るもどちらも思いやりですけど、バランスが大事。
 逆に、意地悪だったり思いやりのない人はダメですね。そういう人は人望がないので、たくさんの人は集まらない。

――トーイズの社員の方とお話したとき印象的だったのは、北原さんへの尊敬の気持が言葉の端々に感じられたことです。これも誉めながら教育しているから?

北原 社員には「好きなことを仕事にしているんだから、人の2倍も3倍も楽しんで努力しようよ」といつもいっています。挨拶でも電話応対でも何でもいいから一人ひとりが一番を目指しなさいと。で、努力が形になって現れてきたら誉める。その繰り返しです。
 結果として当社は、中小企業としてはかなり社員の定着率がいいほうだと思います。みんな仲が良いので、ある人からは「北原さんのところはトーイズ教会だ」って言われたこともありました(笑)。

愚痴が出てしまったたらすかさずプラス言葉で返す

――ただ、常に前向きな気持を持ち続けるのはなかなかできることではないと思います。

北原 確かにそう。だからトレーニングが必要です。
 正直に言えば僕もマイナス思考になりそうなときがあるんです。たまに一人になった時、無意識のうちにうっかり愚痴ってしまうこともある。そんなとき僕は、すぐに愚痴を否定して肯定的な言葉をつなげるようにしています。これを僕は「プラス言葉で終わる」といっています。
 一例を挙げると、僕は講演を多いときで月に20回以上していて、そんなときは毎日のように飛行機に乗る。飛行機で長距離移動すると疲れますよね。で、つい「疲れた」と言いたくなる。そのときすかさず「子供の時にあんなに乗りたかった飛行機にこれだけたくさん乗れるのだから幸せじゃないか」と自分に言い聞かせるんです。
 同じように「今日はお客さんが少ない」と愚痴ってしまったら、すかさず「でも、そのおかげで店内の整理整頓ができるし、在庫もチェックできる」とか、椅子の角に足の小指をぶつけてしまい「チッ、ツイていない」と口から出てしまったら、「でも怪我せずにこの程度ですんで良かった」といったようにプラス言葉で終わるようにする。誰が聞いているわけではないんですけど、こうするとマイナス発想に陥らない。
 確かに事業をやっていると、思い通りにならないことのほうが多いものです。例えばいま7つの博物館を運営していますけど、うちはこれまでに8館も閉めている。一番大きいのだと、何千万円も投資してオープンさせた300坪の店を1年で閉めたことがありました。そんなとき言い訳や愚痴、ほかへの文句はいくらでもいえます。だけどそれをグッと飲み込む。言葉には「言霊」があるから、自分で自分が落ち込むような言葉は極力口にしないことです。

――辛くても、他人にも自分にも辛いそぶりを見せない。

北原 やせ我慢ですよ。「武士は食わねど高楊枝」です。
 僕もこれまで泣きたいことや悔しいことはいっぱいあったけど、それを力に変えてやってきた。たぶん成功している人は、みんなそうなんじゃないでしょうか。

――では、2つ目の「勉強好きになる」ためのコツは?

北原 ひとつは夢や目標を持つことです。横浜市の中田(宏)市長との共著で『勉強がキライな子どもたちへ 勉強がキライだった大人たちへ』(ネコパブリッシング)という本を出しましたが、僕は中学退学、中田市長は偏差値30の劣等生だった。そんな2人がここまでこれたのは、夢や目標ができて、それを実現するために本気で勉強してきたからだということをこの本では書いています。
 また勉強はもともと楽しいことなんです。興味があることは誰でももっと知りたいと思う。そういう能動的な姿勢で取り組めば、自ずと勉強好きになりますよ。
 近著の『珠玉の日本語・辞世の句』(PHP研究所)も勉強好きだったから出版できたんです。たまたま日比谷通りで「忠臣蔵」の浅野内匠頭の「風さそう 花よりも猶 我はまた 春の名残を いかにとやせん」という辞世の句を目にして、その無念さがありありと伝わってきた。それでいろんな辞世の句に興味が沸いて勉強した成果がこの本です。この本は売上ランキングで1位にもなりました。僕はいままで47冊の本を出したけど、1位は初めてだったので本当に嬉しかったですね。

素直さは成功への近道 ゴルフも1年でシングルに

――「素直であること」は?

北原 僕ら経営者は、一国一城の主なので意外とこれができていないように思います。素直というのは聞く耳を持ちましょうということ。人の言うことをそのまま鵜呑みにすることではありません。
 僕は去年56歳でゴルフを始めて、いまスコアは80を切るまでになっています。こんなに早く上達できたのはとにかく会う人会う人に「ゴルフ始めたんで、何かひとつコツを教えてください」と聞きまくったから。聞きすぎないほうがいいという意見もありますが、僕はとにかくたくさんの人から教えてもらって、それを試してみる。そして自分にあったものだけ残していったんです。
 同じようにまず素直に人の話を聞いて、その上で自分で判断すればいい。世界のお金持ちの30%が全人口の3%しかいないユダヤ人だと言われていて、彼らがなぜ成功しているかを調べると、要因は「明るさ」と「素直さ」にあると分析できるそうです。ユダヤの諺に「神は人間に一つの口と二つの耳を与えた」というのがあります。二つ聞いて一つ話せということ。つまり素直さです。

――とても10箇条全部は紹介しきれませんでした(笑)。最後に今後の仕事について…。

北原 講演に呼んでいただければ残りはいつでもお話しますよ(笑)。講演は聞いている方々の熱心さが伝わってきて凄くパワーをもらえる。大好きなんで、今後もどんどんやっていきます。
 それとまた本を出版します。これはいいですよ。昭和の名曲を時代背景と一緒に紹介し、さらに曲を収録したCDもつけます。CDのほうはボサノバ風『お富さん』といったように現代風にアレンジしています。
 僕は団塊の世代で昭和2、30年代に郷愁の気持があるので、その時代の人たちが勇気づけられた曲を中心にセレクトしました。これを僕らの世代だけでなく若い人たちにも聴いてもらって、一人でも多くの方に元気になってもらいたいですね。

(インタビュー・構成/本誌・千葉博文)

掲載:『戦略経営者』2005年12月号