先に使ってもらい後で代金を回収する――江戸期の日本が生んだ優れたビジネスモデルとして知られる富山の置き薬商法。そんな仕組みが、再び注目を集めている。薬にとどまらずさまざまな商品へと応用が広がる“売れた分だけビジネス”の今に迫る。

顧客との絆をつくる富山の置き薬商法最前線

 個人宅や法人事業所に薬箱を無料で設置し、使用した分だけ定期的に訪問したスタッフが集金をする薬の販売方法を「置き薬商法」や「配置薬商法」と呼ぶ。とりわけ江戸時代初期から薬の回商で有名だった富山県で従事者が多く、彼らは「富山の薬売り」として長年庶民の間で親しまれてきた。

 そして、その富山県に本拠地を構える「置き薬」企業の代表格として知られるのが明治9(1876)年創業の廣貫堂だ。グループ売上高は約130億円に達し、株主には北陸銀行やインテックなど地域経済を支える中核企業が名を連ねる。また、本社敷地内には越中売薬の歴史資料館を設け地場産業の広報活動にも尽力、その活動はもはや一私企業にとどまらない。県民だれもが知っている名家のような存在感を放つ老舗中の老舗といえるだろう。

 現在では医薬品の受託製造販売など配置薬販売事業以外の比重が高まっているものの、今でも全国約320万件の得意先に昔ながらの「富山の薬売り」スタイルで薬を販売している。江戸時代から今日まで置き薬ビジネスが綿々と続いている理由はなにか。同社の塩井保彦代表取締役はこう断言する。

 「企業の平均寿命が30年に満たないといわれる今日、私どもは今年創業135年を迎えます。長きにわたって脈々とこの事業が続いてきた根底には、やはり“先用後利”の理念があります。各時代の人たちそれぞれがこの理念を常にメーンのテーマに掲げ実践してきたからにほかなりません」

 一にも二にも「先用後利」の精神だという。字義通りには「先に使用していただき、後で代金を頂く」という意味だが、それだけではこの商売の本質はつかめない。

 「先用後利といえばよく、“ファースト・ユーズ、ペイ・アフターの仕組みのことだね”といわれます。確かに商売の仕組みとしてはそうですが、これはぜひ、商いの“心”としてとらえてほしい。江戸時代の鎖国の時代に富山から日本各地へ薬の商いに行くということは、外国人が商売に来るようなものです。いかにいい薬とはいっても、初めて会う外国人をだれが信用するでしょうか。まずは先にしっかり効き目のある薬だということを確かめてもらって、顧客からの信用・信頼を得なければなりません。それができれば“利”は後からついてまわる、というのが“先用後利”の考え方で、二代目富山藩主前田正甫公が医薬品産業創設の理念として掲げました。廣貫堂も富山の薬産業もずっとこれを続けてきたからこそ今日があるのだと思います」

かけがえのない「顧客」

 肝心なのは「顧客の信頼を先に得る」ということだ。商品知識に精通した営業マンが懇切丁寧に薬の説明をし、働き方や体質など顧客一人ひとりの事情に合わせて配置箱に入れる薬を考える。一方顧客の方は、一度試して効き目があったらまた今度も飲んでみようと考える。何か不安を感じたら配置員に相談するかもしれない。

 このように定期的に続くコミュニケーションの連鎖のなかで信用が積み重ねられていくのが、「先用後利」システムの特徴なのである。そして、顧客の信用を積み重ねリピーターを獲得する営業ツールとして発展を遂げたのが、現代でいえば顧客管理台帳の役割を果たす「懸場帳」だ。

 「鎖国の江戸時代で富山の薬売りは、富山藩の『反魂丹役所』から通行手形を発行してもらって他国で商売をしていました。反魂丹役所は今でいう厚生労働省の役割を持っていた役所です。そしてその通行手形発行の条件となったのが懸場帳でした。どの家庭にどの薬がどれだけ置かれていて、家族構成はどうか、おじいちゃんやおばあちゃんの持病は何かなど、その家庭の顧客情報が事細かに記入されていたのです」

 要するに、マーケティングに欠かすことのできない顧客情報帳簿(データベース)の作成である。江戸時代の帳簿の大きさは旅先に持ち歩くためやや小型で、町や村を基準として1冊ずつつくった。口座には家族の個人情報や薬の品目・種類といった基本情報に加え、売上金額や集金額もその都度書き込んでいく。

 懸場帳を作成することで江戸時代の薬売りは、(1)支払い状況や健康状態など顧客の実態の正確な把握(2)在庫状態の正確な把握(3)次回の需要予測(4)迅速な利益計算――などの合理的な営業活動を実践することができたのである。塩井代表取締役はいう。

 「懸場帳という言葉は、“かけがえのない場所”つまり“かけがえのない顧客”を意味します。これはまさしくCS(顧客満足)の思想で、情報システムの原点でもあります」

 反魂丹役所は、この懸場帳を管理することによって一人ひとりの売上高を把握し、税を徴収する際の基本情報とした。さらにはこれを担保にした資金貸し出しも行っていたという。つまり懸場帳は、営業から生じる無形の経済的利益、財産価値を有するのれん価値として認められてきたわけだ。

 また、廃業するときには資産として売却することが可能で、新規参入者も懸場帳を購入すれば既存の顧客網をそのまま引き継ぐところから営業を開始できる。パソコンを使った顧客管理に移行した現在でも現物の取引が行われるのは珍しくないという。

 「配置薬の卸売販売を手掛けているグループ会社に、年間売上高約40億円の薬都廣貫堂があります。この会社は1200人の個人の売薬さん、法人組織として運営している300の配置薬業者、末端営業マンの数にすると6500人に配置薬の卸売販売をしています。そのうち個人運営の売薬さん1200人は、明治9年にわが社を立ち上げた2600人の売薬商人のお孫さんやひ孫さんに当たる人々で、わが社にとっては株主でもあり顧客でもあります。しかし、“後継ぎがいなくなった”といって彼らが懸場帳の買い取りを要望してくるケースがここ10年で非常に増えました」(塩井代表取締役)

 どの世界にも後継者難はつきもの。しかし、先人たちが残したこの「懸場帳」という優れた資産のおかげで、今ある販売網をそっくりそのまま売り手に譲渡することが可能になるのである。同社グループでは配置販売事業会社がこうした懸場帳を買い取っており、廃業によるサービス打ち切りという最悪の事態を回避するとともに自社販売網の拡大に役立てている。ちなみに懸場帳の価格は年間の売上高が基準となり、「平均で1000万円。そのうち600万円がのれん代、400万円が薬箱の在庫として会社の資産として計上」(塩井代表取締役)しているのだという。

ネットとの融合も構想

 優れた顧客管理システムと信用を軸とした独特のビジネスモデルで日本全国に浸透した配置薬事業だが、事業環境は決して楽観視できるものではない。ドラッグストアなどでの安売り競争や一般大衆薬需要そのものの減少で、市場規模が縮小傾向にあるからだ。

 厚生労働省の薬事工業生産動態調査によると、配置用家庭薬の2008年国内生産額は289億円で、10年前の1998年から半分以下に落ち込んでいる。逆風にどうやって立ち向かうか。塩井代表取締役は「フェース・ツー・フェースで家庭に上がるという強み」を生かした新たな事業展開を模索する。

 「現在は販売の6割が薬で4割が健康食品や化粧品ですが、それ以外にも、より機能性が高くアンチエイジングに役立つ食材や有機野菜・米・調味料など、あくまでも健康にこだわった商品を増やしていきたい」

 日本全国に張り巡らされた顧客網を維持したまま、時代にマッチした品ぞろえを充実させようというのだ。その際に、これまでの置き薬商法から一歩進めたビジネスモデルの構築が必要になるが、塩井代表取締役は「午前中にネットで注文すれば午後には届ける」デリバリービジネスに可能性を感じている。

 「1人の配置販売員はだいたい1000軒、1営業所では販売員10人として1万軒が平均的な商圏ですが、その商圏の真ん中に“健康情報ステーション”のようなものを設置したいと思っています。

 そこは血圧や脈拍、血糖値、体脂肪などをチェックしながら健康相談ができる場所。配置箱に入る薬はせいぜい14、5種類ですが、ステーションにはわが社が生産する200種類の製品を置くことも可能でしょう。そこから家庭に商品をデリバリーできれば、店舗と配置とネットを融合した配置販売の新しいビジネスモデルをはじめることができます」

海を越える置き薬モデル

 成長戦略は国内だけにとどまらない。日本海を渡りアジア各国で配置販売事業を「復活」させることも虎視眈々とねらっている。

 「実は、第二次世界大戦時にはアジア地域各国に営業展開をし満州にも工場を持っていました。ピーク時には中国本土に北京、上海、大連、成都など約20の営業所を構えていたほか、朝鮮半島はもちろんベトナムやタイ、シンガポール、マレーシアなどでも事業を展開していました。

 終戦にともない海外拠点は撤退してしまいましたが、昨今新興国が著しい経済成長をしていることから、合弁もしくは独資で現地法人をつくることを基本方針にアジア展開を再び積極化しようと考えています。今年の『タイ広貫堂』を皮切りにベトナムでも現地法人を立ち上げたい。中国では合弁会社の設立を検討しています」

 ラブコールは日本側だけではない。世界一の長寿国日本に学び、自国の医療・保健行政の充実を急ぎたいアジア諸国も、富山の置き薬ビジネスに熱い視線を注いでいるという。経済発展で薬を購入できる層が増える一方で病院や医師が不足しており、配置薬事業を導入しやすい環境が醸成されているからだ。

 実際、モンゴル及びベトナムとタイの保健省からは担当者が訪れ、法的現状や販売の実態を知るために販売員に同行し視察を行った。彼らはその現場で学んだに違いない。「先用後利」の理念なくしてこの事業の成功はない――と。

(本誌・植松啓介)

会社概要
名称 株式会社廣貫堂
業種 医薬品・医薬部外品・医療用具の製造販売
代表者 塩井保彦
創業 1876(明治9)年
所在地 富山県富山市梅沢町2-9-1
TEL 076-424-2271~7
売上高 約130億円(グループ全体)
社員数 700人(グループ会社含む)
URL http://www.koukandou.co.jp/

掲載:『戦略経営者』2010年10月号