「弁当力」で自分が変わり、家族が変わり、職場が変わり、そしていつかは社会が変わる――。九州大学大学院助教の佐藤剛史氏(38)は、著書『すごい弁当力!』の中でこう語る。弁当を手づくりすることが、優れた人間教育の機会になるのだという。佐藤氏に、弁当がもつ“凄い力”について聞いた。

プロフィール
さとう・ごうし●1973(昭和48)年、大分県生まれ。農学博士。2001年9月、九州大学大学院生物資源環境科学研究科博士課程修了。日本学術振興会特別研究員、九州大学大学院農学研究院助手等を経て、07年4月より九州大学大学院農学研究院助教。特定非営利活動法人環境創造舎代表理事、日本有機農業学会理事、福岡県有機農業研究会監事などを兼務。主な著書は、『すごい弁当力!』『もっと弁当力!!』(五月書房)、『農業聖典』(コモンズ)、『ここ―食卓から始まる生教育―』(共著・西日本新聞社)等。

弁当をつくるとPDCAが身につく

九州大学大学院農学研究院助教・農学博士 佐藤剛史氏

佐藤剛史 氏

――著書の『すごい弁当力!』『もっと弁当力!!』(共に五月書房)では、弁当づくりが人間教育に繋がることをたくさんの感動的なエピソードを交えながら紹介して、大きな話題となりました。まずは“弁当力”とはどんな力なのかを説明してもらえますか。

佐藤 弁当力とは、弁当を美しく、美味しくつくる力ではありません。弁当を通じて人生をより良く豊かにする力です。いまは安くて美味しい弁当がどこでも簡単に買える時代ですが、それをあえて手間と時間をかけて自分でつくる。この作業がいろんな意味や効果を生みだします。

――弁当づくりの効果として、感謝の心や自己肯定感が育ち、さらにはセルフマネジメント力・プロジェクトマネジメント力が身につくことを挙げていますね。

佐藤 実際に自分で誰かのために弁当をつくってみると、「喜んで食べてくれるだろうか」「残されたらどうしよう」と不安を感じたり、「美味しい」と言ってもらったときのうれしさを体験できます。子どもも大人も、こうした他者のために行動し認めてもらうことで自己肯定感が育つ。そしてもっと認めてもらおうと工夫をする。プランを立てて、食材や調理の仕方を調べ、段取りを考え、さらに次も喜んでもらおうと課題を見つけ出し、改善の努力を続けるようになるんです。つまり、弁当をつくることで、ビジネススキルの基本であるPDCAが自然と身につくわけです。

――他者への貢献が喜びに繋がる?

佐藤 ビジネスでも、お客様に喜んでもらうことで対価を得るのが基本ですが、原理的には弁当づくりも同じなんです。

――でもなぜ“弁当”なのでしょう。ほかのものではダメですか。

佐藤 誰にでも弁当の思い出はたくさんあると思います。一昨日の晩ご飯は思い出せなくても、子ども時代の弁当はすぐに思い出せるはずです。これはなぜかというと、弁当に込められたつくり手の思いを、僕らは知らないうちにご飯と一緒に食べていたからです。親は、手を抜くときがあるにしても、基本的に子どものことを一生懸命考えて弁当をつくります。そうした思い遣りの心を追認することに意味があるんです。

全国522校が実践する「弁当の日」普及に尽力

――確かに弁当の思い出はすぐに浮かんできます。友だちのはウインナーやフライがおかずなのに自分のは煮物や佃煮といった全体的に茶色っぽい弁当で恥ずかしかったとか、弁当から汁が漏れて鞄が汁だらけになっていて母親に文句をいったとか…。振り返って見れば、ずいぶん甘えていましたね。

佐藤 親がつくってくれた弁当は、自分が大切に育てられてきたことの象徴です。
 ある男子中学生は、両親が忙しいといって弁当をつくってもらえず毎日、昼食代を渡されていました。最初、好きなものが食べられるといって喜んでいたのですが、友だちが弁当を食べているのを見てうらやましくなり、母親に「月に一度でいいから弁当をつくって欲しい」と頼んだそうです。すると母親から「あなたのために一生懸命働いているんだから、これ以上無理言わないで」と言われた。その子は「そんなに仕事が大変なら、俺を生まなければよかったのに」と訴えたというエピソードを聞いたことがあります。
 この子は、お金を渡されただけでは「大切にされている」と感じられなかったんですね。親が自分のことを大切にしていると感じられれば、自分自身を大切にしなければならないことが分かります。そして自分を大切にできれば、他人も大切にしようと思える。そうやって人は大人になっていくんだと思います。

――そんな弁当力を実践する場として「弁当の日」を推奨し、普及活動に取り組んでいますね。

佐藤 「弁当の日」は2001年に香川県の滝宮小学校で、当時校長だった竹下和男先生(現・同県綾上中学校校長)がはじめられたものです。子どもたちに自分で弁当をつくらせるという取り組みで、親は一切手だしをしません。
 これをはじめたら家庭の中の会話が増えて、子どもたちがたくさんほめられるようになりました。例えば卵焼きをつくったら、1本全部を弁当には入れませんから、残った卵焼きは親などが食べます。で、自分の子どものつくった料理をけなす親はいませんから、子どもは「良くできたね」とか「頑張ったね」とほめてもらえる。
 また教室では、朝から弁当の見せ合いで盛りあがるようになり、食事づくりの大変さを知った子どもたちは給食を残すこともなくなったそうです。いま、全国で522(今年1月1日現在)の小中高校や大学などが実践しています。

――自身が勤務する九州大学でも「弁当の日」を実践しています。

佐藤 以前から大学生の食生活の乱れを感じていました。僕は大学院で日本の農業の将来を担う学生を教えていますが、そんな農と食を一生懸命勉強している学生でもひどい食生活をしている。「これを変えるために何かが必要だ」と常々、感じていたんです。竹下先生の存在を知ったときは、これだと思いました。
 大学ではそれぞれの学生が1品ずつ持ち寄り、それをみんなで分け合って食べています。やってみて、自分の料理を「美味しい」と言ってもらえるのは凄くうれしいことなんだと実感できた。それで僕自身が完全に“はまって”しまいました(笑)。

――学生だけでなく先生も一緒に成長できると……。

佐藤 小学生の場合なら、親が一番変わりますよ。黙って子どもを見守れるようになるんです。あるお母さんは、子どもがはじめて卵焼きをつくった際に、何度も失敗して結局、卵を30個も使うのを見守り続けたそうです。
 いまのお父さん、お母さんは、子どもが失敗しないようにと何でも手伝ってしまいます。成功はいいこと、失敗は悪いことといった価値観を無意識に子どもたちに刷り込んでいる。でも本当は、失敗から学ぶことはたくさんあるし、子どもには失敗する権利があります。この「失敗する権利」を保証するのが家庭の台所です。

顧客貢献への姿勢は家庭の食卓で育まれる

――最近、家庭の食卓が壊れてきているのを感じます。個人的に知っている例だと、毎日朝晩がコンビニ弁当で、飲み物は全部ペットボトルという家庭。料理や片づけの時間がもったいないそうです。

佐藤 食卓の乱れは、岩村暢子さんが書かれた『家族の勝手でしょ!』(新潮社)という本を読むと本当によく分かります。家族全員が一つの茶碗で味噌汁を回し飲みする家とか、びっくりする例がたくさん紹介されています。合理的なんでしょうが、それで果たして子どもたちは「大切にされている」と感じながら育つのか……。

――食事や弁当を家庭でつくるといった以前は当たり前だったことが、どんどん当たり前でなくなってきています。どんな影響が考えられますか。

佐藤 大学の「弁当の日」は、仲間がつくった料理ですから絶対に食べ残しません。残りそうになっても、全部みんなで食べきります。
 でもいまは、食事のつくり手が見えないケースが少なくない。そのせいか「金を払っているんだから残そうがどうしようが勝手だろう」という理屈が幅を利かせている。自分がつくった料理が食べ残されたらどんなに悲しいか、逆に「美味しい」と喜んで食べてもらうことがどんなにうれしいことかを、多くの人が体験から理解できていないから、こんな身勝手な言い分が出てくるんだと思います。家庭の食卓が乱れていけばいくほど、ますます「金を出せば何をしてもいい」とか「金を払う方が偉い」といった拝金主義的な価値観が、社会全体に蔓延していくと思います。

――拝金主義に対して嫌悪感を感じるのは、その言動や振舞いに他者への敬意を欠いた身勝手さが見え隠れするからだと思います。自己肯定感を得られないまま育つと、人は拝金主義へと傾倒してしまうということでしょうか。

佐藤 つくってくれた人、売ってくれた人に感謝する消費者が減っているのは感じます。
 僕は、消費は未来を決める選挙のようなものだと捉えているんです。仮に日本人が毎日コンビニ弁当ばかり食べていたら、コンビニ型の社会になってしまうでしょう。野菜も、消費者が望めば農業をやめて全部輸入したほうがいいとなるかもしれない。逆に有機野菜を購入すれば、有機農業をやる農家が増える。消費を通じどちらの未来を選ぶか投票しているのです。
 もちろん、コンビニ弁当がいけないとはいいませんし、忙しいときに活用するのはいいことだと思います。でも子どもを思うなら、せめていつも使っている茶碗に取り分けて並べてあげるくらいはすべきではないでしょうか。人と食を大切にする社会であって欲しいと思います。

――経営学の泰斗・ドラッカーは「企業の目的は顧客の創造である」と言っています。真の顧客は誰で、どんな価値を求めているのか探求せよといった意味合いですが、そのためにも他者への貢献を喜びと感じる力が重要だと感じます。

佐藤 「顧客の喜びは自社の喜び」と良く聞きますが、そうした姿勢は本をいくら読んでも身につきません。それは、家庭の食卓のような日常の生活の場で育まれる。根本となる感じ取る力の問題ですから……。

――顧客貢献のためには、顧客の潜在欲求を感じ取る「感性」、感じた感覚的情報を概念化し判断する「悟性」、そしてビジネスとして利益をあげるための「理性」が必要だと思います。ところがいま多くの日本人は、これらが劣化してきているように感じられます。

佐藤 弁当の話ばかりしていますが、僕は学校給食も非常に優れた仕組みだと捉えています。衛生的で温かい料理をバランス良く食べられますから。ところが、そんな給食を平気で食べ残す児童・生徒がいる。さらには給食費を払わない親がいる。こうした問題が現れるのも、家庭の食卓が乱れ、自分も他人も大切にできない人が増えているからだと思います。自分で弁当をつくってみれば、安価で栄養価の高い料理を提供することがいかに大変なことか理解できるはずです。

着実に広がる「弁当の日」一般企業での実践例も

――著書では「弁当を作れば、自分が変わり、家族が変わり、職場が変わり、いつか社会が変わる」と書かれています。幸いなことに、「弁当の日」を実践する学校は着実に増えているようですね。

佐藤 学校だけでなく、最近は企業も取り組みはじめています。例えば高知県のある農協では、月に一度「弁当の日」を開催しています。職員が弁当を持ち寄り、各自が自分の弁当をプレゼンするといったことをやっているそうです。

――企業での効果のほどは?

佐藤 週1回「弁当の日」を実践しているほかの一般企業の例では、社員が互いに認めあえるようになり、結束力が凄く高まったそうです。人間は本能的に承認への欲求がありますから、認められることで力が湧いてくるんです。

――企業が実践する上で何か留意点はありますか。

佐藤 あまり肩肘を張らず、最初は有志数人からはじめるほうがいいと思います。正義や理念といったものでなく、あくまでも食事ですから、楽しみながら取り組むといいでしょうね。一部の社員たちが楽しそうに「弁当の日」をやっていたら、ほかの社員も入りたがるようになります。
 「弁当の日」のシンポジウムなどのキャッチフレーズは、「広がれ弁当の日」なんです。「広げよう」じゃない。普及に向けた数値目標もある程度、決めてありますが、基本は、一人でも多くの人に弁当づくりの楽しさを理解していただき、まねしてもらうこと。楽しさを分かち合いながら、広がっていけばいいなと願っています。

(インタビュー・構成/広報部・千葉博文)

掲載:『戦略経営者』2011年2月号