岐阜県の「栗農家」と和洋菓子の製造販売会社「恵那川上屋」が連携して作った「栗きんとん」が、世間の評判を集めている。人気の秘密は何か――。「超特選恵那栗」の栽培から出荷、加工、販売に到るまでの一連の流れを“両者”が連携して作り上げたことにある。その成功の軌跡を鎌田真悟社長(48)に直撃した。

プロフィール
かまだ・しんご●1963(昭和38)年3月、岐阜県生まれ。1981年高校卒業後、東京都内の洋菓子店で修業し、地元の和菓子店で勤めたあと、1986年「恵那川上屋」に入社。92年専務、98年5月社長就任。著書に『日本一の栗を育てた男の奇跡のビジネス戦略』(総合法令出版)。

地元の「栗」を使って地元で加工して地元で売る

――昨年、恵那川上屋さんは「農商工連携で地域を活性化する ベストプラクティス30」(農林水産省・経済産業省)に選出されましたが、何がきっかけで地元の栗農家と一緒にやろうと思ったのですか。

株式会社恵那川上屋代表取締役 鎌田真悟氏

鎌田真悟 氏

鎌田 岐阜県東濃地域(恵那市・中津川市)は古くから栗栽培が盛んなところだったのですが、ある頃から《栗菓子の里だけれど栗の里ではなくなってきた》ことがそもそものきっかけです。
 恵那川上屋は1964年、先代(鎌田満会長)が興した会社(和洋菓子の製造販売)で、私は高校卒業後(81年)、家業を継ぐため東京都内の洋菓子店で修業しました。そんなとき、たまたま出かけた都内の百貨店で、地元の特産品である「栗きんとん」を買い求める列を目にしました。「郷土のお菓子が東京でもこんなに人気があるのか」と、つい嬉しくて自分も並んで買って食べてみました。
 ところが、口に入れた途端「あれっ?」と……。私が子供の頃、家などで食べていた栗きんとんの味と全然違っていたのです。なぜ味が違うのか。そこでこの疑問を解くため、私は東京での修業を終えたあと、地元の有名和菓子店で働き、現場を見てみることにしたのです。

――その結果、味が違う理由はわかったのですか。

鎌田 はい。東濃には昔から栗菓子店が数多くあるのですが、中央自動車道恵那山トンネル開通(75年)をきっかけに、栗きんとんが全国に流通するようになりました。80年代に入ると、多くの菓子店が東京や大阪の百貨店に出店していきましたが、それは逆に地元の栗農家を苦しめることになったのです。理由は栗きんとんが有名になり、全国的に売れるにしたがって地元の栗だけでは需要を賄えず、他県産の栗を使うようになったからです。実際、私が勤めていた和菓子店だけでなく、どの業者も卸売市場(名古屋)を通じて他県産の栗を大量に仕入れていました。よそから栗が市場にどんどん入るようになると安く買い叩かれます。そのうえ良い栗を育てても、品質が値段に反映されるようなこともありませんでした。これでは栗農家の方々が生産意欲を失ったとしてもおかしくありません。
 しかし、栗は鮮度が命です。九州や四国など他県で収穫された栗が、市場経由で東濃の菓子店に納品されるまでには時間(数日)がかかります。加えて現地では栗を燻蒸して虫を殺していました。燻蒸すると栗のでん粉が固くなります。これに対し私が子供の頃、食べた栗きんとんはその日の朝に採れた栗を炊きあげて作ったものでした。都内の百貨店で買って口にした栗きんとんの味が「昔と違うな」と感じた理由はここ(納品までの時間と燻蒸工程)にあります。

――地元の栗農家の現状などを知って、次にどのようなことをされたのですか。

鎌田 地元の栗を使わず、他県産の栗で作った栗きんとんが果たして地元の「銘菓」(地域ブランド)と呼べるのかと思いました。そこで、先代に「うちは“地元の栗を使って地元で加工して地元で売る”会社になるべきではないか」と言いました。つまりおおもと(栗)から変えてしまえば、よそが絶対に真似できないお菓子を作ることができると考えたわけです。
 先代は現在の中津川市坂下の出身で、小学校の同級生の一人が栗を栽培していました。あるとき、その旧友が「このままではみんな栗の栽培をやめてしまうかもしれない。あなたのところで栗を買い取ってくれないか」と先代に語ったのです。この“絆”をベースに、坂下の栗農家とスクラムを組むことにしたのです。「契約出荷」を結んだということです。坂下の栗団地の方々が生産した栗を当社が全量買い取るといのうもので、94年にスタートしました。当初は栗農家12軒・年間10トンの規模でしたが、現在は約80軒・100トンにまで増えています。

初めに栗農家に儲けてもらいあとで加工業者が儲ければいい

――どうやって栗農家との連携を軌道に乗せてきたのですか。

鎌田 一般的に農商工連携を行うにあたり、加工業者は農作物を安く仕入れたい、農家は高く売りたいと考えますが、これでは絶対にうまくいきません。そこで当社が取った方法は「初めに栗農家に儲けてもらい、そのあとで当社が儲ければいい」というものでした。
 実際、当時の栗の卸売市場での取引価格は1キログラム当たり300円程度でしたが、それを当社は500円から600円で買い取りました。その頃、当社の年商は約1億円で、借入金も4億円あり、火だるま状態でしたが、それでも買取価格を市場より高くしました。今ではとても怖くてできませんが、当時は頑張って働けば何とかなるという気持ちでやっていましたね(笑)。

――そのために最初に打った手は何ですか。

鎌田 恵那栗の品質アップ作戦です。契約出荷を始めた頃、農家の方々は採った栗を全部持ってきていたのですが、そのうち2、3割は使えず、ゴミになるので持って帰ってもらいました。歩留まりが悪いわけです。そこで朝、収穫した栗を、(1)水槽に入れ、浮いたものは捨て、沈んだものだけを集める、(2)大きさをMとLに選別し納品してもらうというやり方に変えました。要は「出荷条件」を定めたということです。
 例えばAさんが10キロ持ってきて、うち半分は使えなかったとします。それでも当社は市場より高い価格で全量買い取るわけですが、Aさんが栗の選別などを強化して歩留まりを50%から100%にアップしてくれれば、買取価格が市場より高くても問題ないわけです。
 長年、栗農家の方々は良い栗も悪い栗もいっしょくたにして、たくさん量を市場に出せばいいという発想で行っていました。それを、出荷条件に基づいて行うというやり方に変えたことで歩留まりが上がり、現在は買取価格が800円前後にまでなってきました。

――栗の歩留まり率アップと並行して、「超低樹高栽培」を全面的に取り入れたそうですね。

鎌田 はい。超低樹高栽培は、地元の塚本實先生が開発した栽培法です。塚本先生は農業試験場勤務時から50年以上にわたり栗の品種や栽培法などを研究する、この分野の第一人者です。実は、契約出荷がスタートしてから4年後の98年に「超特選栗部会」(東美濃栗振興協議会の下部組織)を立ち上げ、『超特選恵那栗』の規定づくりに取り組みました。塚本先生もそのメンバーの一人です。
 その規定は出荷条件と栽培条件の2つからなり、出荷条件は(前述したような)(1)浮き栗は使わない、(2)燻蒸は行わない、(3)対象品種は「胞衣」(早生/8月下旬~9月上旬)など11種類としています。一方、栽培条件は低樹高・超低樹高栽培で作られた栗しか認めないというものです。通常、放置した栗の木は高さ、幅ともに8メートル以上になり、手入れが大変なうえに日照も隅々まで届きません。これに対し、超低樹高栽培は効率的に剪定して樹高を3.5~2.5メートルに保つというものです。これによって、栗農家の作業が大幅に軽減されるとともに、枝が横に広がることで陽当たりが良くなり、樹木が健康に育ち、収穫量が増えます。実際、恵那栗の大きさは普通の栗の約2倍です。栗きんとんを作るのに打ってつけの栗なわけです(『戦略経営者』2011年4月号73頁参照)。
 さらに恵那栗の品質アップをはかるため、もう1つ行ったことがあります。「CAS冷凍システム」を導入したことです。これは栗を零下60度Cで急速冷凍する装置ですが、導入目的は栗の鮮度を保つためです。栗農家から納品された栗は当社の菓子工房で24時間以内に1次加工されます。その工程は栗を蒸し、鬼皮を割って除き、裏ごしして栗のペーストを作るというものです。このペーストを「えなぐりのたね」と呼び、CAS冷凍システムで保存します。これが栗きんとんなどのお菓子のたねになるわけですが、当社で1日に加工できる量は3トンが限界で、それを超える量の栗が納品された場合は、「生」の状態でCAS冷凍で保存します。

――通常、栗の収穫時期は8月下旬~10月中旬頃までといわれていますが、その間に採れた栗を生あるいはペースト(えなぐりのたね)にして保存し、必要なときに必要なだけ取り出して一年中お菓子を生産できるようにしたということですか。

鎌田 そうです。11品種の恵那栗の栽培、出荷、加工、保存という一連の流れを独自に構築したことによって、“地元の栗を地元で加工する”ことができるようになったのです。

「年間300トン・売上30億円」達成が目標

――とはいえ、どんなに素材(恵那栗)が良くても商品開発力が弱ければ、地元の方(消費者)からの支持を得ることはできません。

鎌田 おっしゃる通りです。94年に契約出荷を始めて以降、これまでに当社が開発した商品は約1000アイテムを数え、そのうち定着したのは約200アイテム、非常に売れているのは20アイテムほどです。どの製造業者も新商品開発が生命線ですが、なかでも当社の場合は、1つは世の中に認められるお菓子を作ることで栗農家に自信を持ってもらうこと、もう1つは地域の自慢を作りたかったことに狙いがあります。

――その代表例が栗きんとんを季節ごとに4パターン(秋・冬・春・夏)作ったことですか。

鎌田 秋の栗きんとんは、野球でいえば直球一本勝負という感じで、超特選恵那栗に少量の砂糖だけを加えて炊きあげたものですが、冬、春、夏はその時季に採れる旬な素材と組み合わせて商品化しています。例えば春の「里長閑」は白あんのつなぎに自然薯を使った練り切りで、栗きんとんをくるんだお菓子です。自然薯は岐阜県の「飛騨・美濃すぐれもの」にも認定されており、その朴訥とした土の香りが栗の香りをいっそう引き立て、絶品の味に仕立てあげています。

――では、どういう方法で地元の方に栗きんとんや里長閑などの存在を知らしめていったのですか。

鎌田 販促ツールは主にチラシを活用しました。チラシは地元のデザイン会社と一緒に作り、それを当時、毎朝JR中央線恵那駅などで配布しました。すると、そのうち「本店」(岐阜県恵那市)に名古屋ナンバーの車などがくるようになりました。名古屋へ通学・通勤する地元(恵那)の方が、学校や職場でチラシを見せてくれたからだと思います。やはり地元の栗で作ったお菓子が「おいしい」と地元の方に高く評価していただければ、世の中に広まるんだということですね。

――その結果、今では直営店(岐阜県内6店舗)に年間約65万人の方が訪れるまでになったとか。

鎌田 はい。業績も順調に伸びており、2010年6月期の売上は約17億円を記録しました。
 とはいえ、課題はあります。最大の課題は恵那栗の生産量を増大させることです。現在、当社が年間に使っている栗の量は約150トンで、そのうち約100トンを超特選栗部会(連携先農家)から仕入れ、残りを塚本先生の指導を受けている長野県や宮崎県の農家から調達しています。しかし、将来的には「年間300トン・売上30億円」という目標を掲げ、取り組んでいます。で、この目標を達成するために打った一手が、04年に当社が立ち上げた農業生産法人「恵那栗」です。これは単に収穫量不足をカバーするためだけでなく、今後、自力で100トンくらいの栗を賄えるようになれば、何が起きても事業継続できるという“保険”の意味合いもあります。というのも、現在、少子高齢化で後継者不足に悩む農家が、将来にわたって恵那栗を安定的に供給してくれるかという点で、多少の不安があるからです。
 いずれにしろ、当社がここまで成長することができたのは、地元の栗農家と連携して、よそが真似のできないお菓子を作り続けているところにあります。それは超特選恵那栗で作った「栗きんとん」を軸に《栗農家・お客様・恵那川上屋》の3者が喜びを分かち合える仕組みを作ってきたということにほかなりません。

(インタビュー・構成/本誌・岩崎敏夫)

会社概要
名称 株式会社恵那川上屋
所在地 岐阜県恵那市大井町2632-105
TEL 0573-25-2470
年商 約17億円
社員数 220名(パートを含む)
URL http://www.enakawakamiya.co.jp/

掲載:『戦略経営者』2011年4月号