厳しい経済環境下で中小企業が生き残るための有効な手段が「財務経営力」の強化だ。昨年誕生した新しい会計ルール「中小会計要領」と「中小企業経営力強化支援法」は、それを後押しする“両輪”となる。税理士の指導のもと、会計で会社を強くした中小企業の実像を追った。

 静岡県浜松市で内装工事業を営む加藤建材の加藤栄三社長(49)は昨年、一つの決断をした。2012年5月決算期を目前に控え、中小企業向けの新しい会計ルール「中小企業の会計に関する基本要領」(中小会計要領/昨年2月公表)を採用したのである。

 きっかけは、税務顧問の「税理士法人坂本&パートナー」からの提案だった。従来の「税務基準」や「中小企業の会計に関する指針」(中小指針)に比べて最も中小企業の実態に即した会計ルールが、今回の中小会計要領…というのが採用の理由。

 長年、坂本&パートナーの指導を通じて「財務経営力」を身につけてきた加藤社長は、その重要性にピンときた。2年前に自らの戦略ミスで苦々しい思いをしたことがあったからだ。

「シェア拡大」の戦略ミス

 2011年5月期決算──それは加藤社長にとって、忘れがたい苦い思い出となった。会社の1年間の成績表といえる決算書を目にした途端、「まずいな……」という思いが頭の中を駆け巡った。「売上高」は昨年の横ばいをキープしていたものの、「利益」が大幅に減っていたからである。

 「半年くらい前からこうした結果が出ることは、薄々感じていました。ただ、あらためて決算数字として突きつけられると、やはりショックでしたね」

 加藤建材が手がける仕事は、商業用ビル、一般住宅、学校、工場など、あらゆる建物の内装工事。天井、壁、床などの下地工事から仕上げ工事までを担う。この分野では静岡県西部地域でトップシェアを誇る。そんな同社がなぜ経常利益を激減させてしまったのか。それは「年商20億円」という目標達成に気をとられすぎたばかりに、利益獲得の面がおろそかになってしまったことが、主な理由だった。

 ご存じのとおり建設業界は冬の時代。バブル期に比べて市場のパイは半分ほどに縮小している。そんな中で加藤建材は「シェア拡大」を旗印に商圏を関東、中京、関西などにも広げてきたことで、年商20億円を維持してきた。だが、結果として、拡大戦略に固執してきたことが裏目に出てしまったのである。

 「工事の発注元である大手建設会社からのきびしい値下げ要請、それでも積極的に仕事を取りにいこうとするなかでの売上原価の増加。利益を大幅に減少させてしまった要因は、この2つにありました」

 売上原価の増加とは、要するに現場作業をする職人に支払う労務費が増えたということだ。建設業界は3Kの筆頭といわれ、もともと職人不足の傾向にある。年度末などの繁忙期に、若くて腕のいい職人を確保しようと思えば、それなりの報酬を支払うことを覚悟しなければならない。シェア拡大を進めるうえで、時にはそれも承知で必要な人員をかき集めることもあった。

 「また、ほかの会社にアウトソーシングするかたちで、本来なら自分たちが得意としていない商品まで受注していたのもまずかった。専門知識がないのに、扱う品種を増やしてしまったからです」

 当然、目標利益をあげられなかったことから、賞与の支給はお預けとなった。「仕事量は以前よりも増えているのに、年収が下がっているのはなぜ?」。そんな疑問を口には出さないものの、内心不満を抱いている社員がいることは、顔を見ればわかった。社内の士気は大きく低下していた。

 「経営者の“戦略”にもとづき、従業員は“戦術”を遂行する。かじ取り役である私が戦略ミスを犯してしまったわけで、たいへん申し訳ない気持ちでいっぱいでした」

「小商圏主義」に立ち戻る

 そこで加藤社長が方針として掲げたのが、「売り上げ重視の経営から利益重視の経営への転換」だった。その具体策として着目したのが、弱者が強者に勝つための方法論を説いた「ランチェスター戦略」。すなわち商圏、商品、客層などを絞り込む一点集中型の戦略だ。

 「利益を引き上げるうえで重要なのは、とにかく広げすぎた商圏を地元の静岡県西部地域中心に戻すのと同時に、業容を自分たちが得意とする分野だけに絞り込むことだと判断しました」

 もともと加藤社長はランチェスター戦略に関心があり、その第一人者である竹田陽一・ランチェスター経営代表のセミナーに参加したり、DVDや書籍を購入して勉強する熱の入れようだった。

 「しかし、浜松市周辺である程度のシェアを獲得したことで自分たちの能力を過大評価してしまい、強者の戦略に出てしまったことがそもそもの間違いだったのです」

 ランチェスター戦略に立ち戻ることは、加藤社長にとっていわば原点回帰だったのだ。

 とはいえ、この一点集中型のやり方で、本当に期待する成果をあげることができるかどうかはやってみなければ分からない。商圏やお客を絞り込めば、売り上げが落ちることを覚悟しなければならない。それでも狙いどおり利益を増やしていけるかは正直、半信半疑なところ。そこで、利益がきちんと出ているかどうかを月次ベースでモニタリングしていくことにした。「1年後に戦略ミスが明らかになる」といった事態を防ぐためである。

 加藤社長が活用したのが、TKCの財務会計システム(『FX2』)を使った業績管理だった。会計事務所の「巡回監査」と、「月次決算」の実践を前提としたシステムである。毎月の業績がパソコン上でタイムリーに把握できるし、巡回監査のときには会計のプロである監査担当者にいろいろ相談できる。このリソースを活用しながら、新たな戦略の成果を毎月確認していった。

 それからおよそ1年。再び決算期を迎えた昨年5月、加藤社長は満面の笑みを浮かべていた。売上高は約17億円となったものの、「税引き前当期利益」は前年に比べてなんと約22倍に跳ね上がったのだ。この成果を踏まえ、月末には決算賞与を支給。社内のムードは一気に明るさを取り戻した。

中小会計要領に沿った決算書

 そんな劇的な利益向上を果たした加藤建材が、昨年の決算で使用した会計ルールが冒頭に記した中小会計要領である。

 中小会計要領は、「収益、費用の基本的な会計処理」など14項目からなり、「原則取得原価主義」や「記帳(入り口段階)を重視した会計基準」などが特徴だ。従来、同社は税務基準にしたがって決算書を作成していたわけだが、それを中小会計要領に切り替えたことでどこが変わったのだろうか。一番は「退職給付引当金」と「賞与引当金」を新たに計上したことだったという。

 中小会計要領では、従業員との間に退職金規程や退職金などの支払いに関する合意がある場合、「当期の負担と考えられる金額を退職給付引当金として計上しなければならない」とされている。また、賞与引当金については、翌期に従業員に対して支給する賞与額を見積もり、当期の負担と考えられる金額を引当金として計上する必要がある。しかし、これまで税法上は、退職給付引当金と賞与引当金について廃止されていたため、加藤建材では引当金を計上していなかった。

 一般的に引当金を費用あるいは損失として計上すれば、当期利益が減ったり自己資本比率が下がるなど、決算書の見ばえが悪くなる。にもかかわらず、加藤社長が中小会計要領の採用を決めたのはなぜか。

 「経審(経営事項審査)のことを考えれば、決算書の見ばえは少しでもよくしたい。しかし、当社の経営実態をより正確に把握する仕組みにしなければ、2年前のような戦略ミスをまた犯すかもしれませんし、いまは無借金経営ですがもし仮に今後、金融機関に融資を申し込む際、自分の言葉で説明することもできないだろうと思いました。

 実際、従来のやり方では退職者が出たとき、どかんと大きな金額を計上することになるため、その期に利益が出ていたとしても退職金の発生によって赤字転落ということもあり得ます。しかし、引当金を計上しておけば、正しく期間損益を把握できますし、そんな不安も解消してくれますからね」

 結局、退職給付引当金については坂本&パートナーの助言・指導にもとづき3年間をかけて計上していくことにした。

 実は、坂本&パートナーでは関与先企業に対して積極的に中小会計要領の導入を提案している。巡回監査の際に担当者が中小会計要領の必要性を経営者に説明するほか、地元金融機関にも参加を呼びかけてセミナーを開催している。これは、中小会計要領の策定に深く携わった代表者の坂本孝司税理士の方針による。

 加藤建材の巡回監査を担当している大橋英明さんは、「当事務所主催のセミナーのなかでは、中小会計要領を採用すると、賞与引当金や退職給付引当金、それと減価償却の過年度償却不足額などを計上する必要がある一方、『財務経営力』が高まることなどを解説しました」と話す。

 ちなみに坂本&パートナーは昨年秋、中小企業経営力強化支援法(『戦略経営者』2013年1月号15頁囲み記事参照)による「経営革新等支援機関」の認定を受けた。これまで以上に関与先企業の財務経営力強化に使命感をたぎらせている。

会計事務所を100%信頼する

 加藤社長と坂本&パートナーが顧問契約を結んだのは今から11年前。そもそもは、加藤社長が地元の信用金庫が主催する若手経営者を対象とした勉強会に参加したのがきっかけだった。

 「そのとき講師を務めていたのが、坂本&パートナーの大鷹さんでした。実家が近所で一学年上の先輩だった大鷹さんとはそのとき久しぶりに再会したのですが、それを機に経営に関するいろいろなアドバイスをもらうようになり、その後、正式に税務顧問をお願いするようになりました」

 毎月の巡回監査などを通じて、加藤社長はそれからメキメキと財務経営力を身につけていった。

 いまでは「会計で会社を強くする」という指導方針を掲げる坂本&パートナーを100%信頼しているという加藤社長。「ドンブリ勘定がまだまだ当たり前の内装業界の地位向上を図るためにも、まずは自分たち自身が財務経営力の強化がよりよい会社を作るうえで不可欠であるということを示していきたい」と話す。

(取材協力・税理士法人坂本&パートナー/本誌・吉田茂司)

会社概要
名称 加藤建材株式会社
設立 1959年2月
所在地 浜松市中区曳馬3-14-22
TEL 053-461-8888
売上高 約17億円
社員数 22名

掲載:『戦略経営者』2013年1月号