数学的な視点で物事の流れをとらえ、渋滞を生み出すメカニズムを解明する「渋滞学」。工場やオフィスなどにおける業務改善にも知見が生かされている。渋滞学生みの親である西成活裕氏の話は、働き方や組織運営のあり方にまでおよんだ。

プロフィール
にしなり・かつひろ●1967年東京都生まれ。東京大学大学院博士課程修了。専門は数理物理学、渋滞学。著書に『渋滞学』(新潮社)、『とんでもなく役に立つ数学』(朝日出版社)、『シゴトの渋滞学』(新潮社)など。研究活動の傍ら、数多くの企業に足を運び業務改善のアドバイスを行う。
西成活裕 東京大学 先端科学技術研究センター教授

西成活裕 氏

──「渋滞」を研究対象にえらんだ理由を教えてください。

西成 もともと数学や物理学を研究していて、なかでも水や空気の流れを専門領域にしていました。しかしそれらの流れは200年前から研究されていたため、あまり面白くなくなってきてしまったんです。新たな研究対象を探していたときにひらめいたのが、人や物の流れ、自動車による渋滞でした。大学院生だった27歳のころです。数学を使って渋滞を研究している研究者は、少なくとも私のまわりには誰もいませんでした。渋滞というテーマなら学んできたことを生かせるし、社会貢献もできる。以来、車だけでなく物流や意思決定にまで領域を広げ、「流れの滞り」を解決するべくチャレンジしてきました。

──斬新なテーマだけに、注目されたのでは?

西成 今でこそ企業経営者の方々からご相談をいただいたり、渋滞学が注目を浴びてありがたいですが、当初まったく関心を持ってもらえなかったですね。学会で研究成果を発表しても閑古鳥状態。ビジネスの世界にも当てはまりますが、何か新しいことを始めると、たいてい相手にされない。予算も十分に割り当てられず、研究資金の捻出には苦労しました。ただ、全員が否定するからこそ新しいテーマなのだと事あるごとに言い聞かせてきました。新しいことをやるとはこういうことじゃないかと。それでも5年ぐらいたつと、だんだん落ち込んでくるわけですよ。尊敬する先輩に相談したら「偉大な研究者は、人びとが見向きもしないテーマでも最低7年間研究しつづけたから、7年間は踏みとどまれ」とアドバイスされ、あと2年ぐらいがんばろうと奮い立たせました。
 研究7年目に突入したある日、新聞社の取材を受けて小さなベタ記事が掲載されました。それが出版社の方の目に留まり、渋滞をテーマにした本を書かないかという提案を受け、出版したのが『渋滞学』です。いったい誰が読むんだろうと感じていましたが、おかげさまでヒットし、世の中の評価が180度変わりました。発売した翌月から学会は立ち見がでるほどの盛況。周囲の反応の激変ぶりが不思議でなりませんでした。諦めずに研究しつづけることができたのは、渋滞は近い将来、社会問題になると確信していたからです。人はどんどん東京に集まるだろうし、物を運ぶ仕事はなくならない。そこにかけました。

──最近、運転していると「登り坂 速度低下注意」といったドライバーに注意を促す標識を見かけたり、渋滞削減に向けた取り組みを感じますが、渋滞は減ってきているのでしょうか。

西成 下り坂から登り坂に変わるポイントを「サグ」と言いますが、車の渋滞をもたらす原因の筆頭がサグです。新たに道路を設計する際は、渋滞に関する研究成果が取り入れられています。例えばおととし開通した新東名高速道路では、登り勾配や急カーブを極力おさえ、ドライバーが運転しやすいつくりになっています。メディアでさまざまな渋滞原因が取り上げられ、人びとが知識を身につける機会が増えているのも大きいですね。渋滞を防止するためには技術だけでなく、一人一人が自ら考え行動することが大切です。現在、渋滞のメカニズムに関する知見を応用した業務改善などのテーマで、年間100回ほど講演をしています。

あらゆる渋滞を制御する

──渋滞学を生かした業務改善の例をお聞かせください。

西成 最近関わったのは、成田空港における入国審査業務の改善です。ピーク時にはカウンターに行列ができるほど混雑しますが、利用客が少ない時間帯まですべての窓口を開けておくのは無駄といえます。われわれは成田空港に行って測量機を転がして距離を測ったり、5年間をかけてありとあらゆるデータを集め、窓口の運用システムを構築しました。スポットに到着した便の乗客全員がトータル何分で窓口にたどり着くのか、かなり正確に計算できるようになりました。これも人の動きのモデリングを10年以上やっていたからです。このシステムは4月から運用がはじまっていて、だいぶ行列が緩和されてきているそうです。私がこれまで携わってきたなかでは、最大級の改善につながった事例だと思います。

──行列を効果的につくるアドバイスもされているとか。

西成 あるうどん店が新装開店したとき、どうすればお店を来店客で"渋滞"させられるか相談をいただいたことがあります。現地に行ってわかったのは店員の手さばきがスムーズで、注文後すぐにうどんをお客に出していたこと。そこであえておそく調理することを提案しました。おのずとお客が店頭に並びはじめたわけですが、行列が長すぎると嫌がられます。研究成果によると、人の待ち時間の限界は10分程度。それを目安に行列の長さを調節します。これは飲食店で使われている手法ですが、「リザーブド」という札がテーブルに置かれていることがありますよね。あれは予約されているわけではなく、実は行列調整が目的のこともあるんです。行列が伸びてきたら、札をとってお客を席に案内する。もちろん本当に予約されているケースもありますが(笑)。

損して得をとる発想

──近ごろ効率的な働き方がクローズアップされていますが、西成さんは「科学的ゆとり」の導入を提唱されています。

西成 ええ。将来プラスになるのを計算し、あえて損する行動をとることを科学的ゆとりと呼んでいて、新たな研究テーマとして力を入れています。わかりやすい例を挙げると午後の授業中、多くの生徒が寝てしまうという悩みを抱えていた高校がありました。「眠いならいっそのこと寝かせてしまおう」と提案した先生がいたそうです。昼食後12分間の仮眠時間を設けたところ、誰も寝なくなった。一見、損をしているように思えますが、生徒たちの集中力は高まり、生産性は上がったわけです。
 企業での改善例をお話しすると、全社員にメールを発信し、添付したエクセルシートに記入してもらい、期限内に取りまとめる業務を担当している部署がありました。回収がはかどらず、催促のメールを出すのが毎度のことだったそうです。原因はシートの内容にありました。項目ごとに何をどう書いていいのか、よくわからないのです。記入例や注意事項をポップメニューで示すよう提案してみました。そんな作業をするひまはないと社員から抵抗されましたが、30分作業してみて効果がなければやめていいと説得。実際に試してもらったところ、記入方法に関する質問の電話が減り、以前より3日回収期限を早めることもできたと感謝されました。

──30分間作業することで最終的には3日得したわけですね。急がば回れです。

西成 効率化を極限までおし進めると、長い目で見たとき組織は疲弊します。企業経営者の方には目先の業績に一喜一憂せず、どっしりと構えていてほしいですね。日本には数百年続いている老舗がたくさんあるわけですから、永続企業の条件を学ぶべきです。同様のヒントをくれるのが植物です。植物は長期的な気温変動を読み取れる個体しか生き残れません。小さな変化を無視し、トレンドを読み取る遺伝子が植物に備わっていることが昨年、ある研究で明らかになったんです。これには感動しました。1年の間には急に暑くなったり、寒くなる日が数日あるものですが、それに左右されず季節の流れに合わせて開花する。生きぬく知恵を植物が教えてくれている気がします。

言葉を因数分解する

──5月に出版された『誤解学』は『渋滞学』、『無駄学』につづく3部作と聞いています。

西成 これまで100社以上の企業の改善活動をお手伝いするなかで、最大の障壁として多くの人が口にしていたのが「コミュニケーション」でした。コミュニケーションの渋滞している状態は「誤解」だとひらめき、5年前に誤解学の企画が生まれました。私は物事を理解するとき、細かく分解して考える「微分思考」を習慣にしていますが、コミュニケーションを分解すると非常に奥が深い。まず自分の伝えたい「真意」があって、真意の元に「メッセージ」を発します。相手はそれを受け取り「解釈」する。解釈をベースにして相手からある真意を帯びたメッセージが発せられます。このように誤解はコミュニケーションが1周して発生するものなのです。

──本書では誤解を回避するため取り組んでいる中小企業について触れられています。

西成 広角視野のミラーを製作しているコミーという会社では、社員同士の誤解をふせぐため共通用語集を独自に作成しています。「営業」、「価格」など当たり前と思えるような言葉まで社員が話し合って定義を決めていて、120ほどの用語が掲載されています。たとえば「ブランド力」は「信用力×知名度」と定義されています。ブランド力の向上というテーマに取り組むとき、メディアに広告を掲載したり、地域ボランティアを行ったり、社員は信用力と知名度を引き上げる施策を考えればいいわけです。言葉の因数分解ができているので、統一性を持ったアイデアを考えられる。
 人は誰しも生きてきたプロセスが違うわけですから、同じ言葉でもイメージする内容は異なるもの。社員数の少ない会社ならコミュニケーションは円滑にできるというわけではないのです。小宮山社長によると、共通用語集の作成には大変時間がかかったものの、不良品やクレームが減ったり、無駄な時間を大幅に削減できたと感じているそうです。科学的ゆとりの成功例とも言えます。

──飲み薬のただし書きにある「食間」の意味を勘違いされていたそうですね。

西成 つい最近まで食事の最中に薬を服用していて、妻に指摘されて初めて誤っていたことに気づきましたね。食間ではなく「食時間」と書いてあるほうが誤解する人が減ると思います。

(インタビュー・構成/本誌・小林淳一)

掲載:『戦略経営者』2014年8月号