長らく日本の経済を支えてきた製造業において本格的なデジタル化の波が押し寄せている。ものづくり企業がDX(デジタルトランスフォーメーション)を実践し、業務効率の改善や付加価値を創造するためのポイントとは──。

プロフィール
いわもと・こういち●香川県生まれ。1981年京都大学卒、83年京都大学大学院(電子)修了後、通商産業省(現経済産業省)入省。在上海日本国総領事館領事、産業技術総合研究所つくばセンター次長、内閣官房参事官、経済産業研究所上席研究員等を経て、2020年4月から現職。『インダストリー4.0』(日刊工業新聞社)、『ビジネスパーソンのための人工知能』(東洋経済新報社)、『中小企業がIoTをやってみた』(日刊工業新聞社)など著書多数。
ものづくりのDX

 新型コロナ感染症は業務のデジタル化を一層加速させた。例えばウェブ会議システムを活用した商談やミーティングである。オンラインでの打ち合わせそのものは以前から一部の企業で実践されていたが、コロナ禍を契機に広く普及。オンライン商談はもちろん、「ウェビナー」、「リモート交流会」といった新たな取り組みも市民権を得た。

 一方、製造業ではコロナショックのはるか前から業務のデジタル化が進められていた。「インダストリー4.0」(第4次産業革命)である。これまでスタンドアロンで動作していた機械設備がネットワークに接続できるようになり、製品製造プロセスの改善や高付加価値製品の大量生産が可能となった。スマートファクトリーを実現する上で重要な役割を担う「カスタマイゼーション」、「サイバーフィジカルシステム」、「コグニティブコンピューティング」などの技術も、一時脚光を浴びた。ただし、これらの取り組みは大企業に集中しており、ほとんどの中小製造業ではデジタル化の推進に後ろ向きの姿勢をみせていた。IoTやデジタルトランスフォーメーション(DX)の話題になると多くの中小企業経営者が「ウチには関係のない話なので……」とお茶を濁していたのである。

 とはいえ、デジタル化はもはや不可逆的な時代の流れだ。変化の渦中では時流に逆らうよりも、一歩先を走ろうと意識することで、やがてビジネスでの成功に結びつく。その点、最近は情報技術の進歩やコロナ禍の影響もあり、DXの推進を課題として捉える経営者も増えてきている。

 中小製造業にも、ようやくデジタル化の風が吹き始めたようだ。

業務のスリム化を実現

 広がりつつある取り組みの一つがペーパーレス化だ。特に地方の製造業ではいまだに紙の文化が根強く残っており、受発注のやり取りや設計図の作成、製造指示などはもっぱら紙ベースで行われている。製造現場が紙の書類であふれている……といった問題意識を抱く経営者も多いことだろう。実際に、ある中小製造業では紙の資料を数十年単位で保管しているため、オフィスの壁一面を埋め尽くすほどの書類の管理を余儀なくされているという。

 このような企業では、主にタブレット端末と周辺機器を導入することでペーパーレス化を推し進めている。資料作成はもっぱらタブレットで行い、書類も基本的にデータで保存するため、情報の一元管理、書類の保管コスト削減、物理的なスペースの確保が実現される。資料を探す手間も大幅に省けるし、同じ設計図を部門ごとに作成する必要もない。無駄な作業がそぎ落とされ、業務がスリム化することで従業員の労働時間を削減できたり、余剰人員を営業職やマーケティング部門などに振り向けることも可能となる。営業基盤を強化することでより一層の売り上げアップも期待できるだろう。ペーパーレス化の取り組みは、単なる生産性の改善だけにとどまらず、付加価値の拡大につながる可能性を秘めているのだ。

スモールスタートが肝要

 他方、デジタル技術を活用することで、機械稼働率の向上を実現しようとする動きも目立っている。製造現場において望ましいのは常に機械がフル稼働している状態である。ひとたび動きがストップすると、再開までにロスタイムが発生し、生産ペースの停滞、作業員の手待ち時間拡大を招くからだ。そこで、無線LANに接続できる小型のセンサーを機械に取り付け、稼働データを収集・分析することで稼働率の向上を目指す取り組みが注目を集めている。

 実際に稼働データを社内のシステムと連動させ、機械がストップした原因の追究、分析、対策の実行を繰り返すことで稼働率アップを達成した企業もある。この会社が出色だったのは、これらの取り組みと並行して社員のデジタル教育にも力を注いだことだ。近隣の工業技術センターが主催する研修プログラムに社員を参加させ、デジタル化の推進に必要な知識や技術、データ分析手法の習得を支援したのである。これらの取り組みが奏功し、稼働率は大幅に改善。ロスタイムを抑えたことで生産性も向上。売上高も対前年比で3割アップするなど目覚ましい成果を収めた。

 中小製造業の場合、大企業のように全工程で一気にデジタルシフトを進めようとすると、高い確率で失敗に終わる。軌道に乗せるにはボトルネックとなっている工程をあぶり出し、そこにピンポイントでデジタルツールを導入するべきだろう。中小製造業がスムーズにDXを進めるためには、欲を張り過ぎず、スモールスタートで始めることが肝要だ。

試行錯誤を繰り返す

 さて、これから業務のデジタル化に本腰を入れて取り組もうという経営者も多いと思うが、ことはそう簡単に進まないのが実情である。私は2016年4月以来、中小製造業9社とITベンダー、デジタル技術の有識者で結成された研究会(「IoT、AIによる中堅・中小企業競争力強化研究会」)を主宰し、中小製造業におけるデジタル技術の導入を支援してきた。プロダクトの異なるさまざまな製造業のデジタル化を進めるなかで、経営者や従業員たちが日夜試行錯誤を繰り返す姿を何度も目にした。特に、多くの企業が次の三つのハードルに直面していた。

①具体的に何から取り組むべきか分からない
 先に述べたように、最近は中小企業経営者もDXの推進に前向きな姿勢をみせるようになった。ボトルネックとなっている工程や非効率な業務もしっかりと把握しており、デジタルシフトによって得られる効果も具体的にイメージできている。問題はその先だ。デジタル技術を取り入れるにあたり、具体的にどのようなアクションを起こせばいいかが分からず、計画が暗礁に乗り上げるケースが多くみられる。
 このような場合には、日ごろからつながりのある経営者仲間や取引先、雑誌や新聞などのメディアを活用して成功事例を収集することが有効である。最近ではDXによる生産性向上、付加価値の創造を実現した中小製造業も少なくない。業態や売り上げ、従業員規模が近い会社の成功事例を研究することで、デジタル化を進めるにあたっての道筋が見えてくるはずだ。

②投資金額に限りがある
 ITツールはお金をかければかけるほど成果が期待できるのは事実である。そのため、ITベンダーに自社の課題、業務プロセスの改善ポイント、社長や現場作業員の要望などを赤裸々に打ち明けたところ、膨大な金額の見積書が返ってきた……という話が頻繁に起こりうる。そのため、大企業と比べて経営資源に限りがある中小企業の場合、先ほど述べたようにボトルネックとなっている工程をあぶり出し、ピンポイントでデジタル技術を導入するという発想が求められる。スモールスタートで始めて成功体験を積み、徐々に裾野を広げることが望ましい。

③ITに精通した社員がいない
 中小企業のほとんどが、システムの導入やデジタル基盤の整備を担うエンジニアを自社で確保できていない。したがって、システムを具体的に構想することができず、ベンダーとの打ち合わせでも議論が進まず平行線をたどる。さらに、ITツールを実装しても自社で維持・管理できず、メンテナンスもベンダー任せになる場合も多い。
 これらを解決するにはITに精通した社員を採用し、育てあげることが望ましいが、人材採用・育成はデジタル分野に限らずすべての中小企業が直面している課題である。自社ですべて切り盛りするに超したことはないが、場合によってはIT関連の知識が豊富なプロ人材の支援を得たり、地域の工業技術センターが主催する研修プログラムを積極的に受講することも有力な手段の一つだ。

 時代の転換期においては、これまでと同じ仕事を繰り返すだけでは不十分だ。環境変化を肯定的に捉え、新しい取り組みに果敢に挑戦する姿勢が重要となる。労働集約型の人海戦術から、デジタル技術を取り入れたスマートなものづくり企業へ──社長自身が強いリーダーシップを発揮し、試行錯誤を重ねながらデジタルシフトを進めることで、激動の時代を生き抜いて欲しい。

(本誌・中井修平)

掲載:『戦略経営者』2021年2月号