外国人労働者の待遇改善、パワハラ・セクハラの防止……など、人権を尊重した企業経営はもはや国際的な潮流だ。中小企業はこれらの課題に対し、どのような対応を取ればいいのだろうか。「ビジネスと人権」研究の第一人者である大阪経済法科大学の菅原絵美教授が解説する。

プロフィール
すがわら・えみ●専門は国際法、国際人権法。大阪大学大学院国際公共政策研究科博士後期課程修了(博士(国際公共政策))。大阪経済法科大学助教、准教授を経て2021年度から現職。国際人権法の観点から「ビジネスと人権」について研究を進めている。著書に『人権CSR ガイドライン企業経営に人権を組み込むとは』(解放出版社)、『国際人権法の考え方』(法律文化社)がある。
菅原絵美 氏

菅原絵美 氏

「ビジネスと人権」に関する社会的要請が高まってきています。なかでも、近年注目を集めているのが「ウイグル問題」。中国・新疆ウイグル自治区に暮らすウイグル人やその他の少数民族に対する人権問題で、「ユニクロ」を運営するファーストリテイリングは、米・フランス当局から「ウイグル人の強制労働に関わっているのでは」と問題視され、早急な対応に追われました。

 この例を出すと「自社は中国と取引をしていないので関係ない」といった声が聞こえてきそうですが、ウイグル問題はあくまでも氷山の一角にすぎません。ILO(国際労働機関)が2016年に行った調査では、世界の約200人に1人が劣悪な環境のもとで働かされているという事実を明らかにしています。これは強制労働による人権侵害が身近でかつ大規模であることを示しており、中国に限らずグローバル展開を行っている企業は、知らず知らずのうちにこの問題に加担している可能性があるのです。

 強制労働による人権侵害に加え、人身取引、強制結婚、児童労働といった問題は「現代奴隷」と呼ばれ、国際的にも解決が叫ばれています。特に中小企業のなかには海外に工場や協力会社を持っている企業が少なくないので、現代奴隷問題は決して他人ごとではないと言えます。

 現代奴隷だけではありません。日本の技能実習制度も人権侵害が横行しているとして諸外国から批判を浴びています。中小企業のなかには人手不足をカバーするために技能実習生を受け入れている会社も多くありますが、安い賃金で長時間働かせたり、なかには給料の支払いを遅らせたりするなど、劣悪な環境で働かせているケースが少なくありません。実際に米国国務省が毎年発表している『人身取引報告書』では、技能実習制度が「強制労働の温床になっている」と指摘しています。技能実習生を受け入れている企業は外国人労働者の権利を侵害していないかどうか、改めて見直す必要があるでしょう。また、障がい者や女性・LGBT等の性的少数者に対する差別、ハラスメント、消費者の安全や健康への配慮を欠いた商品の製造・販売・広告宣伝活動も人権課題として対応が求められています。

 このように、ビジネスを取り巻く人権課題は今やバリューチェーン全体に及んでおり、これらの問題に対して自社はどう対応するのか、具体的にどのような施策に取り組むのか、その結果をいかにして開示するか──といった取り組みがすべての企業に対して要求されているのです。

経営戦略レベルで問われる

 では、実際に企業はどのような対策に着手するべきなのでしょうか。これを確認する前に、まずは「ビジネスと人権」を巡る世界の動きについてみていきましょう。

 ビジネスによる人権侵害が問題視されるようになったのは1970年代のことです。当時、発展途上国に進出した先進国の多国籍企業が、現地の住民や先住民族の権利を侵害する例が多く確認されました。例えば、ナイジェリアでは欧州の石油大手ロイヤル・ダッチ・シェルによる大規模開発が進められた結果、土地や河川等の環境汚染が深刻化し、現地住民の生活が脅かされるという事態が発生しました。このような背景から多国籍企業による権利侵害が国際的に議論されるようになり、76年には「OECD多国籍企業行動指針」、77年には「ILO多国籍企業宣言」が策定されるなど、多国籍企業による乱開発に歯止めをかけるような規範が相次いで定められました。

 さらに、90年代後半から、「企業の社会的責任」(CSR)の取り組みが広がります。その背景には、グローバル化の進展により企業活動が社会に大きなインパクトを与えるようになったことが考えられます。この時期に注目を集めたのが米スポーツ用品大手ナイキによる「スウェットショップ問題」。東南アジアにあるナイキの委託工場で、当時就労年齢に達していない子どもたちを低賃金で長時間働かせるなどしていました。直接引き起こした人権侵害ではないとはいえ、委託元であるナイキには批判が殺到。国際的な不買運動を引き起こし、株価も落ち込むなど世界を巻き込んだ騒動にまで発展しました。

 その後、10年代に入ると人権対策が経営戦略レベルで問われるようになります。11年には国際連合が「『ビジネスと人権』に関する指導原則」を承認しました。これは企業や政府が人権課題への対応を進めるために取り組むべきテーマについて定めたもので、①人権尊重を盛り込んだ基本方針の表明②人権に関する影響を特定、予防、軽減、説明するための人権デューデリジェンス(相当の注意)のプロセス③人権への悪影響を是正・救済するためのプロセス──の3本柱で構成されています。

 指導原則が承認されたことを契機に、国レベルでの行動計画を作る動きが国際的に活発化しました。日本では20年に「『ビジネスと人権』に関する行動計画」が策定され、企業活動における人権尊重の促進を目指しています。

人権課題を具体化する

 では、実際に企業が人権課題の解決に取り組む場合、どのような手順で進めればよいのでしょうか。ここで参考となるのが前述した「『ビジネスと人権』に関する指導原則」。この原則の3本柱を軸に自社の取り組みに落とし込むのです。すなわち①人権方針の策定、人権課題の明確化②人権課題の評価、侵害の回避・解消③積極的な情報開示──の3つのステップを踏んで取り組むことをお勧めします。

①人権方針の策定、人権課題の明確化
 自社が人権課題に対してどう向き合っていくかを表明し、企業活動に組み込みます。このとき、事業や業務内容が人権課題とどう結びついているかを明らかにするために、「誰にとっての権利か」「どんな権利か」の2つに分解して考えることをお勧めします。従業員、取引先、顧客、地域住民や製品の最終消費者……といったように、バリューチェーン全体にかかわるステークホルダーをピックアップし、それぞれが尊重されるべき権利(生命・健康・教育など)を抽出するのです。

 例えば、「健康に関する権利」を考える場合、労働者の立場ではメンタルヘルスや長時間労働の防止といった施策が必要ですし、消費者の立場では食品の安全性や過剰摂取を助長しないマーケティングといった取り組みが必要になるでしょう。地域住民であれば「製造に伴う廃棄物や工場排水の管理」といった対応が考えられます。人権課題はとかく「優しさ」「思いやり」といった言葉で語られがちですが、こういった抽象的なところからスタートすると具体的な活動に展開することが難しくなります。実効性の高い打ち手を講じるためにも、課題を「誰の」「どんな権利か」に分解し、その権利が侵害されていないかを考える必要があります。

②人権課題の評価、侵害の回避・解消
 ①で明らかになった課題が実際に発生していないかどうかを点検します。ここで大切なのはステークホルダーとのエンゲージメント(対話・協働)を高めること。従業員や取引先などすべての利害関係者と対話を重ね、権利侵害を行っていないか、自社の人権対応は適切か、などを確認してください。場合によっては一定の予算を立てて、社内制度や施策に反映することも検討しなければなりません。

 さらに権利侵害につながるような事態が起こった場合に備えて、ステークホルダーの声が適切に届く仕組みを構築する必要もあるでしょう。ビジネスに関わる人権課題は広範囲に及ぶため、知らず知らずのうちに権利を侵してしまっている場合もあります。予防ももちろん重要ですが、発生した問題に速やかに対応するためにも、通報・相談窓口を設置するといった救済の仕組みをしっかりと整える必要があります。

 いずれにしても、ステークホルダーとの対話・協働で集めた"生の声"を、全社的な仕組み・制度に落とし込むことで人権課題の回避・解消につながるのです。

③積極的な情報開示
 自社の取り組みを開示し、ステークホルダーに広く情報発信することも大切です。ただし、中小企業は金融商品取引法にもとづく業績資料の開示は義務ではないので、自社のウェブサイト等で開示することをお勧めします。

 今や人権課題はDXや脱炭素と並んで取り組むべきテーマと言っても過言ではありません。ビジネスによる人権侵害を予防・是正・救済するためにも、経営戦略に人権の視点を取り入れることが求められているのです。

(インタビュー・構成/本誌・中井修平)

掲載:『戦略経営者』2022年1月号