デジタル人材の育成が求められる昨今、期待がかかるのが小学校で2020年度から必修化された「プログラミング教育」である。各地の学校で行われているその実態と、デジタルネーティブ世代の若者の特性について、情報ネットワークをはじめとする多数の著書がある岡嶋裕史教授に聞いた。

プロフィール
おかじま・ゆうし●1972年東京都生まれ。中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程修了。博士(総合政策)。富士総合研究所勤務、関東学院大学経済学部准教授・情報科学センター所長、中央大学総合政策学部准教授を経て、同大学国際情報学部教授・学部長補佐。専門は情報ネットワーク、情報セキュリティー。『プログラミング教育はいらない GAFAで求められる力とは?』、『メタバースとは何か ネット上の「もう一つの世界」』(いずれも光文社新書)、『思考からの逃走』(日経BP)他多数の著書がある。

──そもそもプログラミング教育とは、どのような教科なのでしょうか。

岡嶋裕史 氏

岡嶋裕史 氏

岡嶋 プログラミング教育というと、プログラミング言語を操るテクニックを教える場であると誤解されているケースが少なくありません。その本来の目的は「プログラミング的思考」を養うことにあります。文部科学省の公表した「小学校プログラミング教育の手引」によると、プログラミング的思考を次のように定義しています。

 〈自分が意図する一連の活動を実現するために、どのような動きの組み合わせが必要であり、一つ一つの動きの対応した記号を、どのように組み合わせたらいいのか、記号の組み合わせをどのように改善していけば、より意図した活動に近づくのか、といったことを論理的に考えていく力〉

 すなわち、プログラミング的思考とは論理的思考力や創造力を用いた、問題解決行動を意味します。プログラムを組む作業を「コーディング」といいますが、コーディングを通して、論理的思考力などを身につけてもらおうというのが本来の主旨です。
 プログラムには、コンピューターへの指示命令内容が順番に記されています。いわば、運動会のプログラム表のようなものです。プログラム表に誤字が含まれているとき、人間なら自分の頭で考えて行動してくれるでしょう。しかし相手がコンピューターの場合、指示内容や順序を少しでも間違えると、意図したとおりに動いてくれません。ですからプログラミング的思考を養うツールとして、コーディングを活用するのは良いアイデアだと思います。

──いま教育現場で行われているプログラミング教育の実態を教えてください。

岡嶋 当初は一部の学校で、「プログラミング」という科目を新設しようとする動きもありました。とはいえ、パソコンやタブレット端末等のインフラは十分に整備されておらず、専任で教えられる教員もいない。教師は既存の授業を教えるのに、手いっぱいの状態。そのため、国語や算数などの授業で、プログラミングの手法を用いて課題解決する時間を設けたり、そもそも新型コロナウイルスの感染が拡大したことで、進捗(しんちょく)が停滞してる学校も多くなっています。

“アンプラグド”も可能

──解決策は?

岡嶋 プログラミング的思考を育むにはパソコンを用いるだけでなく、アルゴリズム(計算手順)を体験から学ぶ方法もあります。こうした学習方法を“アンプラグド”と呼んだりしますが、コンピューターが正しく動作する指示内容を考え、手順に落とし込んでいくのです。
 例えばカップラーメンを食べるとき、私たちはつくる手順をあまり意識しません。しかし、コンピューターにカップラーメンをつくってもらうには、水を温めてお湯を沸かす→カップラーメン容器の包装フィルムをはがす→容器のふたを3分の1ほど開ける→お湯をカップの線の位置まで注ぐ→ふたを閉める→3分間待つ→ふたを開ける、といったように指示を細分化する必要があります。このようにアルゴリズムを考えるのは、論理的思考力を鍛える訓練になるのです。

──プログラミング的思考の養成という目的は、達成されつつあるとお考えですか。

岡嶋 ひと握りの先進的な学校を除いて、あまり軌道に乗っていないのが実情ではないでしょうか。
 教員に恵まれ、資金が潤沢にあって、プログラミングの競技大会に生徒を輩出する学校がある一方、タブレット端末が配備されたものの、ネットサーフィンでお茶を濁してしまっている学校もあったりして、二極化が進んでいるように思います。そもそもタブレット端末を自宅に持ち帰ることを認めるのか、故障時の対応はどうするのか、あるいは教室の電源は確保されているのか等、授業以前の問題に直面している現場も多く見受けられます。

──新型コロナが発生していなければ、プログラミング教育はスムーズに実施されていたでしょうか。

岡嶋 それも確証は持てないですね。ただ、現状より多くの学校が導入を試みて、事例が積み重なっていたはずです。子どもたちには、たくさん失敗してほしかったんです。いまは安心して失敗できる場所が少ないですが、コンピューター相手なら、何度間違えても怒られたりしませんから。
 一方、コロナによる効用もあって、社会のデジタル化が一挙に進展しました。書類をただ読み上げて解散するような形式的な会合は、オンライン形式に置き換わっていった。10年もしくは20年かかるはずだった社会の変革をこの2年間で先取りできた点は、大きな成果といえます。

生き抜く力を養う

──学生と日ごろ接するなかで、彼らの気質をどのように感じていますか。

岡嶋 おしなべてまじめです。そして、失敗するのをいやがります。世の中が不況のなか育ててくれた両親に対して、感謝しているように感じます。将来も低成長が見込まれるから、なるべく冒険せず失敗したくないと考えているんですね。どんな会社に就職すればよいのか自身で決められず、入社する会社を選んでほしいと相談してくる学生もいます。また、人工知能(AI)によるマッチングを信頼していて、人生の大切な決断をAIにゆだねることにあまり抵抗感がありません。
 しかしイノベーションは、無数の失敗をへて成し遂げられるもの。プログラミング教育が目指すゴールと現状は、かけ離れてしまっています。もっとも、日本の教育現場では教員も二重基準を抱えていて、学生が失敗を敬遠するのも、仕方のない側面もありますが。

──というと?

岡嶋 彼らは幼いころから失敗したり、集団からはみ出す言動をとったりすると、怒られてしまうような環境で成長してきました。私たち研究者も同じで、新たな事柄にチャレンジしてイノベーションを生み出すよう求められる一方、失敗がゆるされない雰囲気もある。短期的な成果が期待できない研究活動には、予算があまり配分されないので、手堅い研究が増える傾向にあります。つまり、学生と教員双方にイノベーションの創出が期待されているにもかかわらず、失敗を避けるマインドが根強くあるわけです。
 ゼミ等でディスカッションを行うとき、議論が活発にならないと嘆く教員もいますが、大学生になったとたん積極的に発言するよう促しても、どだい無理な話です。真っ先に発言すると間違える可能性が高いから損であると、幼いころから刷り込まれているわけですから。

──企業が新卒者に対して求める能力の筆頭に挙がるのは、「コミュニケーション能力」です。

岡嶋 大半の学生は、立て板に水のように人前でプレゼンテーションする能力がコミュニケーション能力であると見なしています。これは私見ですが、真のコミュニケーション能力とは、相手の意図をくみ取り、能力を引き出す力であると思います。
 多様性の尊重が叫ばれる今日において大切なのは、異なるバックグラウンドを持つ人と円滑な意思疎通を図ることです。その点、ものを2進数で数えるコンピューター相手にプログラムを組むことは、異文化コミュニケーションに通じるものがあると思います。プログラミング教育のゴールである「論理的思考による問題解決」とは換言すれば、社会で生き抜く力にほかなりません。

分解して指示する

──経営者は学校でプログラミング教育を受けて入社した社員に対して、どのように接したらよいでしょうか。

岡嶋 企業には、はたから見るとあまり合理的でない慣習やルールが残っていたりします。新入社員が業務の効率化につながる提案を行っても、なかなか聞き入れてもらえず、旧態依然とした体質に幻滅し退職してしまう、といった例を目にしてきました。新卒社員に定着してもらいたいと願うなら、経営者は彼らの提案を受け入れる下地をつくらなければなりません。提案を頭ごなしに否定したり、失敗は認めないといった態度は避けるべきです。
 現在の若者はデジタルネーティブ世代といわれますが、社会経験はまだ浅く、ただちに変革をもたらしてくれると過度の期待をかけるのは禁物です。これまで話してきたとおり、プログラミング教育は緒に就いたばかり。スマートフォンやタブレット端末が身近にある環境で育ってきたから情報システムに精通していると考えるのは早計です。対人関係の経験も浅いので、しっかり指導する必要があります。たとえばスマホの操作に慣れていても、キーボードをさわったことがないという若者は、ますます増えていくでしょう。

──彼らとコミュニケーションをとる際、念頭に置くべき点は?

岡嶋 背中を見て学べとか、技術は盗むものといった言葉に象徴されるように、日本企業では論理的かつ体系的な部下教育を苦手にしてきた面があります。ただ、外国人社員が加わったり、AIが業務の一端を担ったりするようになると、抽象的な指示は通用しなくなります。いま求められているのは、真のコミュニケーション能力であり、相手の理解度を鑑みて指示を分解し、わかりやすく伝えるスキルなのです。

──気合いや精神論の類いは通用しなくなると。

岡嶋 プログラミング教育を通して、論理的思考を身につけるべく訓練されるので、契約を取ってこいとただ命じるのみでは、部下は幻滅してしまうかもしれません。目標を達成するための具体的な道筋を示す必要があるのです。精神論を振りかざしたとたん、会社に見切りをつけ、転職先を探しはじめる社員が現れても不思議ではありません。

失敗が変革を生む

──プログラミング教育の今後をどう占われますか。

岡嶋 プログラミング教育が定着することで、日本社会が失敗を許容する雰囲気に変わっていってほしいと思います。
 以前、ある企業でプログラミング教室の講師を担当した際、「いっぱい失敗してください」という標語を掲げたことがあります。失敗を経験することで、知識や技能に関する理解がより深まると思ったためです。幸い、コンピューターは飽きたり、怒ったりしませんから、いくらでも失敗できます。失敗は非効率であると見なす向きがありますが、失敗を通して大事な気づきを得られるなど、イノベーションの創出には欠かせない要素です。
 論理的思考力の養成は、日本の教育現場で長年叫ばれてきたテーマでした。ゆとり教育をはじめ、これまで手を変え品を変え試みてきたけど、あまりうまくいかなかった。プログラミング教育はあくまでツールであり、コーディングを通して論理的思考力を身につけるという方向性は間違っていないと思います。教育現場が若干混乱をきたしている面は否めませんが、将来的に定着し機能するようになれば、世の中も徐々に変化していくものと期待しています。

(インタビュー・構成/本誌・小林淳一)

掲載:『戦略経営者』2022年2月号