将来の展望を容易に見通せない昨今、社会の急激な変化に適応するためのスキル獲得を促す「リスキリング」の機運が高まっている。従業員のスキル開発に積極的に取り組み、新しい価値の創造にまい進する中小企業を取材した。

プロフィール
すぎもと・りょうへい●大手メーカー等を経て2003年に三菱UFJリサーチ&コンサルティングに参画。「学びと気づきを通してクライアントの持続的成長を実現する」をミッションに、幹部・管理監督者層向けの人材育成計画策定やビジネスコーチングに従事。中小企業診断士。
リスキリング必須の時代

 巷間(こうかん)、「リスキリング」(学び直し)の重要性が多くのビジネスパーソンの口端に上っている。リスキリングとは「既存の社員に対する職業能力の再開発」のことで、最近はDX(デジタルトランスフォーメーション)の文脈で語られることが多い。要するに「現在雇用している社員に対して新たなスキル(AIの活用、デジタルデータの分析等)を身につける機会を提供する」取り組みのことだ。

 この「既存の社員」というのがポイントで、リスキリングの対象となるのは職種や入社歴にかかわらず、雇用関係にあるすべての社員だ。若手はもちろん経験豊富な中堅・ベテラン社員も対象で、管理職や役員だからといって例外になるわけではない。社員に新しいスキルの定着を促し、その成果を業務で発揮してもらうことで自社や組織の成長につなげる──この一連のプロセスにリスキリングの本質が凝縮されている。

 つまり、単に学習機会を提供するだけでは不十分で、まず「自社がこれから実現すべきこと/実現していきたいこと」を具体化し、そこから社員が身につけるべきスキルを導きだしたうえで、学び直しを促す必要があるのだ。

デジタルスキルの定着が急務

 日頃、さまざまな中小企業経営者や幹部の方々と対話をする機会がある。リスキリングの話題になると、「言葉は聞いたことがあるが具体的なイメージが湧かない」「関心はあるがウチにはまだ早い」「社内で話題に上がることは滅多にない」などの意見が多く、認知度の低さを肌で感じている。実際にさまざまなメディアが「リスキリングの実践度合い」をテーマにした統計を取っているが、いずれも実践度が低い上に中小企業経営者の興味・関心も高くないという結果を示している。詳細は後述するが、ヒトやカネといった経営資源の問題から二の足を踏んでいたり、そもそも目前の仕事に追われ、中長期の視点でリスキリングに取り組む余裕がないというのが実情のようだ。

 しかし、私は大企業に比べて経営資源に限りがある中小企業こそ、リスキリングに積極的に取り組むべきだと考えている。

 重要なのは、大手企業に先んじて、①外部環境の変化にしなやかに適応すること②社内人材の育成に注力すること──の2つである。

 それぞれ詳しく説明しよう。

①外部環境の変化にしなやかに適応すること
 企業が将来にわたり永続していくための前提条件が「変化に対応する」ことだ。特に今の世相は「VUCA(※)」という言葉が示しているように、ビジネスを取り巻く環境が目まぐるしい速さで変化しており、既存の考え方や過去の成功体験だけでは時代に合ったサービスを生み出せなくなっている。

 例えばユーチューブやインスタグラム等を活用した広告宣伝、販売促進は今でこそ当たり前のように行われているが、10年前まではこういったサービスをビジネスに生かすという発想はなかっただろう。つまり、向こう10年間で既存の常識や慣習からは考えられないようなサービスが生み出される可能性は大いにあり得るのだ。

 社会の急激な変化に対応するためにも既存の事業や業務プロセスを見直しつつ、時代に合った事業やビジネスモデルを構築することが不可欠で、これらを実現するには担い手となる社員のスキルの底上げが欠かせない。特に、脱炭素化の流れや業務のIT化・デジタル化は世界的にも加速しているため、これらの分野に対する素養・スキルを身につける機会は早急に提供するべきだろう。

②社内人材の育成に注力すること
 現在もなお、日本では新卒社員を中心に大手志向が強い。さらにITやデータ分析などデジタル分野に長けた人材は数が少ないため、かような人材を新たに雇い入れるには大手との激しい争奪戦に勝たなければならない。例えば、ある上場企業ではデータサイエンティスト職(新卒)について他の職種よりも年収を高く設定して募集をかけている。このように大手は待遇や福利厚生を手厚くすることで採用力を強化できるが、経営資源に限りがある中小企業では大手並みの待遇を設けることは難しい。

 そこでリスキリングの出番である。既存の社員に新しいスキルや知識の定着を促すことができれば、大手並みの採用条件を設けなくても自社の将来構想に適した人材を確保できる。採用面で不利な戦いをしいられる中小企業こそ、自社の人材を育てる視点が重要なのだ。

VUCAとは
「将来の見通しが不透明で予測が困難な状態」を表し、Volatility(変動性・不安定さ)、Uncertainty(不確実性・不確定さ)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性・不明確さ)の4つの頭文字から取った言葉

助成制度の活用も視野に

 とはいえ、前述したように中小企業ではリスキリングの機運が高まっていない。その理由として「安定志向の会社(経営者)が多く、変化することへの躊躇(ちゅうちょ)がある」こと、「外部環境への関心はありつつも対策が分からない」ことが挙げられるが、もっとも経営者の頭を悩ませているのが経営資源の問題だ。

 例えば「ヒト」で言えば社内に人事専任の担当者がいないため、育成方針が明確化されていないという課題が挙げられる。現場主導によるOJT(On-the-Job Training)で知識やスキルの定着を促している会社も多いが、育成の仕組みが会社で体系化されていないケースも散見される。

 一方、「カネ」の面では人材育成に予算を割けない、短期的な利益に結びつかないため教育投資が及び腰になっている、といった課題がある。実際に厚生労働省「能力開発基本調査」(2019年度)をみると、仕事に必要な知識、技能を社外のセミナーや講習会に参加させて取得させるOff-JT(Off-the-Job Training)にかける費用は、従業員1人あたり7,000円(費用を支出している企業の平均額)と1万円を割っている。また、通信教育や資格取得の奨励、参考図書の購入といった自己啓発支援にかける費用も1人あたり3,000円と低い。このように、人材育成や教育投資に二の足を踏んでいる中小企業は少なくない。

 とはいえ、これらのハードルをうまく乗り越えることができればリスキリングの機運もぐっと上昇するだろう。では、中小企業経営者はこれらの課題をいかに乗り越え、リスキリングを推進すればいいのだろうか。

 まず「カネ」の問題だが、こちらは行政の支援策を積極的に活用することをお勧めしたい。例えば、厚生労働省の「人材開発支援助成金」「教育訓練給付金制度」の対象となっている研修や講座に社員を派遣することで、一部費用の補助を受けられる。特に後者は経済産業省の「リスキル講座(第四次産業革命スキル習得講座)認定制度」と連携しており、民間企業によるAI、IoT、データサイエンス、その他ITの利活用をテーマとした教育講座を受講した場合も補助の対象となっている。デジタル分野の知見を外部講習で学ばせたい経営者にうってつけの制度と言えるだろう。

 ただ、これらを活用する上で必要要件や事前準備などが求められる場合もあるので、詳しくは各助成制度のホームページを参照するか、社会保険労務士等の士業や身近な経営者仲間と積極的に情報交換しておくことをお勧めする。

「ミドルスプレッド」で展開せよ

 続いて「ヒト」の問題。これを克服するには「社員が身につけてほしいスキル」を明確にするとともに、経営トップが率先して体系的な学習の仕組みを構築する必要がある。そのためにも、まず社長には自社の課題を認識するために、「取引先はどのような悩みを抱えているのか」「競合他社はどんな取り組みを進めているのか」といった市場の声を広く集めてほしい。その結果をもとに、「自社がこれから実現すべきこと/実現していきたいこと」等のビジョンを具体化し、これらを達成するために磨かなければならない「スキル」を導きだすのである。

 加えて、「なぜスキルの学び直しをしなければならないのか」といった必要性を自らの言葉で説き、社員の共感を促すことも欠かせない。ここでカギを握っているのが役員や管理職といった幹部社員の存在だ。いきなり全社員に向けて展開するのではなく、まず幹部の共感を生み出したうえで会社全体に意識を広げていく。私はこれを「ミドルスプレッド」と表現しているが、経営トップと現場をつなぐパイプラインとしてまず幹部社員に健全な危機意識を共有することで、社員の理解がよりスムーズに得られるとみている。

 リスキリングの成果はすぐには現れない。今後必要とされるスキルを社員に身につけさせるには、中・長期的な視野をもって取り組みを進めることが重要だ。

(本誌・中井修平)

掲載:『戦略経営者』2022年4月号