去る2月、厚生労働省は「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」を作成・公表した。傍若無人なクレーマーによるカスハラが企業の屋台骨を揺るがしつつある証左といえるだろう。「社長法務」を提唱し、経営者の立場からのクレーマー対応に定評がある島田直行弁護士に、中小企業の効果的なカスハラ対処法を聞いた。

プロフィール
しまだ・なおゆき●山口県生まれ。京都大学法学部卒。「中小企業の社長を360度サポートする」をモットーに「社長法務」を提唱する。労働問題、クレーム対応、事業承継をメインに経営者への法務サービスを提供。とくにクレーマー対応には、さまざまな業種の100名を超える悪質なカスハラ案件に会社の代理人として対応。『社長、クレーマーから「誠意を見せろ」と電話がきています』(プレジデント社)『院長、クレーマー&問題職員で悩んでいませんか』(日本法令)などの著書がある。

──悪質なクレーマーが増加している現状をどう見ておられますか。

島田直行 氏

島田直行 氏

島田 日本の産業構造の変化が大きいと思います。いまや日本のGDPの約7割をサービス産業が占めるようになり、消費者は提供される形なきサービスを「自分の支払った金額に見合ったものか」との視点で吟味します。そして期待に反する場合には「料金に見合ったサービスの提供を受けていない」という意識を抱き、「自分は不当に損失を受けている」という発想になります。それがクレームとなって顕在化しているのではないでしょうか。

──サービスを提供する側の過度の顧客第一主義も問題では?

島田 顧客を大事にする意識は大切ですが、お金を払ってくれる人はすべて画一的に「大事なお客さま」と捉えるのは間違い。「こんな方はもはや顧客とは言えない」という理不尽な人でも「お客さまだから」と手厚いフォローをすることになりますからね。顧客第一主義というお題目のもと、上司から明確な指示がないままクレーマーと上司の両方から叱責(しっせき)される担当者は大変です。

──中小企業へのクレームにはどのようなものが目立ちますか。

島田「不当な要求」というと反社会的勢力をイメージしがちですが、実際には圧倒的に「普通の人」によるクレーム対応に悩まされるケースが多いと思います。むしろ、普通の人だからこそ態度の豹変(ひょうへん)にとまどってしまうわけです。いわゆるカスハラ(カスタマーハラスメント)と呼ばれるものですね。このほど厚生労働省もカスハラ被害に対してマニュアルを策定しました。それほど被害が多くなっているということでしょう。
 悪質なクレーマーは、「自分は被害者であり自分の要求は認められて当然である」という意識に裏打ちされています。ですからいくら事実関係を説明しても納得しません。同じことを繰り返し要求し、希望する回答がなされない限り「説明責任を尽くしていない」と不毛な議論が続くことになります。

お客を「切る」勇気を持つ

──どのような対策を行うべきですか。

島田 まずお客を「切る」勇気を持つこと。これが大前提です。明らかに不当な要求に対し、上司からはただ「うまくやれ」の一辺倒。これでは担当者はどうしていいか分からず、追い詰められてしまう。たとえ、短期的な売り上げが下がってもお客は選ぶべきだと思います。そうしないと真面目な社員ほど辞めていくことになります。長期的にみれば、そちらの方がダメージとしては大きい。

──担当者の孤独を和らげる必要があるということですか。

島田 あるリフォーム会社で、若い社員が物件の廊下に傷がついているから弁償しろとクライアントから迫られ、土下座を強要された挙句に200万円の示談書にサインをさせられたというとんでもない事例がありました。この社員は会社に迷惑をかけることを恐れ、その200万円を自腹で払おうとしていました。幸い、彼の両親が異変に気付いて社長に知らせ、私のところに相談に来たことで事なきを得たのですが、これも、その社員が孤立していたゆえに起こったケースです。
 ことほどさように、中小企業におけるクレーマー対応のもっとも大事なことは、担当者を全員で支えるという意識を持つことです。クレーマーとの交渉は、ときにメンタルヘルスを壊してしまう原因となります。たんにクレーマーからの発言によって疲弊するだけではありません。同時に会社からの適切なサポートがなされず、いつの間にか孤独な存在になり自ら追い込んでしまうのです。クレーマーには組織で対応するべきであり担当者個人で対応するべきものではありません。だからこそ「孤独にはさせない」という経営者の決意が必要となります。

まずクレーマーを定義せよ

──対策にはクレーマーかクレーマーでないかの線引きが必要になってきますね。

島田 おっしゃる通りです。「御社のクレーマーの定義を教えてください」と尋ねても答えることができない会社は、その時点で対策が何もないと言ってもいい。本来、クレームはサービス向上のヒントです。ただ、度を越したクレームがおかしいわけで、程度問題だから定義は各社が独自につくるしかありません。

──たとえば?

島田「事実が不明の段階で金銭を要求」「電話でこちらを"お前"と呼ぶ」「一方的に面談の日時場所を指定する」「1週間に5回以上電話してくる」などです。主張の内容に関係なく、外形的な行動から定義してください。「社会的相当性を逸脱した行為」などといった曖昧な判断基準は役に立ちません。

──経営者はどういうスタンスでのぞむべきですか。

島田 クレーマー対応は、経営における重要な課題です。にもかかわらず経営者はクレーマー対応を担当者に任せるばかりで具体的な指示すらしないことがあります。これが担当者を追い込むのです。経営者が明確な指示をだせない理由は、繰り返しになりますが、顧客第一主義の呪縛です。不当な要求であると認識しつつも「顧客だから」ということで明確な拒否ができなくなるのです。経営者の姿勢が定まらないと担当者も翻弄(ほんろう)されることになります。経営者自らが陣頭指揮をとるべきです。

──よくある「社長を出せ」との要求には。

島田 応じてはいけません。経営者が交渉の前面にでるとクレーマーから即断を求められることになります。経営者が指揮をとりつつも、冷静な判断をするためにはあえて決裁権限のない担当者を交渉の窓口にすべきです。

マニュアルはシンプルに

──クレーマーを定義した後はどうすればよいのでしょう。

島田 過去の事例を参照しながらマニュアルを作成し、全社員への情報共有と事後的なフィードバックの仕組みをつくります。マニュアルを作成する際のポイントはシンプルであること。決めるべき課題は「電話対応」「面談要求」「弁護士・警察への相談・通報」の3点です。
 まず、どの段階で電話をとることをやめるかを決めてください。電話は一方的にかかるため、ときに暴力的な装置になります。クレーマーに繰り返し説明しても、納得には程遠いという状況は担当者を疲弊させます。なので、ある一定のリミットを設け、それ以上は電話対応をやめる。「20分以上は電話で話をしない」などの決まりを設けておけば、たとえば「社規によってこれ以上お話はできません。あとは書面で対応させていただきます」と切ることができます。
 面談も同じです。時間と場所、何をするために面談に行くのかをあらかじめ決めておいてください。それ以外の面談要求は拒否するのです。たとえば、相手の家に出かけて面談をすることは避けた方がいいし、勤務時間外の呼び出しにも不必要に応じるべきではありません。また、面談時間もあらかじめ設定し、それを超えると「社規によりいったん帰社します」と打ち切ることができます。

──最後の「弁護士や警察への相談」は、心理的ハードルが高いようにも思えます。

島田 クレーマー対応で少しでも「怖い」と感じたら弁護士に相談することをお勧めします。可能な限り早い段階で相談だけでもするべきでしょう。第三者の意見を聞くことは、自分の立場を冷静に捉えるうえでも必要です。つまり、アドバイザーとしての弁護士の活用ですね。もっともクレーマーから執拗(しつよう)な要求を受けて交渉が進展しない場合には、弁護士を代理人として選任することも検討するべきです。正式に依頼すれば、交渉の窓口を会社から弁護士に変えることができます。

──会社が弁護士に依頼すると相手も弁護士を選任するなどして事が大きくなることを不安に思う経営者もいるのでは?

島田 相手に弁護士がつけば冷静かつ論理的に協議ができます。クレーマーは、独自の思考で要求をしてくるからこそやっかいなのです。クレーマーが「弁護士に依頼する」「訴える」など口にしても、実際に弁護士に依頼することは滅多にありません。
 また、場合によっては会社側から裁判に持ち込むケースもあります。相手の要求が不当なものであることを明らかにするためにあえて裁判をするのです。裁判手続にのせれば、相手のルールではなく裁判のルールにもとづいて事案を進めることができるため展開の予測もしやすくなります。

──ただ、担当者は裁判沙汰になることで、会社に迷惑をかけてしまうという意識が働くのではないでしょうか。

島田 会社側つまり経営者が裁判を嫌がってはいけません。裁判も辞さないという意思を経営者が示すことです。そうすれば担当者もずいぶんと気が楽になります。クレーマーには屈しないと言いながら裁判はしたくないでは矛盾しています。

──経営者は警察に頼ることについてはさらに高い心理的ハードルを感じるのでは?

島田 警察への通報は極めて有効な手段であり、私も頻繁に活用しています。例えば突然来社し声を荒げて面談を要求するような者もいます。拒否してもさらに要求を続ける場合には、迷わず警察に連絡をするべきです。経営者から「犯罪になるのかわからない段階で警察に依頼してもいいのか」と相談されることもありますが、犯罪が生じてから呼んでも意味がありませんし、業務を妨害するようなことがあれば犯罪になり得ます。そもそも警察を呼ぶ目的は、逮捕をしてもらうことではなく現場の平穏を確保することにあるので、自分でもはや対応できないとなれば遠慮なく警察を呼ぶべきです。クレーマーもまさか警察を呼ばれるとは想定していないので、たいていの場合は静かになります。
 それでも「いざ警察を」となるとひるんでしまうものです。そこで、クレーマー対応に悩んでおり、問題があれば通報するだろうことを最寄りの警察に事前に相談しておくと効果的です。警察も「何かあれば呼んでください」と回答するでしょう。その一言があれば警察を呼ぶハードルはもう一段低くなります。

請求の根拠を確認する

──金銭要求への対応は?

島田 クレーマーから金銭要求を受けた場合には、必ず請求の根拠を確認してください。安易に応じてしまえば相手の要求が過剰になるだけでなく、社員の規範意識の低下を導くことにもなりかねません。コトナカレ主義は危険です。
 クレーマーと企業は、あくまでフラットな関係が基本です。事実関係の曖昧な段階で一方的に被害者・加害者という立場を固定するべきではありません。まずは被害の原因とされる行為について確認するようにしてください。例えば相手が治療費を求める場合には、その根拠となる領収書や診断書をもらうといったことです。仮に会社に問題があり賠償金を支払う場合には、慰謝料の相場などについて事前に弁護士に確認するべきです。慰謝料は精神的苦痛に対応するもので具体的な根拠が曖昧です。だからこそ会社も金額で悩んでしまうことになります。弁護士であれば類似の事案を参考にして妥当な金額をアドバイスをしてくれるはずです。金額が折り合えば必ず示談書を作成してください。示談書は将来の要求を防止するためだけでなく、「案件が終わった」ことを明確にするもので担当者の精神的な負担の軽減にもつながります。
 また、よくある「誠意を見せろ」といった曖昧な要求には「誠意とは金銭のことでしょうか」とあえてこちらから相手の要求を具体化させていくことが効果的です。

──最近はSNSによる誹謗中傷も問題となっています。

島田 ネット上の案件においても経営者の「事を大きくしたくない」という発想が裏目に出ることがあります。

──というのは。

島田 急いで火消しをしようと焦り、「そんな事実はない」などとネット上で反論し、結果として論争になってしまうことがありますが、実はこれは逆効果なんです。企業側の反論が言い訳に映る可能性があるからです。それよりも、「ご不快な思いをさせてしまってすみませんでした。詳しくお話をお聞きしたいので、一度ご連絡ください」などと、きちんとクレーム対応をしていることを印象付ける方が得策です。削除依頼という手もありますが、削除が可能になるのは、「殺す」などといったよほどのひどい発言や差別的表現、個人情報の記載などに限られるし、コストもかかります。「対応がひどい」「態度が悪い」や「まずかった」などでは、表現の自由の絡みもあり、たいてい削除できません。それに、あまりに語気強く誹謗(ひぼう)するようなクレーマー的文章は、「この人まともじゃないな」との印象を与えるので、わざわざ公開の議論に持っていく必要はありません。

──最後に中小企業経営者にメッセージを。

島田 クレーマー対応は経営者の姿勢そのものです。ただ多くの経営者は些末で余計な仕事としか考えていない。直接利益を生み出さないからでしょうが、クレーマー対応に失敗するとせっかく儲(もう)けたお金が流出していき、社員の信頼もなくなり会社が傾く可能性だってある。そのことを肝に銘じるべきだと思います。

(インタビュー・構成/本誌・高根文隆)

掲載:『戦略経営者』2022年5月号