対談・講演

中小企業のガバナンス強化に税理士が果たす役割は大きい

坂本孝司 TKC全国会会長 × 伊藤邦雄 一橋大学大学院 経営管理研究科特任教授

日本企業全体の「稼ぐ力」を高めるコーポレートガバナンス改革は、日本の成長戦略の重要施策として進められている。国内外の企業や投資家に大きな影響を与えた「伊藤レポート」の公表をはじめ、わが国のコーポレートガバナンス改革を牽引してきた伊藤邦雄一橋大学特任教授と坂本孝司TKC全国会会長が、企業統治をめぐる最新動向や中小企業におけるガバナンス強化と税理士の役割について対談した。

司会:会報「TKC」編集長 石岡正行
とき:平成31年1月15日(火) ところ:TKC東京本社

巻頭対談

卒論のテーマ「資産概念」がその後の無形資産研究へつながる

 ──本日は、わが国を代表する会計学者であり、企業経営における資本コストやコーポレートガバナンス論の第一人者でおられる一橋大学特任教授の伊藤邦雄先生と、坂本孝司TKC全国会会長に対談していただきます。

 坂本 伊藤先生とお会いできることを楽しみにしておりました。

伊藤邦雄氏

伊藤邦雄氏

 伊藤 こちらこそどうぞよろしくお願いします。

 坂本 はじめに、TKC会員がお世話になった故・武田隆二先生(TKC全国会第3代会長)と、現在、TKC全国会最高顧問をお務めいただいている河﨑照行先生とのご縁を伺えますか。

 伊藤 武田先生は、私の師匠の故・中村忠先生と大変懇意にされていました。そういう間柄でしたから私も非常にかわいがっていただきました。武田先生が研究されていた資本会計を私も研究していましたから、いつも激励してくださいました。とても丁寧なお手紙を何度もいただいて、それが私のモチベーションにもなっておりました。
 河﨑先生とは内地留学で一橋大学に来られてお逢いしてから40年近く親友としてお付き合いさせていただいています。

 坂本 河﨑先生も今回の対談を喜ばれていました。伊藤先生には河﨑先生が会長を務める中小企業会計学会の創設にも顧問としてご尽力いただきました。私も学会の副会長を務めており、あらためてお礼申し上げます。

 ──伊藤先生は現在、会計分野を含めて多方面でご活躍されているわけですが、これまでの研究を少し振り返っていただけますか。

 伊藤 一橋大学の商学部に入ってから自分には管理会計というよりは財務会計のほうが向いている気がして中村先生にご相談しました。中村先生の第一印象はとても優しそうだったのですが、実際には厳しく、とりわけ文章については徹底的に叩き込まれました(笑)。私が中村ゼミで書いた卒論テーマは資産概念です。会計学者のウィリアム・J・バッターによるサービスポテンシャルズという考え方がアメリカで注目されていて、それをテーマに選びました。サービスポテンシャルズとは、資産は将来提供するサービスの源泉であり、換金価値があるという考え方です。振り返ってみると、これがやがて無形資産研究へとつながる伏線となり、日本会計研究学会特別委員会による最終報告(『無形資産会計・報告の課題と展望』)や、「伊藤レポート2.0」(経済産業省「持続的成長に向けた長期投資(ESG・無形資産投資)研究会報告書」)などへ展開していきます。

 ──何度か渡米されたことも転機となったと伺っています。

 伊藤 大学勤務後に1987年から2年間、フルブライト研究員としてスタンフォード大学に通いました。そこで会計の世界を変えたとされるウィリアム・H・ビーバー教授と出逢いました。ビーバー教授は、会計情報が世の中にどう役立っていて、どんな影響を与えているのかについて実証研究した論文を1960年代後半に発表されました。ここから会計革命が起こるわけですが、私はビーバー教授の本を和訳させていただいたのです(『財務報告革命』白桃書房)。ビーバー教授の教えからそれまで学んできた会計と法の関係に加えてファイナンスとの接点も持つことができました。
 また、カリフォルニア大学バークレー校にバルーク・レブ教授というディスクロージャー研究の大家がいらっしゃって意気投合しました。レブ教授は無形資産が企業価値の多くを決めているという実証研究の発表をしており、その影響から無形資産研究や企業価値評価にも触発されていきました。

「伊藤レポート」から「伊藤レポート2.0」へ財務・非財務情報の統合指標を提案

 ──2014年に伊藤先生は、経済産業省から「伊藤レポート」(「持続的成長への競争力とインセンティブ──企業と投資家の望ましい関係構築」プロジェクト最終報告書)を公表されました。

TKC全国会会長 坂本孝司

TKC全国会会長 坂本孝司

 坂本 「伊藤レポート」は、時代を先取りした内容で海外でも大きな反響を呼び、日本のコーポレートガバナンス改革を牽引したと言われていますね。

 伊藤 帰国した1990年から3年間、当時の通産省に付設されていた通商産業研究所の特別研究官を兼務したのですが、その3年目に私は「資本コスト・収益性・投資行動の相互リンケージ:日米企業の比較分析」(『一橋大学論叢』110(5)、1993年)という論文を書きました。なぜ日本でバブルが崩壊したのかを実証的に解明しようとした論文です。当時の日本企業の経営者には資本コスト(投資家が期待する最低限のリターン)の概念を持つ経営者が少なく、キャッシュがあるだけ企業を買収していました。これに対する『ウォール・ストリート・ジャーナル』などアメリカの論壇の反応は「日本の経営者には資本コストの概念がないから怖い」というものでした。そのうちにバブルがはじけてしまったというわけです。

 坂本 おそれていたことが現実に起こってしまったわけですね。

 伊藤 そうです。また、別の研究テーマとして「日本型企業システムのもう一つの特徴──競争力と収益性のパラドックス」(『ビジネスレビュー』41(4)、1994年)という論文も書きました。日本企業には技術力や競争力はあるけれども、収益性が極めて低い。この二律背反を解消しなければならないというもので、その問題意識が約四半世紀を経て2014年に公表した「伊藤レポート」に反映されます。資本コスト概念を持ってROE(自己資本利益率)に対する意識を高めていかないとならない。そうしないと日本の企業価値も創造できない。最低限の数値目標としてROE8%の達成を目指すべきではないかということを示しました。この流れを受けて、上場企業の行動規範を示すコーポレートガバナンス・コードにも資本コストの把握が示されるようになりました。

 坂本 この「伊藤レポート」を踏まえた一連の取り組みが2017年10月に公表された「伊藤レポート2.0」につながるわけですね。

 伊藤 ええ。「伊藤レポート」の公表から非財務情報や無形資産投資の重要性への認識が日本でも少しずつ広がってきて、それをテーマにした研究会(持続的成長に向けた長期投資(ESG・無形資産投資)研究会)が経済産業省につくられ、私がその座長を務めました。そして、ほぼ1年間の議論を経て「伊藤レポート2.0」を取りまとめました。そこでは企業経営上、あるいは企業価値を高めるうえで、ESG(環境・社会・企業統治)が重要であるということを述べています。また、これを遡ること5カ月前の2017年5月にガイダンスをまとめました(価値協創のための統合的開示・対話ガイダンス)。企業の情報開示と投資家との対話の質を高めるためのフレームワーク(共通言語)を示す必要があったからです。
 このように、コーポレートガバナンスの在り方が財務情報から非財務情報へ展開していく中で、最近になって提唱しているのが「ROESG」(ROEとESGを併せた造語)という統合的な指標です。財務的なROEだけを重視していると短期的な利益ばかりを追求する危険性がある。逆に非財務的なESGのみを重視していても資本生産性の向上にはつながらない。この二つを両立していくことがこれからの企業経営の在るべき姿ではないかと考えています。

「会計」は規律の原点「会計リテラシー」は経営者に必須

会報「TKC」編集長 石岡正行

会報「TKC」編集長 石岡正行

 ──税理士が関与しているのは基本的に中小企業ですけれども、上場企業や大企業と違って財務情報が整備されていないという問題があります。

 坂本 万全な内部統制は中小企業には難しいのが実情です。したがって、中小企業が適時に正確な会計帳簿を作成していないと、TKC全国会が目指す税務・会計・保証・経営助言という税理士の4大業務の提供もできません。正しい会計帳簿の作成を支援するために、TKC会員はていねいに記帳指導しながら、毎月関与先を訪問して行う巡回監査という全部監査を徹底しています。そうして経営者が金融機関などに数字で自社を語れるようになると、利益への意識も高まってきます。

 伊藤 私も会計はいくら語っても語りつくせないほどの重要な意味を持っていると思います。上場企業に限らず必要なのは規律意識です。規律の原点は何かというと会計です。正しい数字を帳簿に付け、集計し、そして開示する。この規律の原点である会計に対して甘かったり、それこそ操作してしまったりすると規律が乱れます。規律には自律と他律がありますが、厳しく見るには一般的に他律のほうが効果があります。そこで大企業では社外取締役が、中小企業では顧問税理士が果たす役割が大きいのです。
 ご承知の通り、デジタル・デバイド(格差)という言葉がありますが、これはICTやデジタルに理解がある人とそうでない人とでは、能力面で差がつくということです。会計もまったく同じです。それを私はアカウンティング・デバイドと表現しています。やはり会計リテラシー(知識や応用力)がある人とない人では全然違います。上場企業においては、会計リテラシーがない人には経営者は務まりません。投資家との対話ができない、一歩進んで投資家を魅了できなければ、企業価値は上がらないのです。これは中小企業の経営者の皆さんにも通じることだと思います。

 坂本 ファイナンスの観点から、上場企業のステークホルダーが投資家であるのに対し、中小企業ではそれが金融機関になります。

 伊藤 その通りです。

中小企業経営者にガバナンスの最新動向への対応を助言してほしい

 ──中小企業においてガバナンスを強化するためにはどういう方法が考えられますか。

 伊藤 国が進める現在のガバナンス改革は上場企業を対象としていますが、それで完結するものではありません。上場企業だけが変わっても、この国が変わったとはとても言い切れません。日本の企業数が約382万社あるのに対して、上場企業は3653社に過ぎないからです(経済産業省等の統計による)。ガバナンス改革が非上場企業や中堅・中小企業にまで及ばないと、国の目指す「稼ぐ力」は力強くなっていきません。
 コーポレートガバナンス・コードをそのまま適用する必要はありませんが、そのエッセンスを中小企業にまで応用するのは大事な考え方です。その際に、税理士の皆さんの果たす役割は極めて重要です。中小企業のガバナンス強化の担い手は、まさに税理士の皆さんだからです。そのためにはガバナンスに関する勉強もしていただきたいと思います。
 与信機関である金融機関も中小企業のどこを見て評価しているのかというと、まさに数字の部分です。この数字の信頼性を高めることは企業価値を高めるコアだと思います。

 坂本 ありがとうございます。私どもTKC全国会が取り組んでいる運動の目的はまさにその点にあります。

 伊藤 加えていま、金融機関も中小企業が持つ知財を含めた無形資産の力を評価しようとしています。そのときに税理士の皆さんは、数字だけではなく無形資産などについても経営者に対して助言してほしいのです。
 たとえば、財務の安全性と言えば流動比率や当座比率などを指しますが、もう一つの観点として、世界的に進んでいる国連サミットで採択されたSDGs(持続可能な開発目標)などへの対応も求められています。その中で、たとえば温暖化への対応など環境に配慮した気候変動関連の情報開示もあります。これは基本的には上場企業の話ですけれども、非上場企業にとってもこうした動きは無視できません。なぜなら上場企業が投資家との対話を通じて、気候変動関連の情報開示をどうするのかが問われており、上場企業と取引する非上場企業もバリューチェーン(価値連鎖)の一環からその流れに気を配っていないと取引を中止されるおそれがあるからです。とはいうものの、中小企業の経営者がこうした世の中の動向に対応することは難しいでしょうから、税理士の皆さんには「ガバナンスは大企業だけの話ではありません。これからは中小企業もガバナンスを重視して経営しましょう」と教えてほしいと思います。

巻頭対談

ガバナンスへの姿勢や規律意識を書面添付で明記することも有効

 坂本 中小企業のガバナンス強化の手段として書面添付制度や会計参与制度が活用できると思いますが、いかがでしょう。

 伊藤 会計参与は、まさに中小企業のガバナンスを担う役割であり、株主総会、取締役会、取締役、監査役等と並ぶ内部機関です。財務諸表の信頼性向上が主たる役割でもありますが、広い意味でのガバナンス向上に活用してほしいと思います。これは上場企業にとっての社外取締役のような存在です。
 また、書面添付制度はたしかに税務署との関係で語られることがありますが、対金融機関においても、その書面において経営者のガバナンスに対する姿勢や規律意識も明記するとなおよいのではないでしょうか。

 坂本 書面添付の推進は税理士が社会の期待に応えるためには絶対必要なものですから、2019年からのTKC全国会の重要方針の1番目に掲げております。伊藤先生から中小企業のガバナンスという視点からも書面添付が有効とのお話を伺うことができて大いに力づけられた思いがいたします。

 伊藤 いま進んでいるコーポレートガバナンスを中心とする日本の改革は、日本企業全体の「稼ぐ力」を高め、新陳代謝を高め、持続的発展をすることを狙いとしています。それは上場企業だけでできるものではなく、中小企業にまで広がってはじめて可能となるものです。そのような状況の中で、中小企業の大半に関わっている税理士の皆さんへの期待は大きくて幅広いものになっていると思います。社会が流動的になっているわけですから仕事の領域を狭く規定せず、中小企業のパートナーとしてこの国をよくしてほしいと思います。

 坂本 税理士が中小企業のガバナンス強化や中小企業金融の担い手となって、伊藤先生のご期待に応えられるよう全力を注いでまいります。

 ──本日はありがとうございました。

(構成/TKC出版 古市 学)

伊藤邦雄(いとう・くにお)氏

一橋大学大学院経営管理研究科特任教授、元日本会計研究学会会長。専門は会計学、コーポレートガバナンス論、企業分析・評価論。2014年に経済産業省「持続的成長への競争力とインセンティブ」プロジェクト座長として報告書(伊藤レポート)を公表。2017年に同省「持続的成長に向けた長期投資(ESG・無形資産投資)研究会」座長として報告書(伊藤レポート2.0)を公表。

(会報『TKC』平成31年2月号より転載)