小説家として、エッセイストとして、国内外で高い評価を得ている小川洋子氏。工場好きとしても知られ、訪問記『そこに工場があるかぎり』を今年1月に上梓した。訪れたのは鉛筆製造やベビーカー開発など、さまざまな業態の6社。
職人の息づかいの伝わる筆致で現場を描写し、思いをつづっている。町工場に心ひかれるゆえんと、足元の創作活動などについて聞いた。

プロフィール
おがわ・ようこ●1962年岡山市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。88年「揚羽蝶が壊れる時」で海燕新人文学賞を受賞。91年「妊娠カレンダー」で芥川賞受賞。2004年『博士の愛した数式』で読売文学賞、本屋大賞、同年『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花賞を受賞。06年『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞受賞。07年フランス芸術文化勲章シュバリエ受賞。13年『ことり』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。20年『小箱』で野間文芸賞を受賞。

──小川さんは岡山市のご出身で、町工場が身近にある環境で幼少期を過ごされたそうですね。

小川 生家の向かいに鉄工所があり、働いているお兄さんたちを格好いいなと感じながら眺めたりしていました。その一帯は、戦火を免れた古い町並みが残る場所だったんです。近所の町工場や畳屋さんで働く職人さんたちに対して、尊敬のまなざしを注いでいたのを思い出します。

──本書の企画は、どのように持ち上がったのでしょう。

小川 作家として、何もない状態から物語を紡ぐ仕事をしていることもあって、身近にある製品がいかにつくられるのか、興味を持っていました。5年ほど前、たまたま流れていたニュース番組で、ひたすら金属に穴を開ける仕事を請け負っている工場が紹介されていました。これは面白いと感じ、編集者と話しあううちに「工場愛」がよみがえってきて、企画が動き出したのです。

──さまざまな業態の企業が取り上げられていますが、選定基準は……。

小川 厳密な基準を設けていたわけではなく、ものづくりの現場を実際に拝見したいという、純粋な思いを大切にしました。たいてい半日ほどいただいて、社長の話をうかがったり、工場を見学させてもらったりしましたが、皆さんとても協力的で、想像以上に魅力的な会社ばかりでした。
 ただ、1社ずつ下調べした上で現地を取材し、それを言葉で表現するのは、なかなか骨が折れました。1社終わったらはい次、と流れ作業のようにはいかなくて。

危機の克服に真価を発揮

──中小企業経営者というと、映画『男はつらいよ』に登場するタコ社長に代表されるように、資金繰りに追われる経営者像を思い浮かべる人が多いかもしれません。小川さんの持つイメージはいかがですか。

小川 出会った経営者の方々は、安価な外国製品の流入や後継者の育成など、いろいろな困難に直面し、乗り越えてこられています。私の目から見ると中小企業経営者は、危機を乗り越えることに類まれな才能を発揮される方々という印象があります。創意工夫を重ねて、困難を打開する方策を常に考えておられる。山が高いほど、燃えるといった感じでしょうか。最初に訪問したエストロラボ(大阪府)の社長はインタビューした際、いみじくもおっしゃっていました。私は困難を克服するのが好きなんですと。

──同社を取材されたのは2016年3月とあります。今でこそテレワークが普及していますが、在宅勤務をすでに取り入れていた点が印象的でした。

小川 エストロラボは「細穴屋」という屋号を掲げ、火花のエネルギーにより金属に穴をあける、放電加工をなりわいとしています。社長を含め従業員の大半が女性で、柔軟な勤務シフトや在宅勤務を導入され、働きやすい職場環境づくりに注力されてこられました。図面作成などのデスクワークを自宅でこなす取り組みが、結果的に時代を先取りする形になったのだと思います。
 町工場というと女性と縁遠い感じがありますが、工夫を重ねて女性従業員の能力をうまく引き出されていました。

──製造業の経営者に話を聞くと、課題としてよく挙がるのが技術の伝承です。

小川 京都市でガラス加工業を営む山口硝子(ガラス)製作所は取材当時、代替わりの時期にあり、社長の息子さんの副代表が、数値に基づく出荷前検査の仕組みを導入されていました。代表的製品であるガスクロマトグラフは、加熱によりガス化した成分を分離、分析する装置で、製造するには職人さんの手作業が欠かせません。
 ただ、ガラス加工品は検査基準を設けるのがむずかしく、20代から80代までの職人さんが経験をもとに良品と不良品を判別していました。そこで「外観検査基準書」というルールを独自に考案され、検査基準の統一化に努めておられます。加えて、約500種類ある製品一つひとつの製造に要する時間を算定し、特定の人に負荷がかからない仕組みを構築されていました。
 本書で取り上げた6社はいずれも和気あいあいとした雰囲気があって、スムーズな人間関係がベースにあるように感じました。例えばベビーカーを製造している五十畑工業(東京都)では、大勢の地元出身の女性の方が働かれていて、工場の一角に演歌歌手の写真が飾られていたり、独自の世界をつくられていたのがほほ笑ましかったですね。

顧客の声が開発の原点

──保育士さんが子どもを大きなカートにのせて歩いているのを時おり見かけますが、乗り物の正式名称は「サンポカー」というそうですね。

小川 のどかな印象ながら潔いネーミングに、とても好感を持ちました。五十畑工業の工場は、東京スカイツリーのおひざ元にあり、自社工場ですべての製造工程をこなしているため、さまざまな要望にきめ細かく対応できる点を強みにしています。ユーザーの要望に一つひとつ応えていった結果、サンポカーやワンタッチ式ベビーカーといった斬新な商品が生まれたそうです。

──使う人の声を直接聞くのが、会社の理念の根本である、と記されています。

小川 3代目社長のお話をうかがって感じたのが、目の前の困っている人を助けたいという思い。目先のそろばん勘定でなく、中長期的視野で製品開発に取り組まれている印象を受けました。
 同社はベビーカー以外にも、歩行補助器具やペット用車いす等の介護用品も製造しています。工場見学時に乗ったエレベーターの片隅に、パイプとコマが付いた、ワゴンのような板が置いてあったんです。社長に用途を尋ねたところ、パイプとコマを使って新たな製品をつくれないか、常に考えているとおっしゃっていました。私の目にしたワゴンのようなものが、やがて新製品をもたらすヒントとなるのかもしれません。

──本書の最後に登場するのが、東京都にある北星鉛筆です。鉛筆で1本の線を引いていくと、50キロにおよぶとか。

小川 1本の鉛筆の秘める計り知れないエネルギーに、私も驚きました。ボールペンは1.5キロ、サインペンは700メートルだそうです。
 鉛筆の歴史をひもとくと、16世紀末の英国でひつじ飼いが黒鉛鉱を発見し、ひつじのおしりに目印を付けたのがはじまりとされています。鉛筆を製造するには、まず黒鉛の粉と粘土に水を混ぜて、芯をつくります。そして高温で焼き、芯を2枚の板のあいだにはさんでから、六角形や丸型などの形に削って完成となります。求められる精度は伝統工芸レベルだそうで、製造にあれほど手間がかかるとは、思いもよりませんでした。だからこそ、書き心地のよい、丈夫で高品質な製品に仕上がるのでしょう。

──敷地内にある「鉛筆神社」についても、ふれられています。

小川 鉛筆の形でできた鳥居があって、短くなり使えなくなった鉛筆を供養するための塚が立っていました。きれいなお花が飾られ、鉛筆地蔵と呼ばれるお地蔵さんも磨き上げられているなど、手入れが行き届いていました。5センチ以下の鉛筆を5本持参した人には、オリジナルの鉛筆1本を進呈しているそうです。使い終えた製品を弔おうとする姿勢に感銘を受けました。

文学は未来を予見する

──16年3月から19年12月まで、3年以上にわたる取材活動を経て、町工場に対する認識は変化しましたか。

小川 油のにおいや、くすんだ色の機械が発する音、雑然とした雰囲気……子どものころに憧れていた町工場が現在も存在するということに、非常に安心しました。
 近所にあった他社の工場が、移転や廃業を余儀なくされたといった話もうかがいましたが、世の中の需要にしっかり対応し、事業をつづけている町工場もある。町工場にしかできない仕事があるからこそ、きっと今日まで存続されているのだと思います。
 今回の取材を通して再認識できたのは、人間のもつ「五感」がいかに優れているかということです。ものをつくりたいという人間の根源的な欲求と、さらにいいものをつくりたいと願わずにはいられない向上心が、町工場にはあふれていました。

──取材を終えられた後、世界は未知の感染症に覆われました。日々の創作活動への影響はありますか。

小川 もし、企画の始動が遅れていたら、実現のむずかしかった取材もあったことでしょう。ただ私自身、現場にどんどん取材に赴かないと執筆できないというタイプではありませんので、小説を執筆するという点では、大きな影響は受けていません。
 この間、興味深く感じたのは、カミュの『ペスト』がベストセラーになったり、病原ウイルスのまん延を描くSF小説が広く読まれたり、文学作品は未来を予見するということです。SF小説にかぎらず、『方丈記』のような自然災害が頻繁に登場する古典を改めて読み返すと、現代に通じるものを感じます。社会がいかに変転しても、人間は変わらないという事実を、先人たちは描きつづけてきたのであり、そこに文学の果たすべき役割があるのでは、と思ったりしました。つまり、文学は長生きなのです。

──人間の変わらない本質を読み取るという視点で、古典を読むのも面白そうです。

小川 未来を予測し、正確な判断を求められる宿命にあるのが経営者だと思います。作家はそれと反対で、ある出来事が起こったとき、時代にどんな作用を与えたのか咀嚼(そしゃく)し、小説という形にするには、それなりの時間が必要です。ですから、いろいろな経営課題を抱え、日々迅速な判断を下している経営者に比べると、のんきな面がありますね。
 会社を経営するということは、私などからすると、キラキラした理想に向かって進んでいるイメージがあります。子どものころに抱いていたあこがれの気持ちは、これからもきっと変わらないと思います。

──続編の構想はありますか。

小川 拙著を読まれた方から、うちの近所に面白い工場があります、といった情報をいただくと、興味をそそられます。具体的な計画はまだありませんが、やろうと思えばいくらでもできる感触はあります。魅力的な製品をつくっている工場は、日本中にまだまだたくさんあるでしょうから。

──ところで、代表作のひとつである『博士の愛した数式』で、主人公が税理士事務所の家政婦として雇われる場面があります。税理士に対して、どんな印象をお持ちですか。

小川 毎年の確定申告の際、大変お世話になっています。パソコンでも申告できるようになったと聞いていますが、税金計算が苦手だし、税法も毎年変わったりするので気が進みません。作家は確定申告の時期が近づくと、憂鬱(ゆううつ)だとみな話しています。数字だらけの海を泳ぎきれるなんて、まるで神業のようです。

(インタビュー・構成/本誌・小林淳一)

掲載:『戦略経営者』2021年7月号