7月3日、キャッシュレス社会の実現に向けた取り組みの推進母体として、産学官からなる「キャッシュレス推進協議会」が設立された。常務理事の福田好郎氏に、国内外におけるキャッシュレスの現状や今後の取り組みの方向性などについて聞いた。

プロフィール
ふくだ・よしお●慶応義塾大学卒業後、国家公務員、野村総合研究所を経て、2007年にNTTデータ経営研究所入社。決済領域やオープンAPIなど金融分野を担当するコンサルタントとして活躍する。2017年、キャッシュレス推進協議会常務理事に就任。

──経済産業省が4月に、「キャッシュレス・ビジョン」を公表しました。

福田好郎

福田好郎 氏

福田 政府は2017年に「未来投資戦略2017」において、10年後までにキャッシュレス決済比率を40%程度まで引き上げるというKPIを掲げました。「キャッシュレス・ビジョン」では、国内外のキャッシュレス決済の動向を踏まえつつ、この目標達成に向けた方向性や具体策についてとりまとめられています。この議論はもともと、カード会社とフィンテック企業等とのAPI連携について検討する「クレジットカードデータ利用に係るAPI連携に関する検討会」で行われていたものです。しかし議論のなかで「API連携だけでなく、日本国民が今後どうキャッシュレスに取り組むべきかという議論も必要」「さまざまな決済手段が乱立して実店舗では混乱が出始めている。このまま放っておいてよいのか」などの意見が出たため、5回目からは、消費者にとって利便性の高いキャッシュレス環境の整備やキャッシュレスを起点とした新産業の創出などを含めた総合的な議論を行うようになりました。

──そもそもキャッシュレス化がなぜ日本に必要なのでしょうか。

福田 端的にいうと、「社会の効率性を上げる」ということに尽きます。少子化や高齢社会の到来で人手不足に悩んでいる企業は多くなっていますが、現金を扱うレジ回りのアルバイトもなかなか集まらないと聞きます。働く人のなかには、「おつりを間違えたりするとクレームにつながるので現金を扱うのがこわい」と言っている人もいるのだとか。人手不足と現金取り扱いに対するさまざまなリスクを考慮し、自動釣り銭機を導入する企業も増えています。やはり現金は非効率なのです。
 さらに経営者には、レジの回転率を少しでも上げたいという動機があります。キャッシュレスはカードをピッと読み取るだけなので、おつりをわたすという作業が不要になりスピードが格段に速くなります。またおつりを間違うということもなくなり、営業時間終了後の「レジ締め作業」も不要になります。現金を回収して夜間金庫まで搬送するという大きなリスクも排除できます。
 データの利活用という観点からもメリットは大きいでしょう。無駄なセグメントを作って精度の悪い分析をする時代は過ぎました。キャッシュレス利用によってさまざまな消費行動を正確に捕捉することで、一人一人の趣味嗜好(しこう)を起点にした精度の高いマーケティングが可能になります。
 さらにキャッシュレスによって消費者が守られるという側面も見逃せません。「はれのひ」事件では多くの新成人が被害に遭いました。現金を支払って債務が履行されなかったときに、その現金が返ってくるかというと実は非常に不透明です。しかしショッピングプロテクション保証付きのクレジットカードを利用していれば、銀行口座からその金額が引き落とされることはないでしょう。
 ご高齢の方などで「レジで後ろに人が並んでいるときに、小銭を財布から出すのにまごつくのが申し訳ない気持ちになる」と言われる方もいますが、キャッシュレスによってそんな心配をする必要もなくなるはずです。

──クレジットカードのほかにも、さまざまな種類のキャッシュレス技術が使われるようになりました。

福田 キャッシュレスで支払うことのできる現状の手段として親しみやすいのは、スイカやワオン、ナナコなどの交通系、流通系の電子マネーでしょう。これらの電子マネーはあらかじめ利用金額をチャージするプリペイド(前払い)方式です。
 これに対しデビットカード(銀行系、国際ブランド系)はその都度使った金額が銀行口座から引き落とされるリアルタイムペイ(即時払い)方式、クレジットカードはポストペイ(後払い)方式として分類されます。最近利用が拡大しているアリペイなどのQRコード決済やアップルペイなどの非接触型決済は、リアルタイムペイ、ポストペイ両方のケースがあり得ます。これらの手段に加え今後は、指紋などによる生体認証決済などが普及していくかもしれません。

現金信仰が根強い日本

──中国や韓国などではキャッシュレス化が進んでいると聞きます。

福田 各国のキャッシュレス決済比率の状況(2015年)を見ると、日本の18.4%に対し、韓国は89.1%、中国は60%と大きな差が開いていることが分かります。最近ではQRコードをスマートフォンで読み込んですぐに決済できるアプリ「アリペイ」が普及している中国が引き合いに出されることが多いですが、単純に日本の現状と比較するのはフェアではないでしょう。歴史的に段階を踏んでキャッシュレスインフラが整備されてきた日本に比べ、中国は少し前の時代まで、銀行振り込みを含めたインフラが構築されていない状況が続いていたからです。従って現金での支払いが当たり前だったにもかかわらず、①紙幣の質が悪い②偽札が多い③紙幣が汚く不衛生である──などの理由から、人々は現金の管理についてネガティブな印象を抱いていました。こうした背景があって、アリペイが爆発的に普及したのです。既存の技術やインフラが遅れていればいるほど、新しい技術の普及スピードが速くなる「リープフロッグ(かえる跳び)」と呼ばれる現象です。
 一方韓国では、政策的な影響が大きいとみられます。1997年の東南アジア通貨危機から財政が税収不足に陥ったのを何とか打開しようと、脱税対策として効果が高いクレジットカードの利用を促す政策を推進したのです。「年間クレジットカード利用額の2割を所得控除(上限30万円)」「宝くじの権利付与」「店舗でのクレジットカード対応義務付け」などに取り組み、一気にクレジットカードの利用率が高まりました。しかし多重債務者問題が噴出するという負の側面も明らかになっています。
 この両国に比べると、日本ではまだまだ「現金信仰」が根強い。偽札が出回っていると考える人は誰もいません。紙幣そのものもきれいです。日本全国どこにいっても現金自動預払機(ATM)が設置されていて現金を引き出すことができます。

──欧州の状況はいかがですか。

福田 スウェーデンでは、キャッシュレス社会への切り替えが進んだ理由の一つに、犯罪対策があることはよく知られています。治安が良いイメージがありますが、スウェーデンは強盗事件の比率などが日本に比べかなり高い。公共交通機関などで職員の安全を確保するためにも、駅などに現金を置く必要がないキャッシュレス化を要望する声が以前から根強くあったのです。
 加えて人口に比べ国土が広いため、特に冬季などは遠隔地に現金を搬送するコストがかさんでしまうという問題も抱えていました。こうした課題を解消するために国を挙げてキャッシュレス化に取り組んだ結果、「現金受け取りお断り」という張り紙が店頭に掲示される店舗が当たり前のようになっています。最近では表示すらしないお店も増え、キャッシュレスが国民レベルで受け入れられた代表的な国となっています。
 面白いのはドイツのキャッシュレス決済比率が14.9%と日本より低いこと。原因は分かりませんが、日独ともに第2次世界大戦の敗戦国です。敗戦後の窮乏から「目に見えないものを信じない」との国民性があるのかもしれません。

目標は世界最高水準の80%

──日本を訪れた外国人旅行客からは「日本ではキャッシュレスに対応していない店舗が多く不便だ」という声が多いと聞きます。

福田 決済サービスを使う側から一番よく聞くのは、「コスト負担を考えるとクレジットカード決済の導入に踏み切ることができない」という声。クレジットカード各社の戦略で、かつ内部規定事項でもあるので、確かなことはいえませんが、サンプル調査の結果によるとクレジット決済の利用手数料は3.24%程度のようです。さらに飲食店ではこの料率が高くなっている。利益率が3%を切るような業界に身を置いている経営者がこの手数料を支払う決断をできるかというとなかなか難しいでしょう。
 この手数料率が諸外国に比べてずばぬけて高いかというとそうではありませんが、多くの経営者が納得できる水準ではないことも確かです。価格妥当性は見極めていく必要があり、中小企業でも使いやすい水準まで下げる必要はあると考えています。
 しかしただ下げればよいという話ではありません。中国のアリペイが0.7%という低い手数料を実現しているのは、手数料で事業を成立させるビジネスモデルではなく、購買データを起点にしてもうける仕組みを成立させているから。日本国内の法規制の現状を踏まえながら、クレジットカード会社、加盟小売店、消費者それぞれにとってメリットが出るような道を模索していく必要があります。

──キャッシュレス推進協議会で取り組む予定のプロジェクトについてお話しください。

福田 キャッシュレスの情報が次から次へと出てきて、この流れに乗って良いのかどうか不安に思っている方も少なくないと思います。こうした不安を少しでも取り除くため当協議会では、日本のキャッシュレス化の具体的なロードマップを描く未来予想図「キャッシュレスビジョン2019」を本年度中に策定します。このビジョンのなかでは、政府目標の40%にとどまらず、最終的には世界最高水準の80%を目指すことになっています。
 また自動サービス機におけるキャッシュレス普及促進にも取り組みます。駅ナカの自動販売機、コインパーキングの支払い、飲食店の食券販売機などではキャッシュレスがおなじみになりつつありますが、街中の自動サービス機はまだまだ現金が主流です。2年後の東京オリンピック・パラリンピックは酷暑の8月開催。日本を訪れた多くの外国人が喉の渇きを潤すのに利用することが想定されますが、「小銭を持っていなかったので買えなかった」というのではいけません。自動販売機の設置サイドも、キャッシュレスによって現金輸送コストをだいぶ下げることができるでしょう。
 現在、多様なQRコード決済の仕組みが誕生し、利用する店舗においては、オペレーションやシステム導入などそれぞれのサービスに合わせた対応を行う必要が生じています。イノベーションのためには各社による試行錯誤が必要ですが、あまりにいろいろなサービスが出回ると社会全体の効率性が下がってしまいます。そのため当協議会では、似たようなQRコードの技術的・業務的仕様の標準化を検討する計画です。標準化によって店舗等における業務負担の軽減やシステム開発コストの低減化が図られ、キャッシュレスのさらなる普及につながるでしょう。

──中小企業の経営者にメッセージを。

福田 協議会では決済サービスを提供している会社だけでなく、使う側の企業や消費者団体も加盟するオールジャパン体制の組織になっています。われわれは中小企業に対してもメリットとデメリットをきちんと伝えられるよう継続的に発信をしていくつもりですが、中小企業経営者の方々もぜひ、キャッシュレスについての要望や意見をお寄せいただきたいですね。キャッシュレスによるデータ利活用の面も含め、できるだけ食わず嫌いにならず積極的に関わっていってほしいと思います。

(インタビュー・構成/本誌・植松啓介)

掲載:『戦略経営者』2018年9月号