市場シェア首位を走るニッチトップ企業でも、絶えず変化する市場環境の荒波に抗えず、ビジネスモデルの大転換を余儀なくされることがある。しかしその荒波に短期間で2度も見舞われた中小企業はそうはないだろう。GOKO映像機器の後藤友子社長は、ジェットコースターのような大きな上下動を経験してきた企業の継承者である。

プロフィール
ごとう・ともこ●慶應義塾大学総合政策学部卒業。2003年、五光インターナショナルコーポレーション(現GOKO映像機器)に入社。GOKOグループにおける3度目の大胆な事業転換期において、光学機器製造販売、食品製造販売、不動産賃貸管理、陸上養殖の各部門にて経営、経理、広報、貿易実務等を担当。2006年12月、GOKOインター(現GOKO映像機器)取締役業務統括に就任。2014年12月、同常務取締役に就任。2015年12月から現職。
後藤友子 氏

後藤友子 氏

 神奈川県川崎市に本社を置くGOKO映像機器。青色のタイルが特徴的な本社ビルに、かつてシェア世界一と生産量世界一を獲得したグローバルニッチトップ企業が入居していることを知っている近隣住民はどれくらいいるだろうか。齢(よわい)94でいまなお経営のタクトを振り続けるGOKOグループ創始者の後藤正代表の孫である後藤友子社長にとっても、同社グループの過去は誇らしい歴史である。

 当社の8ミリフィルム用編集機は40年も前に生産は終了していますが、世界中の愛好家から継続的に修理の依頼が寄せられています。ベテランの職人が1台1台対応していますが、長年にわたり当社製品をお使いいただいている感謝の気持ちから、個人向けの修理料金はいただいていません。

 物心ついたころからヒーローは祖父だった。8ミリフィルムカメラのニーズが急速にしぼむと、今度は市場に出始めたコンパクトカメラに着目。大手メーカーを差し置き大胆な投資を進め、マレーシアに従業員2000人規模の生産工場を構えるまでになった。そしてOEMを中心に生産拡大を進め、これまた世界トップの生産台数を記録。時流を読む確かな感覚と決断力は子供の目にも尊敬に値するものとして映った。

 当時日本では、「コンパクトカメラは先進国に普及しており、大企業が独占する成長産業」との見方が大勢を占めていましたが、祖父は、「現時点のコンパクトカメラの普及割合は地球上のわずか13%にすぎない」との計算を行い、「地球上の87%の人々のためのコンパクトカメラを作ろう」と判断、眠っていた巨大なマーケットへの参入を決断しました。そんな祖父はたとえ子供が相手でも、決して子供あつかいや女性あつかいをしない性格です。トランプで遊んでも一切手を抜かない真剣勝負になります。私もそれが分かっていたので、勝った時は本当にうれしかった記憶があります。同居はしていませんでしたが、一人前の人間として対等に付き合ってくれるので、大きくなってからもファクスで長文の手紙をやりとりするなどずっと交流を続けてきました。

 たとえ相手が子供でも1人の人間として対等に付き合う祖父の態度は、後藤社長の人間形成にも深く影響を与える。「女性だから」「まだ若いから」と遠慮やしり込みすることなく、自らの意見を堂々と表現するようになったのだ。自他ともに認めるおじいちゃん子が経営の道を志すのは自然な成り行きだったのかもしれない。

 母親もグループの経営に携わっており、常に2人の背中を見て育ってきたので、その系譜に自分も連なっていくのだという自然な気持ちがありました。小中高とエスカレーター式に進学し、大学は慶應義塾大学の総合政策学部で学びましたが、将来経営者になるのだったら、幅広い分野の学問に触れておきたいという気持ちがあったからです。文系や理系にとらわれずジェネラリストとして成長できると考えました。

 悩んだのは就職活動。同級生が次々と大企業にエントリーするなか、自分もその流れに乗り、いったん就職して社会勉強するという道が頭に浮かんだ。しかしその時すでに祖父は引退してもおかしくないほどの年齢だった。小さい頃からのあこがれの存在だった祖父と少しでも長く一緒に仕事がしたいという思いは強かった。「別の会社に就職しても、『いずれ退職するだろう』とみられ、本当の意味で鍛えてもらえないのでは」との懸念もあり、後藤社長は新卒で家族が経営するグループへ入社することを決断した。

 新卒でGOKOインターナショナル(現GOKO映像機器)に入社した私は貿易部門の業務を主に担当し、自社製品の輸出などを手掛けていました。とにかく必死に頑張ろうと入社してから数年は空回りすることばかりでしたが、周りの社員の方々のサポートにも助けられ、徐々に貢献できるような働きができるようになったと思います。また子供のときから祖父に『英語はきちんと勉強しておきなさい』と言われ、今でも英語を毎日使うため、毎朝出社前には30分間スカイプでビジネス英語の訓練を受けてから家を出ます。海外顧客から生の反応や意見を聞いたり、当社の製品作りに対する熱意や歴史を直接自分の言葉で伝えることで、「こんなにユニークな会社があるのか」と、ありがたいことに当社のファンになってくれることもあります。

 GOKOグループでは、8ミリフィルム編集機市場の消滅やその後のフィルムコンパクトカメラ市場からの撤退を受け、事業を大きく再構築。小さな対象物を拡大してモニターに映す光学技術をコア技術に、ニッチ市場での生き残りを図った。さらにはグループ会社であるGOKOカメラがアグリビジネスに参入(現在は母親である後藤佳子氏が経営)、工場跡地を有効活用した不動産部門を立ち上げ多角化を進めた。後藤社長はこうした事業のプロジェクトにも携わったが、祖父の「ゆくゆくは後継者に」との思いがあったに違いない。

受け継がれる基本3原則

 ところでGOKO映像機器の現在の主力製品は、後藤社長が入社後に発売開始した「BSCAN(ビースキャン)」である。マイクロスコープシリーズと銘打った一連の製品群のなかで抜群の知名度を誇る。光学機器メーカーとして65年を超える実績を持つ同社独自のノウハウを盛り込んだ光学設計で、あらゆる体表面の毛細血管の血流映像を高倍率で簡単・鮮明に観察できる機器だ。

 現在の機種は大幅なモデルチェンジを3回経たもので、マウス、ラットの内臓の毛細血管を観察するのに最適なスタンドなど豊富なオプションに加え、血流速を数値化し定量化するソフトウエアを開発し、自社開発ラインナップに加えました。当社は従来ハードウエアを開発してきた会社なので、生体を対象物とするソフトウエアの開発は非常に大変でしたが、これにより国内外の研究者から注目されるようになりました。これらの豊富なオプションは2019年に一気に充実させましたが、すべてお客さまからの声をスピーディーに開発に生かした結果です。

 光学ズーム搭載でレンズを替えることなく145~590倍の倍率で血流を観察することができる。手ブレ防止機能が付いた付属の専用スタンドを使えば、ほぼ静止した状態で指先の観察ができるので、リラックスして安定した状態の血流画像が確認できる。カメラユニットは150グラムと軽いので、もちろん手持ちで指先以外の全身どこでも観察が可能だ。当初は大学や研究機関向けでの販売が多かったが、最近では需要のすそ野が広がりつつあるという。

 当社機器の映像の鮮明さは、米有名大学の医学部からも「素晴らしい」とお褒めの言葉をいただき、その研究室では難病の研究に使われています。膠原病、特に全身性強皮症や皮膚筋炎を診断する際に有効であることが分かるなど、国内外の研究機関で導入実績が増えています。また舌や口唇、頭皮など全身の皮膚の毛細血管を観察できるので、皮膚の移植手術後に、どのくらい再生しているかを確かめる用途で使っている大学病院もあります。

 社長に就任したのは2015年。GOKOグループで創業以来掲げられている次の三つの基本理念「企業規模の大小に捉われず経営者自身も企業自体も一切『見栄の心』を排す」「企業の独立を堅持し、独自の製品の開発を原則とし、いわゆる下請け仕事は行わない」「無借金経営を基本とし、常に変事に備え十分な資金的余裕を堅持する」は現在に至るまで66年間堅持されており、今後製品開発をさらに推進する予定だ。

 ソフトウエア、ハードウエアを問わず、ユーザーからの声を製品開発にスピーディーに反映させることを心がけています。1台からのカスタマイズをコツコツと積み重ねることで、量産化モデルへの道筋をつけるというやり方ですね。祖父がこれまでやってきたことを実直に実践しながら、シンプル・バット・ブリリアントな企業を目指していきたいと考えています。

(インタビュー・取材/本誌・植松啓介)

沿革
1960年 現在の「GOKO映像機器株式会社」の前身の一つとなる「五光カメラ飯田株式会社」設立。
1976年 8ミリ録音編集機では世界唯一のメーカーとなり、世界市場の100%のシェア確立。
1988年 コンパクトカメラの主力工場をマレーシアに開設。
1993年 カメラ生産は一気に増大し月産45万台、年産420万台に達し、コンパクトカメラの生産台数世界一(日経ビジネス1991年8月5日、12日号)と評される。
2002年 デジタルカメラの成長により将来性がないと判断し、全面的なコンパクトカメラ業界からの転換を決断。医療研究用など特殊光学機器に注力しはじめる。
2015年 GOKOインター(現GOKO映像機器)で後藤正が取締役会長に、後藤友子が取締役社長に就任。
会社概要
名称 GOKO映像機器株式会社
設立 1960年
所在地 神奈川県川崎市幸区塚越3-380 GOKOビル
URL https://goko-imaging-devices.com/

掲載:『戦略経営者』2020年3月号