霊峰・八海山の伏流水「雷電様の清水」を仕込み水に、厳選された酒米、そして職人たちの卓越した技術によって造られる「八海山」は多くの人々が愛してやまない逸品だ。そんな八海山を造り続けて90余年、八海醸造は今、日本酒だけではなく甘酒や地ビールなど多彩な商品を展開している。同社を率いる南雲二郎社長に酒造りに対する信条や商品戦略について聞いた。

プロフィール
なぐも・じろう●1959年新潟県生まれ。80年に東京農業大学短期大学部醸造科を卒業後、新潟県醸造試験場に研修生として勤務。83年に八海醸造株式会社に入社。97年、同社代表取締役社長に就任し現在に至る。趣味はスキー、ゴルフ。
南雲二郎 氏

南雲二郎 氏

 新潟県南東部に位置し、国内有数の豪雪地帯として名高い南魚沼市。市内東部に聳(そび)え立つ越後三山の麓(ふもと)で、長年にわたり日本酒業界を牽引(けんいん)する銘酒「八海山」は造られている。「八海山」を手がける八海醸造は創業から90年を越え、最近では日本酒のみならず甘酒や焼酎等さまざまな製品を製造する一方、アンテナショップや商業施設の運営にも携わるなど幅広い事業展開が目を引く。今や「八海山」ブランドは全国各地で熱烈な支持を受けているが、その歴史は清酒業界の中でも比較的浅い。だからこそ、酒造りには常に〝挑戦者〟の気持ちで向き合っていると南雲二郎社長は語る。

「新潟県には創業から200年、300年を越える老舗の酒蔵が点在しています。一方、当社は2年後にようやく創業100周年を迎える〝若手〟の老舗企業。伝統という意味では先達に遠くおよびませんが、全社員一丸となって飽くなき探求心と高い技術力で酒造りに挑む〝ベンチャー気質〟はしっかり根づいていると自負しています」

 同社の創業は1922(大正11)年、南魚沼地域一帯の町おこしを目的に二郎氏の祖父である浩一氏によって設立された。ちなみに浩一氏は酒蔵以外にも製糸工場などを相次いで建設し、地域経済の発展に貢献したという。その後、浩一氏が亡くなり、二郎氏の父親である和雄氏が八海醸造の経営を受け継いだ。

 実家と酒蔵が一体となっており、「会社の中で生活している」という感覚のなかで育ってきたという二郎氏。幼い頃から日々の慌ただしい仕事ぶりや泊まりがけの仕込み作業といった酒造りの大変さを目の当たりにしてきたため、最初は「清酒業界に進むつもりはまったくなかった」(二郎氏)という。

 そんな二郎氏だが地元の高校を卒業後、東京農業大学、新潟県醸造試験場の研修生を経て83(昭和58)年、営業社員として八海醸造に入社する。進むつもりのなかった清酒業界に飛び込んだのも、「大学を卒業しても行くところがなかったから」(二郎氏)と自嘲(じちょう)するが、入社以降、二郎氏の手によって盤石な経営体制が整備されていく。

「『製造と営業の二足のわらじを履いて酒造りはできない』というのが父の教えでしたので、入社以来営業一筋でやってきました。私自身、お酒を造るよりも品質の高いお酒を量産するための仕組みづくりに関心があったので、営業社員として商品の販売に関わる傍ら、生産体制の改善や労働環境の整備、販路開拓、設備投資や原料の確保など、『八海山』ブランドの基盤整備にも力を注ぎました」(二郎氏)

 酒造りの〝仕組みづくり〟に面白さを見いだした二郎氏。興味のなかった清酒業界での仕事にも、いつの間にか主体的に取り組むようになった。

「日常の高品質なお酒」を造る

 二郎氏が営業社員として商品の売り込みに情熱を注いでいた1980年代は地酒ブームの真っただ中。小売店や卸売業者からの注文が殺到するなか、商品が飛ぶように売れていく状況に二郎氏は違和感を覚える。

「当時、ある居酒屋で八海山が他の銘柄に比べて2~3倍の値段で売られていたことがありました。店主に話を聞くと『仕入れの本数が少ないので価格を上げざるを得ない』と言われ、このとき初めて商品の需要に対して供給量が小さいという現実を目の当たりにしました。飲みたいと思っている人たちに対して商品を満足に供給できていないという現状をどうにかして改善しなければ当社の未来はないだろうと思い、生産プロセスを合理化したり、これまで非正規で雇っていた職人たちを正社員として契約し直したりとメーカーとして供給責任を果たすための体制づくりに取り組みました」(二郎氏)

 そんな同社の酒造りには、「誰もが手軽においしく飲める『日常の高品質なお酒』を造る」というモットーがある。「日常の高品質なお酒」とは飲み会や日々の食卓で生まれるコミュニケーションを引き立てる酒のこと。同社はこのような酒を手ごろな価格で提供するため、とりわけ重点を置いているのが本醸造酒の生産である。

「たとえおいしい料理であっても味の濃い食事ばかりを取り続けることが難しいように、味の濃いお酒を飲み続けることもまた難しい。その点、本醸造酒は淡麗かつ爽快感のあふれる後味が特徴的で、お酒の席や食事にほどよく溶け込みます。最近では純米酒だけを評価する風潮も生まれつつありますが、醸造技術の向上によって純米酒では実現できない風味を利かせられるようになりました」(二郎氏)

 本来、純米酒と本醸造酒は優劣をつけられるものではなく、シチュエーションによってバランスよく楽しむことが大切だと二郎氏は補足する。

「例えば、はじめに純米酒で日本酒特有の味や香りを楽しみ、その後お酒が進んだ段階で本醸造酒を注文し、食事やコミュニケーションを楽しむといったように、日本酒をよりおいしく味わうためにも飲む順番やバランスが大事なのです」(二郎氏)

「麴(こうじ)あまざけ」が大ヒット

 二郎氏が3代目社長に就任したのは97(平成7)年。以来、日本酒にとどまらないバラエティー豊かな商品展開によって、「八海山」ブランドの拡充を実現する。

「日本酒だけだと業績が落ち込んだ時に挽回するのは難しい。その点、商品のラインアップを充実させておくことで、さまざまなニーズに柔軟に対応することができ、結果として当社商品のファンの獲得につながっています」(二郎氏)

 98年に地ビールの生産を開始して以降、本格米焼酎や甘酒等さまざまな製品の製造・販売に着手。とりわけ顕著な実績をあげたのが甘酒だ。長年の酒造りで培った技術をふんだんに生かして造る甘酒は砂糖を一切使用せず、麴独特の雑味のないすっきりとした甘さが評判を呼び、麴ブームや甘酒ブームの相乗効果もあって大ヒットを記録。当初は約20億円程度だった市場規模も今や250億円規模にまで成長し、全国で第2位の売上高シェアを誇っている。

「成功ばかりが取り沙汰されがちですが、実際には失敗も数多く経験してきました。特に競争相手が多い市場では、撤退を余儀なくされたことが何度もあります。その点、甘酒は初動の売れ行きが好調で、かつ当時の甘酒市場は競争相手が少なかったので専用の工場を建設するなど量産体制をいち早く整備し、市場シェアの確保を目指しました」(湯澤専務)

 ただし、新規事業を展開し一定の市場シェアを得るためには、財務体質が健全な状態にあることが前提となる。その点、同社では青木美智夫顧問税理士の薦めでTKCの自計化(経理処理業務と業績把握を会計ソフトを導入して自社で行うこと)システムを活用しており、適時に業績を把握し、打ち手を講じるための仕組みが構築されている。

「南雲社長は計数管理意識がすこぶる高く、売上高や利益額などの会計数値を根拠に予算の策定や商品の販売計画を立てておられます。その意味でもTKCの自計化システムで業績をタイムリーに把握できる体制を整えたことは、八海醸造さまの商品戦略に大きく貢献しています」(青木税理士)

 現在、国際的なスキーリゾートとして名高い北海道のニセコ町でウイスキーの蒸留所を建設しており、今年の年末には稼働を開始する見込みだ。さらに、長年の日本酒造りで培ってきた「米・麴・発酵」の技術を海外に輸出し、現地での日本酒造りも視野に入れているという。

「経営者として常に念頭に置いているのは『終わらない会社』をつくること。当社が潰(つぶ)れてしまうと、『八海山』ブランドのファンを悲しませることはもちろん、社員たちを路頭に迷わせてしまいます。会社がなくなることは何としてでも避けなければなりませんし、そのためにもメーカーとしての供給責任を全うしてお客さまの期待に応えるとともに、幅広い商品戦略で収益を獲得し続けることに常に全力を尽くしています」(二郎氏)

「現状維持は衰退へ向かう第一歩」と二郎氏は繰り返す。「終わらない会社」づくりに邁進(まいしん)する二郎氏の挑戦は、これからも続く。

(協力・青木美智夫税理士事務所/本誌・中井修平)

会社概要
名称 八海醸造株式会社
設立 1922年
所在地 新潟県南魚沼市長森1051
社員数 132人
URL https://www.hakkaisan.co.jp/

掲載:『戦略経営者』2020年4月号