華麗な衣装をまとったタカラジェンヌたちが、きらびやかなステージで歌い踊る──。兵庫県宝塚市に拠点を置く宝塚歌劇団は結成100年を超えた今も多くのファンに愛されている。そんな“タカラヅカ”の経営戦略を、かつて宝塚歌劇の総支配人を務めた森下信雄氏に聞いた。

プロフィール
もりした・のぶお●1963年岡山県生まれ。86年に香川大学卒業後、阪急電鉄に入社。98年、宝塚歌劇団に出向。制作課長、星組プロデューサー、宝塚総支配人などを歴任。2011年に阪急電鉄を退職。関西大学非常勤講師、阪南大学流通学部専任講師を経て、19年より現職。著書に『元・宝塚総支配人が語る「タカラヅカ」の経営戦略』(KADOKAWA)、『タカラヅカの謎』(朝日新聞出版)、『宝塚歌劇団の経営学』(東洋経済新報社)がある。

──これまでの経歴を教えてください。

森下信雄 氏

森下信雄 氏

森下 1986年に阪急電鉄に入社し、98年に宝塚歌劇団に出向しました。関西以外ではあまり知られていませんが宝塚歌劇団は阪急電鉄の事業部門の1つで、社員の多くがジョブローテーションの一環で出向し劇団運営に携わります。たいていの社員は数年でまた別の部署に異動するのですが、私は演劇や舞台を観るのが好きでエンターテインメント関連のビジネスに強い興味を持っていたこともあり、2011年に退職するまで歌劇事業に従事していました。

──宝塚歌劇団では具体的にどんな業務を?

森下 作品のプロデュースから舞台芸術の製作、プロモーション、劇場の運営など、宝塚歌劇団に関するほぼすべての業務に携わりました。マーケティング風に言えば「川上」から「川下」まで関わったことになるでしょうか。このときの経験が今の活動の礎になっています。

──現在は阪南大学でマーケティングの研究に従事しておられます。研究テーマは?

森下 マーケティングと行動経済学の見地からコミュニティービジネスやライフスタイルビジネスの最適解を探求しています。ゼミではフィールドワークを重視した活動を行っており、地元の書店や百貨店などとコラボレーションしながら、地域に根ざしたビジネスのあり方を学生と一緒に研究しています。

「創って・作って・売る」

──宝塚歌劇団の歴史と特徴を解説してください。

森下 創設は1914(大正3)年で、鉄道利用客の誘致を目的に阪急電鉄の創業者である小林一三翁によって設立されました。宝塚歌劇団は「花組」「月組」「雪組」「星組」「宙(そら)組」の5つの組と、これらに属さない“いぶし銀”のスターたちが所属する「専科」で構成されており、組ごとにそれぞれプロデューサーがいて、演出家や振付家、作曲家等スタッフの多くが座付きであるところが他の劇団や演劇作品との決定的な違いです。
 宝塚歌劇団の専用劇場である「宝塚大劇場」「宝塚バウホール」(兵庫県宝塚市)と「東京宝塚劇場」(東京都千代田区)を阪急電鉄が自前で運営していること、男役・娘役のトップスターを筆頭に、2番手、3番手……と序列(「スターシステム」)がはっきりしているのも特徴的です。作品制作は男役トップスターを軸に進めていきますが、在籍年数の長いベテラン団員が「組長」として各組をしっかりとまとめているので団員どうしの結束も固いです。

──結成から100年を優に超えていますが、宝塚歌劇団の“長寿経営”を実現している要因はなんでしょう。

森下 いろいろありますが、まず挙げられるのは「垂直統合システム」がしっかりと機能していることです。

──「垂直統合システム」とは?

森下 自己紹介したときに少し触れましたが宝塚歌劇では作品のプロデュース、舞台芸術の製作、販売促進など公演に関するほぼすべての業務を阪急グループが担っています。具体的に言うと、作品の企画・制作は宝塚歌劇団が、大道具・小道具・衣装の製作、公演時の照明・音響等は阪急電鉄の子会社である宝塚舞台が、そして作品のプロモーション、劇場の運営は阪急電鉄が管轄しています。

──「自前主義」を志向していると。

森下 そのとおりです。この一連の流れを私は「“創って・作って・売る”ビジネスモデル」と説明しているのですが、創って(プロデュース)・作って(舞台芸術の製作)・売る(プロモーション、劇場経営)という一気通貫の仕組みによって、外的環境の影響に左右されにくい「筋肉質」の経営を実現しています。外注費がかからない分、予算を出演者の報酬や舞台費用等に割くこともできる。さらに、公演を重ねるたびに作品づくりに関するノウハウが社内に蓄積されていくので、新作はもちろん過去の作品をリバイバル公演する際にも演技や演出がブラッシュアップされ、より洗練されたパフォーマンスを披露することにもつながっています。

ファンとの関係性を重視

──ほかの要因は?

森下「ロングラン公演」を実施しない点も見逃せません。1つの演目を長期間行う「ロングラン公演」は演劇ビジネスの王道的手法ですが、宝塚歌劇団ではこのやり方を採用していないのです。

──それはなぜでしょうか。

森下 ロングラン公演を行うことでファンとの信頼関係が破たんするおそれがあるからです。そもそも演劇ビジネスにおいてロングラン公演が積極的に行われる理由は、演者やスタッフの報酬、著作権料などの変動費よりも、会場費、舞台製作費といった固定費の占める割合が大きいという業界特有のコスト構造にあります。すなわち、上演回数を増やせば増やすほど高い利益が得られるのです。
 一方、宝塚歌劇団はファンの9割以上が女性で特定の組や団員を応援している方が大半を占めることから、すべての組を平等に扱うことでファンとの信頼関係を構築し、安定した収益を獲得してきました。つまり、特定の組だけ公演期間をのばすことはこれまで応援していたファンの信頼を裏切ることになり、来場客の減少、ひいては収益力の低下を招く可能性があるのです。

──組ごとの集客率に差はあるのでしょうか。

森下 ほとんどありませんが、公演の時期や演目によってチケットの売れ行きに若干の差が生じる場合もあります。ただ、1年あたりの公演回数はどの組も50~55回(宝塚大劇場の場合)程度と差はほとんどありません。最近はコロナ禍の影響もありフルキャパシティーでの公演ができていませんが、それでも特定の組だけ公演期間をのばしたり縮小したりすることはなく、すべての組が均等に公演を行っています。

──仮に宝塚歌劇団がロングラン公演を実施したら……。

森下 利益率は確実に上がるでしょうね。ただ、同時に、多くのファンを裏切ることにもなる。信頼関係の構築には長い時間がかかりますが、失われるときは一瞬です。エンタメビジネスはファンがいて初めて成立するものですから、ファンを無視するような取り組みが支持されることはありません。宝塚歌劇団もファンの応援がなければ存続できませんから、特定の組をひいきするようなロングラン公演は今後も行われることはないでしょう。

──宝塚ファンが劇団経営に与えている影響は大きいのですね。

森下 これも他のエンタメビジネスと一線を画すところで、宝塚には阪急電鉄非公認の私設ファンクラブ(ファン会)が存在し、タカラジェンヌのオフのマネジメントのほか、事業収入の中核であるチケット販売の一定割合はこのファン会が担っています。ただし、チケットはファン会のほか、阪急電鉄公認の会員組織である「阪急友の会」、インターネット、プレイガイド等でも取り扱っているので、ファン会に入ることがチケット購入の絶対条件ではありません。ただ、劇場前方など、いわゆる「良席」を手にできる確率はファン会もしくは阪急友の会経由で買う方が高くなります。

──すべてのタカラジェンヌにファン会があるのですか。

森下 いいえ。男役トップなどの看板団員だけです。

──チケット販売やマネジメントをファン自身が担うことのメリットは?

森下 阪急の立場で言えば広告宣伝費や販売促進費等のコストをかけずにチケットを販売できることです。そもそも宝塚のチケットはファン会や阪急友の会経由でほとんどが捌(さば)けてしまうので、プロモーション活動に大規模な予算を投下する必要がありません。実際にテレビCMは企業スポンサー付きの公演(冠公演)の時しか打っておらず、広告も阪急電鉄の駅構内や車内の中吊り広告など、ごく一部だけに出稿しています。

──ファン側のメリットはいかがでしょう。

森下 1つは宝塚歌劇団に対する満足度や帰属意識の向上です。芸能事務所で言うところのマネージャーの仕事をファン会が手がけるので、スターとの交流会やイベントもファンが主体となって運営します。特にスターを囲んだ「お茶会」はファン会の名物イベントで、あこがれのスターの話を身近に聞いたりコミュニケーションを交わすことで宝塚歌劇団はもちろん、ファン会への帰属意識のアップにつながっています。
 また、先ほど述べたように良い席のチケットを優先的に入手できるのもファン会がチケット流通を担うメリットと言えるでしょう。

「垂直統合」+「価値共創」

──中小企業が宝塚歌劇団の経営から応用できるポイントは何でしょう?

森下 1つは自社ブランドの重要性です。宝塚歌劇団には「創って・作って・売る」という垂直統合システムにより、外的環境の影響を受けにくいビジネスモデルを構築しています。中小企業のなかには大手企業の下請けとして製品を作っている会社も多く、受注量を減らされたり値下げを要求されたりと大手のさじ加減に左右されやすい経営環境にある。特に、最近はVUCA(※)という言葉が表しているように社会が目まぐるしいスピードで変化しており、コロナ禍がこれに拍車をかけています。このような状況のなか、強靱な経営体質をつくる1つの方法が自社ブランドを持つこと。自社で企画・設計・製造・販売等を手がける商品・サービスを手がけることで、外的要因の影響を受けにくい“筋肉質”な経営を実現できます。
 もう1つは顧客や地域社会とともにブランドの価値をつくり上げていく「価値共創」のモデルを確立すること。宝塚歌劇団が100年超にわたる長寿経営を実現した要素に、宝塚歌劇団のファンが販促やブランディングに直接関わる「価値共創」の仕組みをつくり、ファンの満足度向上や公演を繰り返し観に来る「リピーター」を生み出したことが挙げられます。価値共創モデルのポイントはリピーターを増やすこと。自社の商品やサービスを繰り返し愛用してくれるリピーターを増やすことができれば、収益獲得の安定化や事業コストの削減だけでなく、商品や会社そのもののブランド力アップにつながりますからね。これらを実現するためにも、自社の強みを把握し磨き上げるのはもちろん、既存顧客や取引先、商工会などの社外のつながりを積極的に構築しながら、地域の課題を拾い上げ、商品づくりやサービスの向上に反映する取り組みが求められるのです。

──なるほど。

森下 宝塚歌劇団は創設以来、小林一三翁による強力なリーダーシップのもと、垂直統合システムや価値共創モデルなどを通して変化に耐えうる堅固なビジネスモデルを築いてきました。宝塚歌劇団が実践してきた経営戦略の数々は、中小企業が持続可能なビジネスモデルを構築する上で示唆に富んでいると言えるでしょう。

※VUCAとは…
「将来の見通しが不透明で予測が困難な状態」を表し、Volatility(変動性・不安定さ)、Uncertainty(不確実性・不確定さ)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性・不明確さ)の4つの頭文字から取った言葉

(インタビュー・構成/本誌・中井修平)

掲載:『戦略経営者』2022年3月号